第9話 真相の一端

 場所は、二つの大学の近くだとまずいと思ってか、敢えて、このあたりの中心都市で人に紛れるように会えばいいだろうということで、二人は駅前の喫茶店で待ち合わせをすることにした。

 それぞれ、一般企業のように、ノー残業デーというのが、週に一度あり、水曜日がその日に当たるのは、両研究所とも同じだったので、水曜日にすることにした。

 小林研究員の馴染みの喫茶店ということで、小林研究員が先に来ていたのを、

「待たせてすみません」

 と言って、沢口研究員が訪れるということであった。

「どうしたんだい? 君の方から呼び出してくるなんて」

 と小林研究員は切り出した。

「すみません、お忙しいところを。実は今うちで研究していることがあるんですが、その研究に、以前小林研究員が携わった、細菌の悪玉から善玉を作り出す工程ですね。あれについて少々お伺いをしたいと思ってですね」

 と沢口研究員は言った。

「しまった。そういうことなら、来なければよかった」

 と焦ってしまった小林研究員だったが、すぐに考え直して、

「でも、過去のことを少しでも知っていれば、この俺に聞きにくることなどないよな。それだったら、いくらでもごまかしは利くというものだ」

 と、考えたのだ。

「確かにあの時に、自分も研究者の一員としていたけど、でも、俺に聞かなくても、研究資料があるから、それを読めばいいじゃないか」

 と小林は言った。

「はい、確かにそうなんです。そして以前発表された資料を読んでみたんですが、その内容が、入り口と出口には詳しく書かれているんですが、そのプロセスが中途半端な気がしたんですよ。それで、シェルターを使って、同じように悪玉から善玉を作ってみたんですが、何かしっくりこないんですよ」

 と沢口がいうと、

「それは、想像していたものと違うものができたということなのかい?」

「いえ、そういうことではなく、想像していたものがちゃんとできて、その過程も想定外なところは一切なく、キチンとできあがっていたんですよ。でも、何かが違っているような、あるいは何かが足りないんじゃないかって思ったんです。だから、資料には過程が詳しく書かれていないのではないかとね。でも、それは書かれていないのではなく、書けない何かがあったのではないかと思ったので、無茶は承知で、小林さんに連絡を取ってみたんです」

 という沢口に、

「なるほど、そういうことか。だけど、俺はそんなに知っているわけではないんだぞ。確かにあの時、一緒に研究していたけど、本来なら悪玉を一緒に殺せる研究もしたかったんだけど、里村研究室との間の競争もあったし、何よりも早く開発しないと、社会の崩壊を招いてしまうのを放っておくわけにはいかないと思ったのでね。さすがに人の命よりも、自分たちのプライドを優先させるというのは、無理があるからね」

 と、小林は言った。

「それはそうだと思います。それで、あの時にできなかったという事情も分かったうえで、小林さんなら、何かヒントのようなものを見つけられたのではないかと思ってですね」

 と沢口がいうと、その言葉に指先がぴくっと動いて、身体に一瞬、悪寒が走ったのを感じた。

 眉がぴくっと動いたのを、沢口は、分かった気がした。

「沢口君は、何か勘違いをしているようだね」

 と言われて、今度は沢口がハッとした。

「どういうことですか?」

 声が若干震えている、

「君は俺が里村研究員の一員だということを分かってきているのかい?」

 と訊かれて、

「はい、だから先ほども申しましたように、無茶を承知で来ていると申し上げたんです」

 という沢口に対し。

「そこまで分かっていながら来たということは、暗礁に乗り上げていて、身動きが取れなくなった。とりあえず、身動きが取れるようにするには、どこかを崩さなければいけない。そのどこかを潰すのに、そのほとんどに俺が絡んでいると思ったんじゃないかい? そうじゃなければ、こんな特攻攻撃ができるわけもない。俺はそう感じているんだが、違うかい?」

 と、小林研究員は言った。

 二人は、実際に面識があるわけでもないが、記者会見などが行われた時、お互いに数名を招待することになっているのだが、その関係で、挨拶をする程度だが、顔は合わせたことはあった。

 もちろん、話をするのは初めてなので、初対面の相手にいきなりこのような微妙な話をするというのは、本当はルール違反なのかも知れないが、敢えてそれをするのも、沢口研究員の性格と言ってもいいだろう。

