7話 橙は緊張、こわばる色

 放課後の部活動の時間、私の筆は宙を浮いていた。

 先輩を手伝えない無力感、友人が遠くに行ってしまう感覚、自分のふがいなさ。それが一斉に押し寄せて、描くものが決まらない。せめて色虫退治ぐらいには、あのガサゴソ動き回るのは苦手だけど、唯一の特技である色ぬりが活かせる。けど手伝ったら先輩の将来をじゃますることになる。どうしたら……


「珍しいわね。虫の絵なんて」

「いえ、これはただのラクガキで。すぐ消します」


 下書きの筆がいつの間にか色虫を書いていた。こんなの描いたら本当に色虫が来ちゃうよ。


「すみません。白居みうさんはいますか」

「あら、また珍しいことが」


 私?

 教室の外から呼びかけられ、顔をキャンバスから外す。外にいたのは体操服を着た女の子たちだったけど、誰一人も私のクラスでは見ない子だった。それに先生が手伝いをお願いしにここ美術室に来ることはあるけど、よそのクラスの子が来るとかなんて今までなかった。

 それで部長が珍しいって言ったのか。


 それにしてもいったい誰だろうと、先頭に立っていた一番背の高い女子(体操服のラベルが赤だから六年生だ)に近づいた。


「あの私に何か用事ですか」

「交通安全のポスターを描いた白居さんですよね。島波先輩のご友人の」

「う、うん」

「私、六年の灰原あずさ。私たち島波さんと同じ陸上部の部員なんです」


 前おでこが全部出して、後ろにまとめている灰原先輩はまるで学級委員のようにきっちりとした口調で。いつも顔を合わせてる唯一の先輩である青山部長がふわふわとしているため、こういう人との話し方がわからなくてこっちまできっちりといけなくなる感じがする。


「実は白居さんに応援ボードの作成に協力をお願いしたくて来たのです」

「応援ボードですか?」

「はい、島波さんが常盤虹マラソンに出場することは知っていますか。あのマラソン大会、有名なYouTuberのライブ配信とかテレビ中継とかいっぱい来て、参加するだけで大変な注目を集めます。同じ部員の仲間として何か応援グッズを作ろうと応援ボードをと思いまして」

「それでどうして私に?」

「誠に恥ずかしいことですが、走ることには自信があっても、美術に関しては疎く」

「運動センスがあっても、美術センスゼロなんです」


 灰原先輩の後ろにいた男子部員(この子は緑だから三年生だね)がお手上げのポーズを取る。


「そこに、今日はられ出したポスターにあなたのお名前があったのを見かけまして。以前島波さんのクラスのご友人として、白居さんのお名前をお聞きしたのを思い出し、この方ならとご協力を願いに来たのです」

「装飾とかあればけっこう目立つんだけど、肝心の色の選択を間違うと島波先輩走ってる最中見逃すと思うから。だから白居先輩の力を貸してほしいんです」

「この通り、私たちに応援ボード作成のリーダーとしてご協力お願いします」


 一斉に部員たちが練習したかのように、一糸乱れず同じ角度同じタイミングで、垂直に私に向けてお辞儀をした。


 え、え、どうしよう。

 いつもなら、「ついでに」とか「頼むよ」とか軽い感じで頼まれるのだけど、今までのとはまるで違う空気に腰が引けてしまっていた。しかもリーダーだなんて。


「む、むり。私、リーダーとかできないよ」

「色ぬりとどの色がいいかの指示だけでいいから」

「文字とか装飾とかはぼくたちでやります。白居先輩が頼りなんです」


 かたくなに譲らない陸上部の人たち。手伝いしかしてないのに、そんなこと。


「あのやっぱり私には荷が重くて」

「やってみたらいいと思うわよ」


 話を聞いていた部長が、外堀を埋めるように勧めてきだした。


「部長。私リーダーってタイプじゃないです」

「はいここにいいお手本がいます。私です。私が美術部の仕事を全部したり、作品にああしろこうしろと指摘しましたでしょうか」


 青山部長が部活でしていることを思い出すと、そんなことはまったくしていない。美術室のカギを開けたら、部長含めて好きなように作品を描く。あとはうろうろ回ってアドバイスをするぐらいで、特に何かをすることはしてない。

 でも今回のは特に目標もない美術部の活動とは違う。期限までに応援ボードを作る目標がある。


「でも締め切りとか」

「白居さんが手塚先生にポスターを頼まれた時、どうだったか覚えている」

「部長が下書きを描いてくれて、終わるまで待っててくれました」

「そうね。今回も似たようなものじゃない? やることは。リーダーという言葉に自分を潰さないで。遅くまでがんばったポスターを通じて、みんな来てくれたんでしょ。自分のできることに頼られるってすてきなことだから」


 色ぬりしかできない私。今まではそれしかできないから、クラスにしがみつくための手段でしかなかった。けど色ぬりができる私を信じて陸上部の人たちが一同に集まっている。

 少し息を吸って気持ちを落ち着かせると、灰原先輩に向き直る。


「大会までにいくつ作る必要がありますか」

「できれば陸上部の部員全員分。島波先輩以外の十人分」

「十人分!? 間に合うかな」

「では色をぬる箇所は極力減らしましょう。下敷きはダンボールをつかって」

「去年の運動会で使ったポンポン再利用しない? 銀紙だから目立つよ」


 みんなが自分たちのアイディアを勝手に出して、動き出しているし。これなら本当に色のことだけを指示すればいいかも。


「白居さんふぁいと」

「ふぁ、ファイト」


青山部長がぎゅっとこぶしを作って応援されると、私もつられてぎゅっとこぶしを作って返した。

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