第8話 善玉と悪玉

 気が付けば翌朝、自分の部屋の布団で寝ていた沢口研究員、途中から記憶が飛んでいて、家に帰ってきたことすら記憶に定かではない。着替えはしているし、ちゃんと布団を自分で敷いて寝ているということは、意識は朦朧としていても、本能で行動できたということであろうか。

「それにしても、あの女、何者だったんだろう?」

 と、そう思った時、忘れていた記憶が少しずつ戻ってきたような気がしていた。

 あの女との話の途中のどこかで意識が朦朧としていたのだが、あの時、意識が朦朧としてきた理由に、どういう内容だったか思い出せないが、何かの質問を受けて、それに答えられないという意識があったことで、

「都合よく気絶でもできればいいのに」

 と感じた瞬間、急に呼吸困難になってしまった。

 ただでさえ、酔った状態なのに、気絶状態になってしまうほどの呼吸困難も致し方のないことだろう。

 その時、頭の中にいろいろ何かの記憶が走馬灯のように入り組んでいたような気がした。らせん階段が二つ、絡み合っているのが見えた気がしたが、それが何だったのか、そしてその時に何を想像したのかが次第に思い出せてきた。

「そうだ、あれはDNAの模型だった。あれを見たのはどこでだったか? 大学の研究室にもあったような気がした」

 大学の研究室にはいくつもの化学式の模型が置かれていた。確かにその中にはDNAの模型があった。模型はらせん状になったものが二つうまく絡み合っているかのように見える模型だった。

 遺伝子に大きな影響のあるDNAを思い出すというのは、何かのヒントになるような気がした。

 遺伝子というのは、親から祖父母、さらに先祖から脈々と受け継がれてきたものであり、病気やくせなどが伝承されていき、そこには、

「血の繋がり」

 という概念が存在している。

 さらに現代の概念として、

「遺伝子というものは、血の繋がりによって、子孫への受け継がれるものであるだけではなく、人間が自浄しようとする能力や、ケガや病気を自らで直そうとする力も、遺伝子によって紡がれているものではないか」

 と考えられている。

 心理学や医学などの研究に、この遺伝子やDNAの研究が不可欠であるということは周知のはずであったのに、誰の口からも出てくるものでもなかった。

 きっと、誰かが言い出すのだろうという安易な考えを持っているからなのか、それとも、自分が言い出して、その研究を押し付けられるのが辛いと思ったのかのどちらかであろう。確かに遺伝子の研究は、

「入り込んではいけない結界がある」

 というものであるが、入り込もうとする人間を結界がわざと扉を開けて、咥えこむことで誰も気付かない間に処分してしまおうと思っているのかも知れない。

 その悪いことを考えた人間を成敗できるということと、何か想像もつかないような恐ろしい力が働いているのではないかという都市伝説のようなものが蔓延ることで、人間の中のルール、あるいは暗黙の了解として勝手に結界を作ってくれることを願っているのかも知れない。

 人間が自らの手で作った結界は、これ以上強いものはなく、人間が作っただけに、説得力があり、本能的にも近づくだけで、恐怖を感じるようにできているものなのかも知れない。

 遺伝子というのは、想像以上に人間の役に立っている。今まで数々の病気が、

「不治の病」

 として君臨してきたが、その薬が身体に入って効果を示すのも、遺伝子の働きなのではないかと思うからだった。

 今回の研究で気になったことを踏まえていくつかの考えが頭に浮かんでいた。

 まずは前述のように、次の研究テーマを閉所恐怖症ではなく、他の恐怖症から攻めていくことで、第一班との差別化を図ることだった。

「競争意識を持ってはいけない。同じ研究室の仲間だから」

 という感情が強かったのかも知れない。

 そもそも、競わせたのは教授の考えで、切磋琢磨を狙ったという思いがあるのだったら、こっちも差別化という意識を持ってもいいはずだった。

 競争したところで、そこから生まれるものは何もないわけではない。一足す一が三にも四にもなるという発想が現実味を帯びると考えればいいのだ。

 だったら、どうせ差別化を図るのであれば、とことん奇抜にもできるはずだ。第二班は第一班と違って、新たな発想を抱いていいわけだし、考え方を根本から変えてもいいのだ。そういう意味で、教授も第二班を作ったのではないかと思うと、根本の計画を打ち破ったうえで、研究方針の根本も打ち破ることもできるはずだ。

 自分たち第二班は、ある意味保険であり、危険性があることもできるという意味の保険ではないだろうか。

 そう思うと、研究の入り口を違うトンネルから責めるというこの考え方。ある意味教授の目論見に沿っている気がする。

 しかし、これだけでは不自由分だ。奇抜なことを行うための言い訳にしかならなければ、これほど本末転倒なことはない。こちらが失敗に終わっても、第一班の肥やしにでもなれば、それは犬死ではない。それも教授の頭にあることだろう。

