10.映画が炎上?


 少し暑さを感じる土曜の朝。家の外には陽気な日差しが降りそそいでいるが、午後からは雨が降るらしく、僕はショルダーバックに折り畳み傘を入れておいた。

 僕は準備を整えたが、凛はまだリビングで受話器を握っていた。


「――わかってるってママ。お兄ぃの友だちの言うこともちゃんと聞けるもん。それじゃあね。お土産にパンフレット買ってきてあげるから」


 乱暴に受話器を置く凛を注意するも、頬を膨らませた。


「ママってば、そんなに心配なら一緒に来てくれればいいのに」

「お仕事だから仕方ないさ。それに、映画に行くのを許してくれたんだから感謝しないと」


 最初は僕らだけの外出に難色を示していたが、僕の友人、それも生徒会長が付き添ってくれることを伝えて許可が下りたのだ。

 凛と手を繋いでバス停に行くと、そこには梨香さんが待っていた。


「初めまして凛ちゃん、今日はよろしくね?」

「こ、こんにちは……」

「凛、昨日のグッズの写真は梨香さんのものなんだぞ?」

「え、そうなの!」


 戸惑う凛だったが、それを知って梨香さんに跳び寄っていた。

 バスに乗ると二人はカルルピトークで盛り上がっていた。モールに到着しても梨香さんのおかげではぐれることはなかったし、映画館でも座席の券をすんなりと買えて、無事に鑑賞することができたのだった。



「わっ、すごいことになってる!」


 ランチを終えての一服中、梨香さんが声を上げた。


「どうしたんですか?」

「ネットで映画の感想を見ているんだけど、炎上しているの……」

「嘘っ? 酷いところなんてなかったのに」


 検索してみると、ダイエルの退場についての嘆きが投稿されていた。

 敵でありながら美しい容姿とツンとした態度をする人気キャラなので、別の姿になったことを惜しまれているようだ。大きなお友だちの間では、仲間(ダイヤ)として生まれ変われたことを祝福しようという意見と、宿敵(ダイエル)のままでいてほしかったという意見がぶつかり合い論争になっていたのだ。


「すごい、『ダイエル』がトレンド入してる!」

「もう! 『光墜ち』まで書いたらネタバレになるじゃない!」

「でも、梨香さんならダイエルが途中で味方になるのわかってたんじゃないですか?」

「凛も知っていたよ! 最初の歌で三人がポーズしているところ、変な隙間があったもん!」

「それはそうだけど、いつ、どこで、どうやって仲間になるのかを待つのが楽しいのよ。それを先に教えられたらドキドキがなくなっちゃうでしょ?」


 ぶーぶーっと、頭から湯気を出しながらツイートする梨香さん。

 もちろん本人名義ではなく、ファン活動する為の裏アカでだ。



「あ、ダイヤで思い出した! 凛ちゃん、一緒にこれで遊びましょう?」


 梨香さんはカルルピのアプリゲームを始めた。ダンスに合わせて画面をタップするもので、入場特典のカードを読み取ればダイヤ専用の曲で遊ぶこともできるという。


「う~~ん、ダイヤの曲って難しいよ。お家のパッドで練習しているのに」

「それじゃ、私がお手本を見せてあげる」

「わ、梨香ちゃん、すごい上手! これなら壁紙が当たるかも!」


 梨香さんのタイミングは完璧だった。

 すべての音符を逃すことなく判定枠でタップしている。さすがガチ勢とあって素晴らしい腕前だ。以前、パールの曲を凛にやらされたことがあるが、連続で成功するにつれてタイミングがシビアになるという仕様があるので僕でもクリアは無理だったのだが。