 小林研究員も、そんな彼の態度が嫌いではない。むしろ好きなタイプだった。それだけに、お互いに意識しあう相手であることに違いはなかった。

「小林さんのいう通りなんですが、自分には、何か今ちょっとしたビジョンが見えているんです。それが形になるまでに、あと一押しだと思っているんですが、その部分を補ってくれるのが、小林さんから聞けるお話ではないかと思っています」

 と沢口がいうと、

「もし、俺が断ったら、どうするつもりなんだい?」

 と言われて、

「それならそれでしょうがないから、また振り出しに戻って考えます」

 と即答だった。

 確かに、切羽詰まっているのだろうが、だからと言って、焦っているというわけでもなさそうだ。もし、焦っているようなら、このまま門前払いでもいいだろうと思っていたが、そうでもないのを見ると、少なくとも、こちらにも何か有利になる情報をくれそうな気がしたので、話を訊いてみることにした。

 それを告げると、

「ありがとうございます。やはり、小林さんは僕の思っていたような人だ」

 というので、

「どういう人だと思われているんだろうね?」

 と聞きなおすと、

「小林さんは、久保議員のような人ではないかと思うんです。もちろん、いい方の意味でですけどね」

 と、沢口は言った。

「議員の久保氏というと、数年前のパンデミックの時のスポーツの世界大会で実行委員長をしていた久保さんのことかな?」

 と小林が聞くと、

「ええ、そうです。あの大会は結局、日本の態度が曖昧で、しかも、世界の実行委員会の力が増大だったので。彼らの私利私欲のために日本が犠牲になったあの時の初代日本の実行委員会の会長です。あの人は失言問題で辞任することになりましたが、あれは、結局国民が発言に過剰に反応したことで、辞任に追い込まれた形になりましたが、考えてみれば、あの人だから、世界の実行委員会に顔が利いたんですよ。その証拠にその後に委員長に担ぎ出された人や、国家の首相、さらに、主催都市の知事が腰抜けだったので、押し切られてしまった。国民のほとんどが反対だったのに、民主主義を根底から覆すことですよね。誰が得をしたのかというと、一部の利権が絡んだ連中だけで、あとは、終わってしまえば、案の定、会場は廃墟状態だったじゃないですか。結果論でしかなく、もしあのまま久保性会長をしていても、結局押し切られたかも知れませんが、ここまで日本が、世界の私利私欲に塗れた連中の犠牲になることはなかったんですよ。それを思うと、言い方は悪いですが、結果的に久保さんを追い込んだ国民の自業自得とも言えるかも知れませんね」

 と、トーンは柔らかかったが、言っている内容は結構辛辣だった。

 ただ、これは国民のほぼ全員が思っていることを言っただけで、これでも、まだマシなくらいではないだろうか。

「いや、沢口君の怒りはもっともだと思う。俺も同じ気持ちだし、俺ならもっとひどい言い方になっているはずだ。でも、沢口君にしては、結構な表現だよね。それを思うと、あの時の怒りがよみがえってきそうなんだが、君はよく冷静に分析しているね。言われてみれば確かにその通りなんだ。何も久保氏をあそこまで追い込む必要はなかったと思う。それに関しては、マスゴミの連中に一番の罪があるんだろうね。何しろ、国民を煽って、どこまでも必要以上に攻撃をしたんだ。いわゆる『自粛警察』と言われた言葉がそのままの気がするね」

「そうなんですよ。皆が我慢を強いられていたので、何か仮想敵でもなければ、やってられないという感じなんでしょうね。軍隊でいえば、士気が下がるとでもいえばいいのか。集団で何かに立ち向かっている時に一番大切なのは、士気なのではないかと思うしね。そのためには、何か目の敵にするものが必要なんだ。だから、自粛期間中に開いている店がターゲットになったり、最初の頃は、パチンコ店が集中攻撃を受けた。だけど、冷静に考えると、彼らから集団感染は起こっていないし、ほとんどのところは店を閉めてるんですよ。しかも、その状態で開いているところがあると、ギャンブル依存症の人を中心に、開いている店に、人が殺到する。これも余計なことなんですよね」

