11.プレゼント


「見て見て、このワンちゃん可愛い! バロンにそっくりだよ!」


 凛が柴犬の子どもがいるガラスケースにへばりついた。

 と、僕らのもとへ店員さんがやって来て、撫でてみないかと訊いてきた。

 周りを見れば他のお客さんも動物と触れ合っている。ガラスケースが開けられ、凛が子犬の額を撫でる。人慣れしているのか嫌がる様子はなかった。


「ねぇ、この子を連れて帰ろうよ! お兄ぃだってワンちゃんを飼いたいんでしょ?」

「え、そうなの? ペットとか好きなの?」


 梨香さんが意外そうに僕を見つめる。


「どうしてあのときに教えてくれなかったの? 恥ずかしい趣味なんかじゃないのに」

「ほしがったのは昔の話ですから。誰でも小さい頃はペットを飼いたがるものでしょう。結局僕もねだるだけねだって、お世話のこととか考えていませんでした」

「そうかな? 根岸くんなら得意な気がするんだけど」

「そんなことありませんよ。それに、値段のこともありますし……」


 僕は犬の値札を確認する。生体費用や獣医師によるメディカルチェック等でかなりの金額になる。それに加えて餌代やトイレ代といった費用や、病気になれば治療費も要るのだ。

 そう考えるととほうもない責任が伴うことを痛感させられる。きっとあのときに貰った‘誕生日プレゼント’を使ったとしても、一緒には暮らせなかっただろう。


「あ、あっちにもワンちゃんがいる。なんだか大きいね?」

「凛ちゃん、近づいちゃダメよ」


 二人の話し声で、僕は我に返った。

 少し離れた檻には成犬がいるが、どうやら元野犬で、お店で保護して譲渡先を探しているらしい。たしかに他の犬よりも目つきが鋭く、人が近付くと唸っていた。


 僕はというと、檻にいる犬と目を合わせたまま動けなくなっていた。

 体格といい毛色といい、初めて触れ合った犬に似ていた。

 大昔に譲渡会で出会った、あの犬に。


 犬が僕を見つめたまま寝そべった。

 急所(おなか)を見せているから警戒はされていないようだ。

 そんなデレデレな態度をされると僕もついその気になってしまい、この犬と過ごせたら毎日がどんなふうに変わるのかと夢想してしまう。寄り添える相棒がいると、何気ない日々の変化も楽しくなるのだろうかと――


