第14話 いざ宋へ出立! まずは瀬戸内海

5月に入り、いよいよ宋へ出発する事になった。


「日本一の美女・清少納言と源氏物語の作者・紫式部が、使者として宋に行く」


と言うので、京の町は大混乱だった。

一目その姿を見ようと、朱雀大路には朝から大勢の人が押し寄せていた。


「清少納言様~」「菩薩の生まれ変わり!」「天女様!」


清少納言のファンは男性貴族以外にも僧侶が多い。

一部の僧侶たちは揃いのハチマキをして、金箔を巻いた棒を手に、一糸乱れずに踊っている。

千年後ならアイドルの親衛隊と言った所か?


「紫式部様~」「紫の君~!」「早くお戻りになって源氏物語の続きを!」


一方、紫式部のファンは逞しい武士以外に、女性貴族が多かった。

女性貴族たちは手にしたうちわに、光源氏や頭の中将の絵を描いて描いている。

こちらも熱烈なファン・アピールだ。

ちなみにマッチョな武士はエロ目的で紫式部のファンだった。

巨乳の彼女は屈強な北面の武士たちに人気があるのだ。


清少納言も紫式部も、物見(サイド・ウィンドウ)を開き、そこから顔を覗かせて通りに集まった人々に手を振っていた。

二人とも上機嫌だ。

清少納言は「私の方が男性人気があるわね」と思い、

紫式部は「私の方が早く帰って来る事を期待されているわね」と思い……。


そしてその後ろのノーマルな牛車には

「いいなぁ。お姉様方。私も早く、お二人のような人気のある歌人になりたいなぁ」

と呟く和泉式部がいた。



羅城門を出ると、急に悪くなった道を牛車は進む。

最初に向かうのは摂津国の住吉大社だ。

ここで一同揃って航海の安全を祈願すると、近くの住吉津は向かう。

そこには既に宋に渡る船が待っていた。


白い船体で縁を朱色に塗った真新しい船だ。

二本のマストには、やはり真新しい帆が張られている。

前部マストの前に神を祭る社が、そして船体の前後に屋倉(屋形、現代で言うブリッジとキャビン)が設けられている。

全長30メートル、幅8メートルで、作りは以前からあった遣唐使船と同じだ。


今回の乗員は80人。

船頭・火長・衛士頭・部領使の幹部四人と、水手60人が船の乗組員という事になる。

残り20人が宋の都・開封に行く従者と護衛だ。


船を見た和泉式部が目を輝かせた。


「この船で宋に渡るんですね……素敵」


すると近くに来た船頭が言った。


「見た目は立派だよ。大陸に渡るために装飾された船だから。でもこの形の船は、河を航行するための底平船なんだ。海を渡るには向いていない。だけど大陸の役人はこの形式の船でないと朝貢とは認めないから港に入れてくれないんだ。本当は大昔に使われていた船底が尖った船の方が海の航海には向いているんだけどな……。実際、海賊の方が海を渡るのに成功しているしな」