 と沢口がいうと、

「俺がその久保氏に似ているというのはどういうところでなんだい?」

 と小林が聞くと、

「小林さんは、こういうと失礼に当たりますが、よくも悪くも目立つんですよ。だから、防波堤にもなるし、下手をすると、最初に攻撃目標にされてしまう。でも、それを自覚しているのか、ちゃんと、自分が機能できない時の代役になれる人を育てているんですよね」

 と、小林は言った。

「買いかぶりすぎだよ」

 と小林が照れながらいうと、

「だから、どちらに転んでも、キーマンは結局久保さんだったように、小林さんは、いつでもキーマンなんですよ。それは一番小林さんが分かっているはず。だから、わざと目立つようなこともできるし、どのあたりで収束させればいいかということも、心得ている。そんな小林さんを見ていると、影のフィクサーのように見えるんですけど、違わないですよね?」

 と言われると、

「そこまで言われると、そうだとは言いにくいが、少なくとも俺の想っていることを代弁してくれたという思いはある。だから、沢口君はまずは俺のところに来たというわけだね?」

「ええ、そうです。別に苦しんでいるというわけでもないんですが。小林さんとこうやって面と向かうのも、どれだけの覚悟が行ったか分かりません。正直、さっきまで足が震えていて、言葉が出てくるのか、自分でも分からなかったくらいですからね」

 と沢口は言った。

 小林は、今回の開発において、確かにキーパーソンであった。

 川村研究室を飛び出した小林がキーパーソンだというのも、おかしな話だが、彼が今開発を進めようと思っているのは、ある意味、川村研究室の研究への援護射撃にもなるものだった。

 もちろん、一番の利益を得るのは里村研究室だということを最優先にした上で、その副産物として、どうしても、相手に塩を送る形になるのだが、それも仕方のないことではないだろうか。

 小林が考えている発明は、

「人間というのは、なかなか自分の本性が分からないもので、恐怖症だと感じていることを、自分では認めたくないだろう。川村教授の研究は、その恐怖症から偶然と必然を分けてそこから生み出される人間の本性が、自分の中にある超能力を動かして、予言のような形に進めるものだが、そうなった時、自分の分かっていなかった本性が見えないまま、自分の本性に気づかぬうちに支配されてしまうことがあるのではないかと思う。それが予言の代償であり、その代償を補うために、何かそれを自分で防御できるものがないといけないだろう。その防御法を促すための発明を、小林は考えていた。つまりは、川村研究室に今の研究が成功してもらわないと、小林の方も困るわけである」

 というものであった。

 里村研究室もそのことは分かっていた。ある意味、いい方は悪いが、

「人のふんどしで相撲を取る」

 という感じであるが、実は相手がどのような発明をするかによって、若干の手直しが必要になるかも知れない。

 そういう意味で、相手の方から歩み寄ってくれたのはありがたいことで、

「飛んで火にいる夏の虫」

 でもあったのだ。

 この状態は相手に分かったとしても、何ら小林側にとってデメリットがあるわけではない。そういう意味では話をしてもいいのだが、敢えて、ここは様子見も兼ねて、余計なことはいわなかった。

「小林さんは、目立つことが多いと思っていますが、影のフィクサーとしての冷静さをしっかりと持っています。だから、余計に小林さんを無視してはいけないと思うし、どうしても、視界に入ってくるんです。私にとって、小林さんという結界は、避けて通ることのできない結界なんだって思っているんですよ」

 と、沢口は言った。

「沢口君は冷静に状況を判断できているようだけど、かなり俺に対しては挑戦的とも思えるような辛辣な言い方をしてくるが、もし俺が頭に血が上って、二度路俺の前に顔を見せるんじゃないと言ったらどうするつもりだい? はい、分かりましたって、引き下がるつもりなのかい?」

 と小林に言われ、

「僕は引き下がるつもりでした。小林さんは確かに僕にとってのキーパーソンですが、僕が言おうが言いまいが、小林さんの研究は必ず我々に絡んでくるものだということが分かる気がするので、遅かれ早かれ、そうなるだけです。でも、なるべく早い方がいいので、僕はこうやって、小林さんを訪れているんですよ」