「すごいですね、途中まで満点ですよ!」

「ちょっと、今は話しかけないでっ!」

「あ、すみません!」


 目が暴走モードのときみたいに鋭くなっているが、パーフェクを達成すると限定壁紙が貰えるので無理もない。


「でも、もうすぐ電池がなくなりそうだよ?」

「嘘っ! あっ、低電力モードになっている!」

「ゲームって消耗が激しいですからね。っていうか、残り一桁じゃないですか!」


 もし電源が落ちて中断すれば、最初からやり直しになってしまう。


「曲は半分まできているよ!」

「止まる止まる、やばいわやばいわ! クリアが先か電池切れが先か!」


 二人揃って電動バイクみたいなことを言い始める。

 画面内では可愛らしい衣装のダイヤが曲に合わせてスカートを翻しているがこっちはそれどころでない。


「残り1%だよ!」

「どうしよう……! どなたか、どなたか充電させてもらえませんかぁ!」

「テレビ番組みたいなこと言わないで下さい!」


 しかしバッテリーとは奇妙なもので、残り1%からの粘りが強い。

 なんとか最後まで電力を維持し、梨香さんはパーフェクトクリアを達成できたのだった。


「やったぁ、おめでとう梨香ちゃん!」

「凛ちゃんのおかげよ! あ、画面がきえた……、充電したら壁紙を転送するね?」


 ハイタッチする二人を眺めていると、スマホにメッセージの通知がきた。


「もしかしてママからの連絡?」

「ああ。今日は夕方までに帰れるってさ。映画も見終わったって送るよ」

「え~~。凛、もっと遊んで行きたいのに~~」

「でも、ママと約束したんでしょう? もう帰らなくちゃ」

「むぅ。仕方ないなぁ」と、腕を組む凛だが内心では満足している様子だった。

「梨香さん、凛に付き添ってもらえますか?」


 僕は伝票を持つと、レストランの外にあるトイレを指差した。


「え、お会計は……」

「凛を一人で待たせるのは心配なので」

「……うん、わかったわ。行こう凛ちゃん」


 梨香さんたちが退店し、僕はレジに向かう。伝票に気を取られていると、途中で他のお客さんにぶつかりそうになった。


「あっ、すみません! あの、エクスキュズミュー!」


 一人の女性が僕の前に立っている。マスクが顔を隠しているが、綺麗な碧眼と優美になびいた銀色の髪から外国人かと思ってしまい、つい英語で謝ってしまった。

 彼女は僕を素通りすると、席についてスマホを取り出している。そこはちょうど僕らの使っていた席の真後ろだった。


「ふぅ、危ない危ない。気をつけなくちゃ……」


 会計を済ませて合流すると、梨香さんが財布を取り出そうとしたので僕は首を振った。


「いいの?」

「凛に付き添ってくれたお礼です」

「うん。ご馳走様。根岸くんって、なんだか、思っていたよりもスマートだね?」

「いえ、最近太りましたよ?」

「ウィットはないね。もっと練習しなくちゃ」


 意地悪な笑みを浮かべる梨香さんに、僕は顔を引きつらせる。話術ってどこで覚えるのかと考えていると「あっ!」と、凛が声を上げて走り出してしまった。


「あそこにワンちゃんがいる、バロンとそっくり!」

「こら、走っちゃダメだぞ!」

「凛ちゃん、待って!」


 ペットショップの犬たちを見つけるなり、僕らの手を振り払って走り出してしまう。止めようとしても間に合わず、凛は男の人に衝突して転んでしまったのだった。


「凛!」


 慌てて凛を抱き起こし、ぶつかった人を見上げて僕は謝った。


「すみません、お怪我はありませんか?」


 相手は糸のように細い目をした、僕と同じ歳ぐらいの男子だった。

 彼は手にしていた袋を覗き、商品に傷みがないか確認していた。楽器屋のロゴが入っているから機材だろう。もし壊れていたら弁償しなければならない。


「中身は大丈夫でしょうか?」

「あぁ、たぶん平気です」

「よかった。本当にごめんなさい。ほら、凛も謝りなさい」

「いいって。それじゃ」


 二人で頭を下げるとその人はエスカレーターで一階へ下りていく。

 幸い凛に怪我はない。僕は安堵の息を吐きながら服についた汚れを払う。凛はしゅんとしているが、なにかの拍子に走り出すのは子どもの習性なので簡単には治らなかった。


「まったくもう、気をつけなきゃダメじゃないか!」

「はい、お兄ぃ。……ワンちゃんを見に行ってもいい?」

「お前、本当に反省してんのか?」

「ごめんなさい根岸くん、私がちゃんと手を握っていなかったからだわ」

「梨香さんのせいじゃありませんよ。凛のやつ、けっこう力が強いですから」


 凛の手を強く握ると、あろうことかペットショップへと引きずられてしまう。


「まったく、すぐに帰るって約束しただろう?」

「いいじゃない。バスの時間もまだあるし、少し見ていきましょう?」


 梨香さんの言葉に僕は戸惑ってしまう。一緒に説得してくれると思ったのだが、なぜかしきりに背後を気にしながら店に入ろうとしている。

 奇妙な様子にどうしたのかと訊くと、さっきぶつかった男子が知り合いなのだという。


「梨香さんの友人だったんですか?」

「うん。相手は気付いていなかったけど、たぶん神崎くん」

「神崎さん、ですか? 聞き覚えのない名前だし、学校で見かけたこともないんですが?」

「当然よ。私の中学の同級生で、別の高校に進学したんだもん……」

「え、まさか――」


 僕は口をつぐむ。彼女の表情を見ればすぐにわかった。

 さっきの男子、礼節を欠かない範囲のくだけた受け答えで、服装や立ち振舞いもじつに堂々としたものだった。きっとたくさんの異性とも交流できるスペックの持ち主なんだろう。だから梨香さんとも付き合うことができ、彼女の趣味も知れたのだ。


「我儘を言ってごめんなさい。エントランスに行くのが見えたから、帰る時間を少し遅らせてもらえないかしら?」


 手を組む梨香さんに僕は頷き、ペットショップで時間を潰すことにしたのだった。

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