第6話 告白

 〖一年前 東京都・聖カタリナ病院〗


「結香。お母さん、ちょっと売店でタオル買ってくるわね。先に愛花のところに行ってて」

「わかった」

 わかってる。愛花はもう助からない。家族は姉の死が近いことを皆知っているし、本人だって本当はもう助からないって知っているはずだ。父さんも母さんももうボロボロだ。

 母さんは愛花の看病のために仕事も辞めた。介護、母の退職、父の鬱病。ぜんぶ愛花のせいじゃないか。私だっていっぱい我慢してる。好きな人も、クラブ活動も全部やめた。そうして愛花の為にだけ。愛花の分も、ではなく、愛花の代わりに生きるように強いられる息苦しさ。まるで真綿で首を絞められていくように少しずつ私の心は死んでいった。

 日々やせ細ってあばらの浮き出た身体、やつれてこけた頬。私たちは一卵性双生児。愛花の身に迫る死の影は、私の精神をも死に追いやるよう蝕んでいった。

それだけじゃない。本当は辛い。私は姉を愛している。まるで自分を愛するように……。

 だって、愛花は私で、私は愛花だ。二人はいつもふたりで一人。一人でも二人。私たちは生まれる前も生まれた後もいつも一人の人間であるように振舞った。生まれた時が一緒でも死ぬときは一人という残酷な現実を私たちは目の前に突き付けられた。

「愛花、来たよ」

「うん」

 来たよ。沈黙が辛い。何か、何か話さなきゃと思うのに、次の言葉が出てこない。だって、何か言葉を発したら今にも泣き崩れてしまいそうだ。先生からは、もういつ何が起きてもおかしくないと言われている。つい先週、集団の病棟から個別の部屋に移された。特に重症な人を看護する病棟だ。

 看護師さんたちも担当の医者(せんせい)もみな明るくて優しい。まるでこの世には不幸は何も存在していないかのように明るく振舞う。みんな嘘つきだ。そして愛花に「ノー」を言えない私も嘘つきだ……。

「この前の話、考えてくれた? 」

「各務(かがみ)くんのこと?」

「そう……」

「最期に彼に会いたかったけど、もう無理だから……」

「やめて。最期なんて言わないで。私は明日も来る。だから……」

 各務くんは、私たちの共通の幼馴染で、私たちの初恋の相手だ。愛花は彼のことがとても好きだった。そして私も彼のことを……。でもそれは言えない、言ってはいけない。

「誰にとっても明日は確かなものじゃない。それは私も結香も同じ。生きているうちに伝えたいの。せめて手紙でも渡せたら……。会えただけで幸せだった。好きになれただけで十分だった。……それなのに、こんな姿になっても自分の気持ちを伝えたいって気持ちを抑えられない。あなたに迷惑までかけて」

「迷惑なんて、そんな……」

 愛花はもう自力で起き上がることもできない。一つ一つ言葉を発するのさえ辛そうだった。私も各務くんが好きだったなんて言えない。ましてや今でも好きだなんて。

「結香……、本当の気持ちを教えて。あなたも本当は各務くんのこと……」

「違うよ。彼とはただ小学校からの幼馴染で、今も同じ高校に通ってる腐れ縁ていうだけ。それだけよ……」

「嘘!本当の事を言って。去年の室内楽大会見てたわ。私は彼にヴィヴァルディの二重奏をしようって声かけたのに、彼はあなたとのチェロのデュオを選んだ。本当は二人で私の事を嗤っていたんでしょ? 」

「馬鹿じゃない?どうしたらそんな考えになるの? 愛花、あなたおかしいわ」

 その時個室のドアをスライドして部屋に入ってくる人の気配がした。母親だった。

「あなたたち!何を言い争っているの? 結香!愛花の気持ちも考えてちょうだい!」

 その時、私の中で何かが弾けた。私だってこれまで精いっぱい愛花に尽くしてきたつもりだった。いっぱい我慢もしてきた。でも家族はみな、愛花、愛花、愛花!私は何をしたって愛花には叶わない。バイオリンも勉強も。それなのに恋まで取り上げられた。

 わかってる、そんなの愛花のせいじゃない。病気になったことも病気で苦しんで、十六歳という若さで死と向き合わなければならない、残酷な運命と闘うことも、全部彼女が望んだことじゃない。可哀そう。可哀そうなんて言葉じゃ到底言い表せない。みんな疲れてる。私も母さんも、そして愛花も。

「わたしだって、精いっぱいやってきた。どうしてみんな私を責めるの?愛花がいなければこんな事にならなかったのに……! 」

 その瞬間、私は青ざめた。一度口にしてしまった言葉は二度と取り消すことが出来ない。言葉には魂が宿る。言霊の神に呪われてしまったかのように私はその場に立ち尽くした。

「その通りよ……。結香、母さん、ごめん」

「ちがう、ちがうの。そんな事を言おうとしたんじゃない、私はただ」

「結香、よく聞いて。家の私の机の引き出しに手紙が入っている。それを見て宛先の人に渡して」

「……わかった。また明日も来るから」

「うん」

 だがその晩遅く病院から電話がかかってきた。愛花はすでに意識不明の重体だった。そして夜が明けるころ亡くなった。

 数日後、葬儀が済んで部屋を片付けていた時、ふと愛花の言葉を思い出し、彼女の机を開けてみると、そこには一通の手紙が入っていた。

  姉は、「宛名の人に手紙を渡して」と言っていたが、各務くん宛ての手紙は見つからなかった。おそるおそる封を開けてみるとそこには私への最後の言葉がしたためられていた。


《鳴宮結香さま》

 結香へ。この手紙をあなたが読むころ、私はもうこの世にいないでしょう。各務くんのことではごめんね。手紙は家族みんなに一通ずつ、そして各務くん宛てにも書きましたが、母さんに頼んで処分してもらうかもしれない。もとより渡すつもりのなかった手紙です。

 私が本当に伝えたかったのは、結香、あなたへの気持ちよ。

私はあなたと双子の姉妹に生まれてこられて、本当に幸せだった。まもなく私はこの世を去るでしょう。でも忘れないで。あなたと私はいつも一緒。良い時も悪い時も。好きになった人まで同じだったなんて滑稽ね。でも楽しかった。

 一度でいいから好きな人と楽器を演奏してみたかった。

 それとね。結香には私と同じかそれ以上の音楽の才能がある。それもバイオリンの。私のバイオリンはあなたに譲ります。どうか弾いてあげてね。誰も弾かなくなったら楽器が気の毒だし、わたしも淋しい。チェロを辞めてって言っているわけじゃないの。私もチェロの音色は大好き。でもね、結香はわたしがバイオリンのコンクールで優勝した後に、弾くのをやめてチェロに転向してしまった。本当はあなたこそ、音楽の才能があるのに。諦めないで。そして恐れないで。私たちはいつでも一つ。たとえ私が先にこの世を去ったとしても。

 あなたは私の『半身』で『半神』いつでもあなたたちを空から見守っているわ。

 それとね、最後に一番大切なことを伝えるわね。私が誰よりも一番愛しているのは各務くんでも音楽でもないわ。結香あなたよ。あなたは私の命。愛しているわ。みんな大好きよ、ずっと。

                              鳴宮愛花

「愛花……どうして……」

 結香の目から大粒の涙がこぼれ、ぽたぽたと手紙を濡らした。私も愛花の事が大好きだったのに、こんなに愛していたのに。つまらない口喧嘩をして仲直りも出来ないまま独りで逝かせてしまった。私はきっと、一生自分を許せない。


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