 そのとき、僕は反射的に振り返った。

 もちろん背後には誰もいない。他のお客さんが動物たちと戯れているだけ。どこにでもあるペットショップの風景が広がっているだけだった。


「ねぇ、根岸くん。大丈夫?」


 梨香さんが不安げな顔で僕を覗き込んだ。


「なにがですか?」

「なにがって……。ボーっとしていたから」

「すみません、ちょっといろいろ考え事をしていて……」

「遥兄ぃ、もしかしてお腹でも痛いの?」

「いや、なんでもないよ」


 笑みを浮かべようとしても顔が引きつってしまう。

 ああ。もう。笑わなきゃ。

 せっかく二人が楽しんでいるのに、場の空気を壊しちゃダメじゃないか。



「凛、もう疲れたな~~。はやくお家に帰ろう?」


 凛が腕を掴み、家でカルルピのビデオを見たいという。梨香さんも「もうすぐ次のバスが来るはずだわ」と腕時計を見ていた。

 僕らはペットショップを出て、一階のエントランスに向かう。モールの外には鈍色の雲が漂っており、吹き荒れる湿った風に頬を撫でられた。


 ちょうど一台のバスがロータリーにやってきたので、僕らは最後尾に座った。

 車窓に映る町並みは午前中の晴天が嘘のように黒く澱んでいる。

 窓ガラスに反射する僕の眼差しも、同じような色を宿していた。

 もともと帰る予定だったとはいえ、あそこで僕が奇妙な行動を取ったばかりに二人に余計な気遣いをさせてしまったな。

 これからは、もっと気を付けないと。


 不意に凛が肩にぶつかる。眠っているようだ。疲れちゃったのかなと、梨香さんが頭を撫でているとあることに気付いた。


「ペンダントがなくなっている。家を出るときにはしていたのに……」


 訊いてみると、凛は自分のポケットからペンダントを取り出した。

 どうやら紐とチャームを繋ぐ部分が壊れたようだ。


「これくらいなら直せるわ。私にかしてみて」


 梨香さんは似たような玩具を持っているので修理のコツがわかるらしい。

 道具を使うことなく、指先の力だけで元通りにしてしまった。


「もう大丈夫よ。なくさないようにね?」


 ところが凛はいらないと首を振り、こんなことを言うのだった。


「凜が持っていたら壊しちゃうから、梨香ちゃんにあげる」


 僕らは驚いた。そのペンダントは検定に合格しなければ当たらないはずだろうと。


「梨香ちゃんなら、大切にしてくれるでしょう?」


 真っ直ぐな目を向ける凛に、梨香さんは見開いていた目を細め、そっと微笑み返した。


「ありがとう。でも私は、凜ちゃんがくれようとした気持ちだけで嬉しいから」


 そして、その小さな手にペンダントを握らせるのだった。



「そのかわり、いつまでも凛ちゃんとお友だちでいたいな」

「もちろん、もう親友だもん!」


 凛に抱きつかれ、照れ笑いを浮かべる梨香さん。

 しかし、これは景品を入手する千載一遇のチャンスだったはずなのに。


「いいのよ。大切なものをプレゼントしてくれるなんて、凜ちゃんが私を好きになってくれた証拠だもん。それだけで私は満足だもん」


 彼女の清々しい笑顔には、屋上で見せたような面影がなかった。

 梨香さんはペンダントを手に取り、それを凛の首にかける。そして「凛ちゃんが一番似合うわ」と愛でるように頭を撫でるのだった。

 その姿はまるで本当の姉妹のよう僕には思えたが、凛は違ったようだ。

 凛は僕らを交互に見上げて、こんなことを言うのだった。


「なんだか遥兄ぃと梨香ちゃんってパパとママみたいだね」

「「えっ?」」と、僕らの声がハモる。


「そう、かしら?」

「だっていつも楽しそうにお話ししているし、ご飯を分けたりもしているもん」

「す、すみません梨香さん、凛が失礼なことを言っちゃって……」

「え? 凛、悪いこと言ったの?」


 きょとんとする凛だが、たしかにそんなふうに見えてもおかしくないのかもしれない。


「もしかして、遥兄ぃは梨香ちゃんのこと嫌いなの?」

「おバカ、そういうことを訊くもんじゃない……」

「じゃあ、梨香ちゃんはどうなの?」

「え……。私?」

「遥兄ぃのこと、嫌いなの? 好きなの?」

「あの、梨香さん、気にしなくていいですからねっ?」


 そこで僕らが下りるバス停に到着する。


「ほら降りるぞ凛」


 凛の手を引いて下車すると同時に雨が降り、僕は急いで折りたたみ傘を取り出した。


「夫婦みたいだなんて驚いたね? でも、嬉しかったかも……」


 不意に耳元で梨香さんに囁かれる。

 同じ傘のなかなので、自然と密着してしまっているのだ。


「嬉しいだなんて、冗談ですよね?」

「本当よ。もしかして根岸くんは嫌だった?」

「それは、もちろん――」


 と、そのとき予想外のことがおこった。

 凛のペンダントが壊れ、貝殻のチャームが落ちたのだ。


「うわ、梨香ちゃんが直してくれたのに!」

「待って、凛ちゃん!」


 僕の手を振りほどき、凛が地面を転がる真珠を追って駆け出した瞬間、脇道から一台の自動車が走り去り、それと同時にけたたましいクラクションの音が響いた。


「凛っ!」「凛ちゃん!」


 慌てて抱き起こそうとすると凛は元気に跳ね起き「びっくりした」と、ひょうきんな声を出す。驚いただけで接触はしていないようだ。

 ほっと胸を撫で下ろすも、すりむいた膝からは血が出ていた。


「凛、走るなって言っただろう!」

「根岸くん、怒らないであげて! 私がちゃんと直せなかったせいなんだから!」


 梨香さんの震えた声になにも言えなくなってしまう。凛も珍しく反省している様子だったので怒ることもできず、僕は梨香さんに傘を持ってもらい、凛をおんぶして歩き出すのだった。


