〈三〉



「――――後悔は無い、と?」


 静かに問われて微笑んでみせた。

「無いさ。もちろん、神憑りハバプに失敗した時やお告げハカを上手く代弁できなかった時は、ああすれば、こうすれば良かったと落ち込む。じゃが、わし大龍女リンモに選ばれ受け入れ、報魂師レウルンとして生きていること自体に後悔は微塵もない」

「そうですか……」

「そちは神に仕えてきて何か後悔があるのか?」

 いつもなら白い細面は竈の火に照らされ橙色に染まっている。わずかに寄せた眉頭に新たな陰ができた。

「まさか。ただ、今の話を聞くと、先代大祭主シェンラプのせいであなたはレウルンに断定されたと」

「なるほど、おのが責務を重荷に感じておるのだな。じゃが現在のシェンラプは間違いなくそなただぞ。そなたとて神に選ばれてそうなった」

 分かっております、とシェンラプは乙女のように肩を抱き込んだ。「ただ、時々無性に不安になります。私は授かる神託をはたして正しく伝えられているのか、よもやなにか全く違う意味があって、間違えた意図で皆を惑わしていないか、そう、ふいに恐ろしくなるのです。新王のご制定の神託の時はそれはもう、歯の根が合わないほど震えましたもの」

 新しい王が誰なのか、王家の守護神・御霊神クラに伺いを立てるのがシェンラプの最も重要な役目だ。

「肝の小さい男だのう。さてはなにか、自ら名指ししたゲーポに不満でもあるのかえ」

「違います!けれど、我らが王センゲさまは気が良くおおらかであらせられる一方で、お父君と同じく流血をいといません」

「戦においてはむしろ褒めらるるべきことじゃ。アニロンの神々は敵を打ち倒す戦神ダラを祝福なされる」

 シェンラプは顔を曇らせた。「無論、今後も我が国を戦場にしないため禍根を絶つのは当然と存じます。しかし……あの噂をお聞きになりましたか」

「呪い病のことか」

龍神の祟りとは明らかに違うらしいのです。気がれて自刃したり同じ隊の仲間を襲ったり。病にかかってなくとも疑心暗鬼でいざこざが起きているとか、前線は混乱しているようで。味方どうしで相打ちなんて、なんと痛ましい。もしかすれば、ゲーポの血気盛んなさまを神々がお咎めなさっているのではないかと心配になり」

「ここに来たというわけか。よほど己の占断を信じておらぬのか?国が滅ぶような大凶は出なかったはずだ」

「ええ、出ませんでしたとも。でも瑞祥ずいしょうだってもうずっと頂けません。センゲさまが即位する前から、即位してからも。ですから、自分を疑ってしまう。自信がないのです」

 誇り高いシェンラプがこんな弱音を吐くなんて、戦況はかなりまずいようだ。ふぅん、と喉を鳴らして半ベソの彼を一瞥し、乳茶オジャをすすった。

「センゲ・オーカルはアニロンを庇護せし真の王。儂は疑わぬ。じゃが信仰を弱らせたそちのため、リンモにも担保してもらおう。それで良いのだえ?」

 シェンラプは指を組んでうなだれた。

「どうか、天綱ムタクが切れませんように」

 アニロンの支配者は神々に認められれば目に見えない天の綱と繋がる。それは天命さだめ、王が王で居続ける理由。選別は人の手によらず、ゆえに神の言葉を伝える預言者は絶対に必要なのだ。


 神は人にまつろわぬ。


 だからこそ異端の己がどれほど愛されているのか自覚がある。だから自信がある。重責に押しつぶされそうになる時とてあるが、声が聞こえない他者の評価は本来必要ないはずだ。ただ自分と守護神の関係を強く保てるよう、それだけに集中していればいい。



「我が愛しき御方に訊くまでもないが。なにせゲーポには儂の弟がついておるからの」

「いかな〝王の鳥キュン〟とて呪いには勝てますまい」

 何を言う、と泉にざぶざぶと入り両手を上向けた。

「大蛇は鳥がいっとう好物なのだぞ。こうしてはらに住まわせてくれるくらいに。であれば我が弟も恵みを得よう」

「それではまるで餌のようですが?しかばねになっては元も子もありません」

 なんだ、知らないのか無知なシェンラプ。口角を上げて瞼を閉じる。鳥の娘はもうとっくに食われているぞ。


 人は神にまつろわぬ。


 だから、人は人でないものにならなければ神の声が聞こえない。


「――――では、ラマナどの。お願いいたします」


 背後のシェンラプが離れ、祝詞を呟く。

 やがて掲げた両腕に白い鱗の尾が螺旋に巻きつき、さざなみが止んだ泉の底に真円の三眼が見えた。


 さあ、お母さま。


 大地を統べる女神は嬉々として愛し仔を飲み込んだ。




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リンモの贄姫 合澤臣 @omimimi

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