「そうなんですか?」


よくわからない、といった顔をしている和泉式部に船上から声がかかった。

既に乗船している紫式部だ。


「和泉ちゃ~ん! なにしてるの? サッサと船に乗りなさい! 早くしないと良い部屋は他の人に取られちゃうわよ!」


それを聞いた和泉式部は慌てた。


「待って下さい! いますぐ行きます」


船頭が二人のやり取りを聞いて笑っている。


「そうだね。俺たちも仕事しなくちゃ」


そう言って水手たちの方に向かって行った。



乗員を乗せた船は櫓を使って住吉津を出、海の玄関口となる大阪湾の難波津に向かう。

ここで宋の皇帝に送る貢ぎ物などを乗せた。

日本から送るのは砂金、銀、硫黄と刀、扇などや螺鈿・蒔絵の細工物だ。


難波津を出た船は、瀬戸内海を西に進む。

風向きも潮の流れも順調だ。

出航してすぐは紫式部も和泉式部も大はしゃぎだった。

舳先に立って海を眺める。


「うわぁ、気持ちいいわね」


そう言った紫式部に和泉式部が賛同する。


「そうですね、海からの風が気持ちいいです。あ、紫の姉君、見て下さい。船の前を大きな魚が泳いでいますよ!」


「アレは魚じゃなくてイルカね。1・2・3……全部で8頭もいるわね。あ、あそこでジャンプした」


「アレがイルカですか? 私、見るのは初めてなんです」


はしゃぐ二人を尻目に、清少納言はイジワルそうな笑いを浮かべていた。


(せいぜい今の内に浮かれてなさい。もう一刻もすれば……)



そして一刻後……

清少納言の予想通り、紫式部も和泉式部も屋形に入ってダウンしていた。

出航直後の元気はどこへやら、青い顔をして横になっている。

清少納言は屋形に入ると、和泉式部にだけ話しかけた。


「あらあら、和泉ちゃん。どうしたのかしら?」


和泉式部は虚ろな目を彼女に向ける。


「清の姉君……実は、半時ほど前から気持ちが悪くなってしまって……さっきも戻してしまったんです。これが話に聞く船酔いというものでしょうか?」


清少納言は「さもありなん」と頷いた。


「そうね。駕籠や牛車なんかでも長時間乗っていると酔う事があるでしょ。船の揺れはそれとは比べ物にならないから、どうしても酔ってしまうのよ」


「清の姉君は、なぜ平気なんですか?」


「私? 私は事前に薬を飲んでいるから。それと船に乗る前は十分に睡眠を取り、胃に負担がかかるものは食べないようにしていたわ」


それを聞いた紫式部は薄目を開けて清少納言を見た。

彼女は「これからしばらく日本の料理は食べられない」という事で、朝から肉や魚をドカ食いしていたのだ。


「清の姉君。私にも船酔いの薬を分けて頂けないでしょうか?」


和泉式部が縋るようにそう頼む。


「ええ、いいわ。和泉ちゃんは私にとっては妹のようなもの。そのアナタが苦しんでいるのを、そのまま見過ごす訳にはいかないわ。本当はこれらの薬は大変高価で貴重なものだけど、アナタになら分けてあげる」


清少納言はキッチリと恩を売る事を忘れなかった。

これからの長い旅、和泉式部を手懐ける事は重要だと考えたのだ。

そして彼女たちが船酔いに苦しむ事も計算済だった。


清少納言は巾着袋から五苓散という漢方薬を取り出すと、それを茶碗に入れ水で溶かすと

「さあ、お飲みなさい」と和泉式部の手渡した。


「ありがとうございます。清の姉君」


そう感謝の言葉を述べて、和泉式部は受け取った薬を飲み干す。

茶碗を受け取った清少納言は「手を出して」と言った。

和泉式部は黙って手を差し出すと、清少納言はその手首から少し下がった内側にある内関(ないかん)というツボをマッサージしはじめた。


「このツボはね、乗り物酔いに効くのよ。どう、楽になってきたかしら?」


「はい、さっきよりもだいぶ気持ち悪さが薄らいできました。本当にありがとうございます、清の姉君」


清少納言は穏やかな笑みを浮かべながら、横目で紫式部の様子を見た。

紫式部は目を閉じて横になっているが、それがただの演技だと清少納言は知っている。

強情な紫式部は、和泉式部の前で助けを求めるのはプライドが許さないのだ。


(その内、彼女も私に助けを求めるだろう。その時にはうんと恩着せがましくしてやる。この中で誰がリーダーか、それをハッキリさせなければね)


清少納言は優しく和泉式部に言った。


「さ、もう寝なさい。少し眠るだけでも乗り物酔いは違うから。また吐き気がしたら、今度は違うお薬をあげますね」


それを聞いて和泉式部も安心したように横になる。

清少納言は小さく口元だけで笑うと、またもや紫式部の様子を伺って静かに甲板に出た。



それから半刻ほど……


(そろそろかな?)


