第7話 春の女神(ペルセポネー)

 「結香、お前は自分に劣等感を抱かせる愛花の存在を疎んじていたし、憎んでいたんじゃないのか?」

 タナトスは愛花を羽交い絞めにした腕を緩めることなく結香のかつての言動を責め続けた。

「やめろ、タナトス!結香を追い詰めるな。ここはあくまで彼女の夢の中だ。精神が歪めば、時空が歪むぞ」

 確かに空はにわかに雲行きが怪しくなり、そこかしこの空間に不自然な歪みが出始めていた。

「知ったこことか。夢ならばお前の管轄だろう?なんとかしてみせたらどうだ」

「その子を離せ。愛花を消滅させれば、ただではおかないぞ。十二神も黙ってはいない。ペルセポネー様の御心もお前から離れていくぞ」

「それが、私にどんな関係があるというのだ? ペルセポネー様はあくまで主人の奥方だ」

「そうだ。だがお前は、ペルセポネー様を愛している」

「関係ない。問題はこの姉妹にある」

「……どういうことだ? 」

 二人の話を聞いていた結香が口を開いた。

「違う、そんなこと関係ない。私が全部いけないの。誰よりも音楽の才能のある愛花に嫉妬していたの。バイオリンも勉強も、同じ一卵性双生児としてうまれた姉妹なのに、何もかも姉さんの方が優れていた。その愛花の最後の願いまで拒絶して、絶望に突き落として死なせたのよ。責められるべきは私なのよ」

 結香は頭を抱えて泣き叫んだ。

「結香……。それは違うわ。あなたこそが私の憧れだった。いつも明るく朗らかで、たくさんの人に囲まれ愛され微笑んでいる、あなたこそが私の憧れだった。各務くんのことではごめんね。あなたを苦しめてしまった事をどうか許して」

 愛花がそんな風に考えていたなんて思ってもみなかった。幼いころから容姿は瓜二つでも性格は全然ちがった私たち。思慮深く物静かで、穏やかな姉はどこか大人びて見えて、周囲の人たちからも一目置かれていた。それに対して私は落ち着きなくて、ドジで失敗ばかり。お転婆だって言われても、両親はそんな私の活発さを受け入れてくれたお陰でのびのびと色んなことにチャレンジすることが出来た。愛花が病魔に侵されるまでは……。

「フン。俺たちの事は無視か。いい気なもんだな。なぁ、モルペウスよ」

 タナトスはそうモルペウスに投げかけた。

「そろそろ白状しろよ。一体なぜ愛花を攫ってきた?」

 タナトスは観念したように、空を仰ぎ見て、大きくため息をついた。

「愛花を初めて見たとき、あぁ春が来たと思った」

 タナトスはそういって、青白いが整った端正な横顔を愛花に向けた。

「お前の言った通りだよ。俺は冥界で初めてペルセポネー様にお会いした時、その春の女神然たる華やかで若々しい美しさに感嘆した。その時からずっとお慕いしていた。だが冥界の王たるハーデス様の奥方に横恋慕するなど重罪だ。許されるはずもない。おれは幾春秋季節が巡り何千年経とうとも彼女への想いを捨てきれなかった。そもそも死神の俺に恋をすることなど許させるはずもない」

 初めてきくタナトス(死神)の物語に一同は静かに耳をすました。

「ペルセポネー様にお会いして数千年が経過したころ、東洋のある国に部下の仕事ぶりを見に行った時に、偶然愛花に遭遇した。いや、愛花は俺を死神として認識していたかどうかはわからないが……。その時、愛花の中にペルセポネー様を見たのだ。この娘こそ、ペルセポネー様の魂を受け継ぐ人間だと」

  モルペウスは頷いた。

「そうか。お前は愛花の中に愛しい人の幻影を見て、天界に連れて行かずに連れ去ったのだな……。そして自己満足の為に冥界と人間界の間(はざま)にあるこの夢魔の世界の天国(パラディソ)に愛花をかくまったのだろう? 」

「……そうだ。許されるとは思っていない。ハーデス様にも報告してくれて構わない」

 モルペウスは凄い剣幕で怒鳴りながら、タナトスの胸ぐらを掴んで揺すった。

「モルペウス様、おやめください。私が、お願いしたのです。タナトス様を利用したのは私も同じです。責められべきは私なのです」

モルペウスは目をまるくした。

「愛花、どういうことなの?」

 愛花は結香の手を取り、先ほど祈りを捧げていた泉の中の祭壇にいざなった。

白い大理石でできた祭壇の中央には、常に新しく清らかな泉の水が注がれている大きな水(みず)盥(たらい)があった。そこには自分の最も会いたい人を映し出すことが出来るという。

「結香。伝えきれない思いがあって、苦しんでいたのは私も同じなのよ。私を突き放したまま孤独に死なせてしまったと絶望して苦しんでいるあなたに、どうしても伝えたいことがあって。人間界に私を迎えに来たタナトス様が、わたしの願いを聞き入れて、ここに連れてきてくださったのよ」

「え……? 」

 結香は愛花を正面からみつめた。自分と同じ顔、同じ声。もう一人の私、何にも代えがたい二人きりの姉妹で片割れ。

「私は、あなたを憎んだり恨んだりしたことは一度も無いわ。死を迎えたあの時も今も」

「愛花……」

 二人は手を取り抱き合った。

(暖かい血の流れ……。私の半神(かたわれ))


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