 そう思うと、責任という意味では、

「すべてを私は担うから、君たちは好きなようにやりなさい」

 と言われているのであれば、余計に下手なことはできない。

 奇抜な発想は奇抜であるだけの理由をしっかり示さなければ、教授から見捨てられることもあるということだ。

 そういう意味で、この研究がいかに難しいのかということを、示している。だから、発想はでかく、いくべきなのだろう。

「ありきたりな発想などいらない」

 と教授が言っている課のようである。

 そして今の課題に立ち向かう原点の理論として、

「偶然を必然に変える力」

 というものが考えられた。

 そもそも世の中は、二つの相反するもので、形成されていると言っても過言ではないと常々思っていたはずなのに、それを忘れていたようだった。

 昼と夜であったり、長所と短所、そして、偶然と必然である。

 それらは、正反対のものだが、それぞれに影響しあって、この二つを双子星のような二重衛星のようものであり、

「片方が表に出ている時は、片方は隠れている」

 というような関係で、絶えず裏表が定期的に繰り返されているのではないかと思っている。

 長所と短所も、実は繰り返されていて、状況が見えなくなり鬱状態になったりした時、それがハッキリと見えてくるのではないかと、教授は言っていた。また、偶然と必然も同じことで、自分たちの気付かない間に、それが繰り返されているのではないか。そして、それを知っている人以外は、皆そうではないと思っている人であり、それが多数派意見となっているが、暗黙の了解として口にする人がいないだけではないかと思えたのだった。

 それを感じさせたのは、昨日の初村という女性との出会いと、酔った状態の頭が作りだした、

「遺伝子の発想」

 だったのかも知れない。

 この二重らせんの発想が、今後の研究に新しい風を吹き込んでくるような気がした。

「二重らせんという奇抜な発想は、遺伝子工学などとはまったく別の芸術として、建築学などで生かされているというのも、センスのようなものが働く時は、遺伝子がその能力を発揮するからではないか?」

 と考えることができるのだろう。

 そんなことを考えていると、昨日の女性の登場には、やはり必然性が感じられる。

「偶然の後に必然がやってくる」

 という考えから、今が必然の時期なのかも知れないと思うのだった。

 その理由として、もう一つの理論である、

「自分だけが考えていると思っていることは、結構皆が考えていることだったりすることが得てしてあるものだ」

 という考えに至ったことであった。

 この二つがどのように絡み合うのかは、これからの研究によるのだが、方向性はこれで定まった気がした。これまでは、漠然と何かの形が皆それぞれ見えていたようだが、それが、

「二重らせん」

 であったということは、分からなかった。

 さらに遺伝子工学ということになると、関わってくるのは、細菌であったり、ウイルスであったりする、

 本当は、それを大っぴらに使いたいのだが、過去に起こった某国による「サイバーテロ」によって世界的なパンデミックに陥ったことがあったので、その点にはかなりの権益があるだろう。ハッキリとしたビジョンと、安全性が証明されなければ、まったく何もできない。まずは、やはり、骨子を固めることであった。

 実際には今、開発の材料となることがいくつか考えられていて、それらが結び付くまでに至っていないことが問題だった。まずは、研究室内での第一班との競争に勝たなければ、その先はない。

 いや、敗北の汚名と傷つけられたプライドの下に、第一班の後方支援に回らなければいけない。

「敗北したんだから、そこは潔く勝者に従うのは、当然のことだ」

 と一般人は簡単にいうだろう。

「スポーツだって、勝者に対して敬意を表するから、敗者にもスポットが当たるんだ」

 という人もいた。

 歴史研究家の中には、

「歴史は戦争の歴史であり、勝者がいれば敗者がいる。勝者は、華々しく歴史の表舞台に出るが、敗者にもそれなりの美徳がある」

 と言って、敗者を中心に研究している歴史研究家もいるくらいだ。

 だが、一班の研究員はそういうことはない。表に出なければ終わりなのだ。次の機会もあるだろうが、いつになるか分からない。やはり勝者にしかスポットライトは浴びない。競技や戦争でないと、敗者にはスポットライトが当たらないようになっている。特に日本という国は、

「判官びいきの国」

 つまりは、敗者に美徳が見られなければ、魅力はないということだ。

 戦争などでは、敗者のエピソードが書物などから発見されたり、スポーツでは、努力をしている場面がドキュメンタリーで取材を受けたりすると、特集が組まれて、涙を誘うなどということがある。