甲板にいた清少納言がそう思った時、屋形の戸が開いた。

出て来たのはフラフラの状態の紫式部だ。

気づかないフリをしている清少納言に、紫式部は弱々しく声をかけてきた。


「清の姉君……」


清少納言はいま初めて気がついたように紫式部の方を見た。


「あら、どうされたのですか? 紫の君」


紫式部はフラフラとゾンビのように歩きながら、清少納言の前まで来るとへたりこんだ。


「船に酔ってしまったようで……もう気分が悪くて……うぷっ」


そう言いながらも紫式部は口を押えた。

しかしすでに何度も戻している彼女は、既に吐くような物は残っていない。


「それは気の毒に……」


清少納言はあえてそれしか言わなかった。

仕方なく紫式部は吐き気と悔しさで涙目になりながら、清少納に頼んだ。


「先ほど姉君が和泉ちゃんに飲ませてあげた薬、私にも分けて頂けないでしょうか?」


「ああ、あの酔い止めの薬」


清少納言は内心ではニヤニヤしながらも、表情だけは残念そうに取り繕うのを崩さなかった。


「あのお薬は大変高価で貴重な物なの。それに私も多くを持ってきている訳ではなくって……この先も旅は長いのだから、使いどころは考えなくってはいけないの」


紫式部は苦しそうな顔のまま俯いた。

彼女にしても、清少納言が断って来るのは十分に予想できたのだ。

だが苦しさの余り、それでも唯一の希望をかけてこうして頼み込んでいるのであった。


「ところで和泉ちゃんは、あれから良くなったのかしら?」


わざとらしく清少納言が聞いた。


「はい、薬が効いたらしく、今は眠っているみたいです。でも私は眠る事も出来なくって……」


(もうこの辺でいいだろう)


清少納言はひざまずいている紫式部の手を取った。


「苦しくて仕方がないのね。解ったわ。とても高価で貴重なお薬だけど、アナタのそんな辛そうな様子は見ていられないわ」


清少納言は「とても高価で貴重なお薬」を殊更に強調した。

しかし紫式部はそれよりも「薬を貰えるかもしれない」という事の方に驚いて顔を上げる。


「なにより紫の君、アナタも私にとっては妹のようなものだから。アナタもこれから私を姉として接して下さいね」


「妹のようなもの」「姉として接して」


清少納言のダメ押しだ。

だが今の紫式部に抵抗できる気力は残っていない。


「はい、ありがとうございます……」


虚ろな調子でそう答える紫式部に、清少納言は勝ち誇ったような笑いを浮かべた。



●ちょっと説明

※1、朱雀大路:平安京の中央を南北に走る大通り。

※2、物見:牛車の両側面についているスライド式の窓。ここから両サイドを見る事ができる。

※3、摂津国:今の大阪府淀川以北および大阪市域と尼崎市から神戸市・三田市に至る兵庫県南東部くらい。

※4、住吉津:住吉大社の近くで細江川の河口にあった港。

※5、船頭:船長。この時代は『綱首』や『綱司』とも呼ばれていたらしい。

※6、火長:航海士

※7、部領使:人員や物資を目的地に送り届けるための使者

※8、水手:下っ端の水夫。船の櫓を漕ぐ以外にも、いざという時の護衛役でもある。

※9、五苓散(ゴレイサン):漢方薬の一種。乗り物酔いに効く。(本当は酔う前に飲まないとダメらしい)


****************************************

今回のウソ設定

※1,僧侶の一団がハチマキしてサイリウムの代わりに金箔を巻いた棒で踊ったとか、紫式部のファンがうちわに光源氏の絵を描いていたとか、言うまでもなくウソですから。

※2,衛士頭:これは造語です。衛士はあっても衛士頭なんて言葉はありません。衛士とはまぁ護衛の兵士みたいなものです。

※3,ここでは住吉津で人が乗って難波津で荷物を載せたとしましたが、実際はどうだったか解りません。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る