 と言われて小林はドキッとした。

――こいつ、分かってるじゃないか――

 と感じたからだ。

「ところで小林さん」

 と、声のトーンも、実際の声もかなり落として、沢口が聴いてきた。

 どうやら、話が変わるようで、今度は少しリアルな生々しさのある話のようだった。

「なんだい?」

 と小林が聞き返すと、

「小林さんは、川村教授をどう思っていますか? 私はあの先生が何か私利私欲に近いところにいるような気がするんですが、気のせいだったらいいと思っています」

 と言った。

「いや、小林君のいう通りだよ。教授は確かに利権が絡んでいるところに近いんだ。だけど、そこにいるというだけで、私利私欲に惑わされているわけではない。それがあの人の役目で、私利私欲の連中の動向を探るのが、教授の考えでもあったんだ」

 と小林が言った。

「えっ、教授の立場でそんなところにいると、私利私欲に惑わされたりはしないんですか? それじゃあ、まるでスパイか何かのよじゃないですか?」

 と沢口は言った。

「スパイというところまでは大げさだけど、教授が研究において、その連中に近づくことで得られるものもあるんだ。何といっても、私利私欲に塗れる連中の気持ちなど、一般市民には分からないからね。かといって、自分で塗れるわけにもいかない。自分で自分に実験台として麻薬を打つようなものですからね。そんなことは絶対にできない。それで近づくしかないと思ったんじゃないですか?」

 と小林がいうと、

「でも、そんな危険じゃないですか、一人単身で乗り込むなんて、無茶ですよ」

 と、小林は答えた。

「一人ということではない。そのあたりは、警察機構の中の公安の連中が後ろにいるから、教授は守られている。だけど、警察官でもない教授がそこまでの覚悟ができたのは、ひょっとすると、教授は自分で自分を鼓舞するような発明を秘密裏にしていたのかも知れない。警察の人にもその発明を使って、鼓舞させる。だから、教授は警察とも繋がっているし。私利私欲の連中から、必要なデータを貰うことも難しくはないんだと思うんだ」

 と小林が言った。

「でも、私利私欲の連中には、当然自分たちを守るSPのような存在がいるんじゃないかな?」

 と沢口が聴くと、

「それはいるさ。だけど、教授は先回りして、彼らの懐柔もできているんじゃないかな?」

 と小林の言葉に、

「そこまで先手を打っているのであれば、すごいじゃないですか」

「ああ、そうなんだ。教授はそういう私利私欲に塗れている連中から、その彼ら自身の本性を調べて、さらに、彼らを潰すだけの証拠も抑えているんじゃないかと思われるんだ。あの人は先手先手を打って、次第にまわりから固めて行っているんだ。だから、あとは君たちも開発待ちというところもある」

 と小林に言われて、

「僕たちは、そんな思惑があるなんてまったく知らずに研究していたので、そんなに大切なことだとは思っていなかったんですけど」

 と、沢口は言った。

「それはそうだろうね。最初から知っていてはまずかったからさ」

「じゃあ、どうして、今は話してくれるんですか?」

 と小林に聞くと、

「もう、今の段階になってくれば、後は計画が分かったところで大丈夫だからさ。きっと教授もそう思っているはずさ」

 と小林が答えた。

「じゃあ、小林さんが里村研究室に移籍したのも、最初からこの計画のため?」

 と聞くと、

「それは違ったんだ。でも、結果的に移籍していてよかったと言ったところだろうか。ケガの功名というところだね」

 と言って、小林は笑った。

「じゃあ、僕たちの研究は一体何だというんだろうか?」

 と聞くと、

「それは、君たちが気付いていくことだと思うよ。今俺がここで話すことではない。だが、君たちが今やっていることは、決して無駄なことではない。だからと言って、焦ってはダメなんだ。しっかりと現状を見て、今後の世の中にどういう発明が必要なのか。そのあたりを研究してもらいたいと思うね」

 と小林は言った。

 言い終わってすぐに思い出したかのように、

「あっ、それからね。マスコミの中で少し我々おことに気づき始めたところがあるようだから、気を付けてね。今までは何も知らなかっただろうから、何を訊かれても話がトンチンカンだっただろうが、今は少し知ってしまったので、そのあたりの対応には、考えた方がいいところがある。だから、この話は研究員にはまだしないでほしい。マスコミに聞かれた時に困るからね」

 と、小林は釘を刺していた。

「はい、分かりました」

 と言って、その日の二人の話はそこで終わった。

 何となくだが分かったことも多かったので、少し気を取り直して翌日からの研究ができると思うと、沢口研究員は酔いもいい具合に回ってきて、その日はゆっくりと眠ったのだった。

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