 それは努力している姿が、分かりやすいからだ。

 スポーツで身体を鍛えている姿などを映像で見せつけられると、

「何とか勝たせてやりたい」

 という心に、民衆心理を誘導することができる。

 それは、努力をしている姿を自分と重ね合わせてみることができるからだ。

 しかし、研究というのはどうだろう? 研究所に籠って、寝る間も惜しんで研究している映像を流しても、誰が感動するだろうか。

 自分に当て嵌めてイメージできなければ、感動には程遠い。スポーツにおけるトレーニングであれば、どんなスポーツにおいても共通なので、イメージを重ねることができるが、研究室で専門的な研究をしているところなど、まるで嫌だった学生時代の勉強を思い起こさせて思わず顔を背けるというものだ。

 そんな状態の敗者に誰が同情するというのか、それこそ、脚光を浴びた人が、例えば世界的に有名なノーベル賞でももらったとかいうのであれば、一時的に、

「日本人の誇り」

 などという人もいるだろうが、実際にはその時だけのことである。

 一年も経てば、高校野球で日本一になった高校は覚えていても、ノーベル賞を受賞した人が誰で、何の部門なのかということすらも忘れ去っていることだろう。

 高校野球の優勝校を覚えていることは、

「それくらい常識だ」

 と世間はいうだろうが、同じ常識でも、ノーベル賞だとイメージが薄いかも知れない。

 印象にどちらが深く残るかということなので、テレビで決勝戦を見た人は、映像で覚えている。しかし、ニュースで一瞬だけ、表彰式のシーンが遠くの方で写されるだけだったり、下手をすれば、テロップのみで映像がないということも珍しくはない。やはり、スポーツというのは、

「平和の祭典だ」

 と言われるゆえんであるが、緊急事態時には、私利私欲に塗れた連中に利用されるだけなのだということを、国民は知ってるので、果たしてどこまで、スポーツを好きでいられる人がいるか、見ものでもあった。

 とはいっても、細菌ウイルスの研究は進めなければいけない。それが遺伝子関係が絡んでくると、余計になのかも知れない。遺伝子というものはいまだに解明されていない部分も多く、その伸びしろはまだまだ果てしないものがあると思われている。まずは、いろいろなサンプルを集めるのが最優先だと感じていた。

「ウイルスにおいても、細菌においても、悪玉もいれば善玉もいる。悪玉ウイルスが爆発的に流行した時でも、同じウイルスの善玉の発見により、収束を早めることができたという例もあったと聞いている。それらの資料をまずは集めてきて、実際に研究することもやってみていいのではないか?」

 と、沢口研究員は考えていた。

 ただ、よほど気を付けないと、蔓延させて、人災を引き起こすと、それは本末転倒である。あくまでもシェルターで人間が介在しない形での実験を行う必要があった。

 F大学の研究室では、その実験が可能であった。細菌シェルターを持っている全国でも有数の大学だったからだ。

 研究はうまく進んだ。思ったよりも資料の通りに実験することで、うまい具合に、精製と培養ができた。沢口研究員の考えとしては、これらの研究で、元々存在している資料は、入り口と出口、つまり、始まりと結果については詳しく書かれていたが、そのプロセスにおいては、それほど詳しくは書かれていない。あくまでも形式的に描かれているだけだった。

 そのため、プロセスを知るには、実際にやってみるしかなかった。逆に言えば、沢口研究員の頭の中では、このプロセスこそが、この研究の突破口になると思ったのだった。

 今のところ、研究を始めようにも、大きな前提すら、決まっていない。もっともその前提を見つけることが一番大切なのだ。

 前提がなければ、第一歩も踏み出すことはできない。それを思うと、今までそれを一人でやってきた川村教授というのが、どれほどすごいものなのかが分かった気がした。

「さすがに教授になるだけの人、俺たちなんか、まだまだこれからの人間ではないか」

 と思うのだった。

 それでも、今回の細菌研究において、悪玉から善玉を取り出すという実験が、今までは悪玉を生かしたままでしか、善玉を作ることはできなかったのだが、悪玉を殺しながら善玉を生成するというやり方ができればいいのではないかと思った。前の研究でもそこまでできればよかったのだろうが、何しろ、完全に蔓延してしまった状態で、善玉の効果が一番だということを臨床実験で検証済みであったので、まずはスピードということで、一気に善玉の大量生産に舵を切った。