「ごめんね、お兄ぃ」と言われ、僕も怒ったことを謝った。後ろで傘をさす梨香さんが「家に着いたらお母さんに謝らせて?」と申し出てきたが、僕らは同時に首を振った。

「梨香さんに非はありません」

「そうそう。梨香ちゃんは悪くないよ」


 しばらくして自宅が見えてくるがガレージは空だ。

 まだ帰ってきていないようだと、僕はゆっくりと息を吐いた。



「あと数時間は帰ってこないかもしれません。待っていたら雨が強まりますし、今のうちに帰った方が安全です。家まで送りますから」

「これぐらい平気よ。あ、でも傘は借りたいかも。いいかな?」

「傘だね? それなら凛がとっておきのやつを持ってきてあげる!」

「こらっ、カルルピのじゃなくて普通のでいいんだからな!」


 凛が元気に駆け込む様子に、僕らは密かに安堵の息をもらした。


「梨香さん、今日はありがとう。おかげで素敵な一日になりました」

「うん……。ごめんなさい。凛ちゃんを見守る為に来たのに、怪我をさせちゃうなんて」

「梨香さんのせいじゃありません。それに、凛だって今日はとても喜んでいましたし」

「ううん。私の方が楽しませてもらったわ。趣味を語り合える一日なんて初めてだもの」


 僕だって女子と過ごす休日なんて初めてだった。

 凛だけでなく、僕だって梨香さんと過ごせて楽しかったのだ。


「あっ、そうだ。根岸くんに返さなきゃいけないものがあるの」


 梨香さんが鞄からお洒落な手提げ袋を取り出す。

 そこには僕が貸したハンカチが入っていた。


「念入りに洗ったら色が落ちちゃって、お詫びに新しいのを用意したんだけど気に入ってもらえるかな?」



 袋の底には新品のハンカチがあった。

 四つ折りの状態で梱包され、外箱には高級店を思わせるロゴが入っている。デザインといい品質といい、僕の安物とは雲泥の差だろう。


「僕の為に、わざわざ買ったんですか?」


 僕の背中に鋭い痛みが走った。


「これ……、いくらしたんですか?」

「ええっと、少し高かったけど根岸くんに喜んでもらえるなら‘お小遣い’を奮発してもいいかなぁ、なんて……」


 はにかみながらハンカチを入れ直す梨香さんに、僕は拳を握りしめていた。


「根岸くん? どうかした?」

「いえ、なんでもありません。ありがとうございます……」

「もしかして、気に入らなかったかな……?」

「そ、そんなことありませんよ!」

「ごめんね、私、センスなくて。男の子が喜ぶプレゼントとか、わからなくて……」

「違うんです梨香さん……!」


 声を落とす彼女を前に、僕は慌てた。

 必死に否定するもこんな引きつった顔では信じてもらえないだろう。


「あっ、ママが帰ってきたよ!」



 外に出てきた凛が指差すと黒いSUVが停まっていた。

 僕は歯ぎしりしてしまう。

 こんなタイミングで帰ってこられるなんて最悪だ。


「お母さんに謝らなきゃ。凛ちゃんに怪我をさせたのは私の責任だから――」


 運転席に座る人物を見て、梨香さんは凍りついた。

 当然だろう。

 まさか学外で大嫌いなあの人に会うなんて。



「どうして、ですか?」


 車庫から出てきたのはスーツ姿のやつれた顔の女性だった。


「ただいま、凛、遙輝くん。それから……こんにちは、九条会長」


 梨香さんの姿をまじまじと見つめるその女性は旭丘高校の理事長、山村真奈美。山村凛の母にして、僕の父の再婚相手だ。

 義母さんは凛の怪我に気付くと下品な笑みを鎮め、僕と梨香さんを交互に見つめた。


「遙輝くん、家に入りなさい。九条さんも来てもらえるかしら?」


 その声は、とても冷徹なものだった。

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