 その成果もあって、その時の流行は収まったのだが、今度はいざ悪玉を殺しながら善玉を生かすという研究を始めようとした時、国家の予算が底をついてしまった。

 細菌の流行によって、都市封鎖などの影響で、経済は疲弊し、その保証などに国家予算を使わざる負えなかったので、もう、これ以上の研究に費やすお金は残っていなかった。

 そのため、伝染病蔓延防止プロジェクトの解散を余儀なくされ、そうなってしまうと、実験も終了するしかなくなっていた。

 一度研究が途絶えてしまうと、本当はさらなる研究が必要なのに、その優先順位は一気に下がってしまう。

「喉元過ぎれば熱さも忘れる」

 という言葉もあるが、伝染病が収束し、社会生活が元に戻ると、それまでの悲惨だった生活も、二年もすれば、国民の中では、

「過去の歴史」

 にすぎなくなってしまうのだった。

 そのため、余計にこの研究の優先順位はかなり低いところになってしまい、国民が忘れ去ったことを掘り返すことは誰も考えなくなっていたのだ。

 それが、今回の研究で日の目を見るというのは、皮肉なことなのかも知れない。実際に研究してみると、かつてお蔵入りになってしまった研究が、今回の研究のためには必要であるということが分かったのだ。

「恐怖症の特効薬には、恐怖症を和らげるだけではなく、恐怖症になる原因が、自分の中にあるウイルスや細菌のようなものが影響していて、その部分の善玉を作りながら、悪玉を殺していかなければ成立しないという検証結果が出た」

 ということだったのだ。

「まさか、かつての研究で途中でやめなければいけなくなったことが、今になって生きてくるなど、誰が想像したことだろう?」

 と、沢口研究員は考えた。

 そもそも、最初に悪玉から善玉を作って、それをその時の細菌蔓延防止につなげようとしたのは、川村研究室の成果だった。

 ただこの時、同じ研究をT大学の里村研究室でも行われていたことを知っている人は、ごくわずかだっただろう。

 川村研究室のメンバー、そして里村研究室のメンバー、大学関係者、さらには政府高官の一部くらいであろうか。

 それ以外は緘口令が敷かれ、成功して初めて発表されるということになっていたので、川村研究室、里村研究室と、早く開発できた方がその手柄を独り占めでき、もう片方には、

「必要経費だけが与えられる」

 という過酷なものだった。

 それでも、研究室のプライドとして断ることはできなかった。研究はタッチの差と言ってもいいくらいの僅差で、川村研究室の開発が早かったのだ。

 実はこの時、里村研究室で遅れた理由が、今回行おうとしている、

「悪玉も一緒に処分する」

 というやり方を試みようと思っていたからであって、その分スピードが鈍ってしまい、それでも、悪玉を殺すというノウハウは、里村研究室が握っていた。

 実は、悪玉を殺すというノウハウは、結構難しいところがあった。それさえ見つけてしまえば、善玉を作る工程くらいは、さほど難しいものではなかったのだ。それだけに、もし里村研究室が、悪玉を殺すという工程を組み込んでいなければ、きっと最初に開発できたのは、里村研究室の方だったに違いない。

 沢口研究員は、そこまで詳しいことは知らなかったが、分かったこととしては、

「こんなに、悪玉を一緒に殺すという工程が難しいものだったなんて」

 という思いだった。

 実際に、善玉を作るというところが完成した後なので、そんなに難しくないと他の研究員は思っているかも知れないが、以前の研究にも携わっていただけに、沢口研究員は余計にそのことを感じたのだ。

 以前の研究の時に、川村教授は、ほとんど携わっていなかった。したがって、善玉を作る工程を発明したのは、川村教授ではない。実は、小林研究員だったのだ。

 そのことは大桷関係者の誰も知らないことで、川村研究室でも、本当に一部の関係者、いわゆる当事者でないと知らないことであった。

 だから、小林研究員が里村教授のところに移籍するという危機に対して、川村教授は強硬に引き留めることはできなかったのだ。

 彼が向こうにいくことで、こちらの脅威になってしまうことは一目瞭然で、研究員のほとんどが、

「本当にこれでいいんですか?」

 と教授に詰め寄っていたが、教授もどうすることもできない。

 歯を食いしばって耐えるしかなかったが、あの時、精神がよくまともだったなと思う川村教授であった。

 ただ、小林研究員は、骨の髄から研究員であった。

 余計なことはいわずに、黙々と研究を続けていた。そもそも彼にはそんな駆け引きはあまり関係ない。研究ができればそれでよかったのだ。

 ただ、時々、川村研究室で受けた自分の研究を横取りされたという悔しい思いが頭をよぎり、気を失ってしまうのではないかと思うほどに、精神状態が狂ってしまうのだった。

 そんな小林研究員に、沢口研究員から連絡が入った。

「どこかで話ができないか?」

 ということだったので、少し躊躇した小林研究員だったが、馴染みのある沢口研究員が会いたいというのだから、断る理由もないような気がした。

 打算的なことはほとんどない沢口研究員なので、話があるとしても、研究のことに違いないということで、会うことにした。

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