第2章(中編)②

「可哀想ですよね。消された人々は、存在自体を奪われて……」

「……そうですね。でも本当にそれだけでしょうか?」


 メガネの奥の眼差しが光る。俺は中村さんの言葉にすぐ反応出来なかった。何か意味深なことを言った上司の言葉を反芻する間も無く、中村さんは立て続けにこんな質問を口にした。


「坂井くん、葬式は誰のためにあると思いますか?」

「え、何ですか急に」

「良いから良いから、誰のためにあると思いますか?」

「誰って……それは、残された家族のためなんじゃないですか?」

「どうして故人ではないんですか?なくなった張本人なのに?」


 中村さんは矢継ぎ早に質問してくる。俺は俺で頭をフル回転させて葬祭業界一問一答の文言を引っ張り出してきた。


「故人はもういないので、いない人に対しては何もしてやれないでしょう?いくら故人を思って行動しても、それが喜ばれているかどうかは確認できない、そもそも死後の世界があるかどうかもわからない。だから、結局全てはご家族の方の自己満足になってしまうんじゃないかなと……」


 俺の回答を聞いている中村さんの眉毛がだんだんハの字にに広がっていくのを見て、声がだんだんと小さくなっていった。


「君……志望動機と矛盾してないですか?」

「あ、やば」

「全く……君、本当に葬式屋向きですね」

「す、すみません!……って、え?何でですか?」


 てっきり真逆の回答が来ると思っていたので、俺は手に持っていた菊を落としてしまった。


「葬式屋はね、泣いてはいけないんです。お客様に同調してはいけない」

「なぜ、ですか?」

「仕事にならなくなるからね。お客様が求めているのは一緒に泣いたり、悲しみを共有してくれたりすることではなく、こちらを思い遣った誠意のある行動をしてくれることですよ」


 気づくと中村さんはこちらをじっと見据えていた。黒目がちの目がこちらを捉えて離さない。


「なる、ほど」

「少し話がそれましたね。そうです。その通り。葬式は遺された人々のためにある。1人の人間が亡くなるということは、数十人もの人々に深い悲しみを与えます。それを少しでも癒すのが我々の仕事です」

「あの、すみません。さっきから話が見えてこないんですが……」

「つまりね、Point 0によって1番悲しい思いをしているのは遺された人々なんですよ」

「……記憶がないのに?」

「ええ、記憶がないのに。私だって、ご遺体を見て、初めてその人の死を受け入れる方を何度も見てきましたから。それだけ、肉体、物体が存在しているということは人に対して計り知れない影響を与えるんです」


 そうだろうか?思い出せなかったら、元々無いのと同じだと思う。いくらその存在を証明する物があっても、果たしてその存在を認めるようになるのだろうか?


「それはありえないんじゃ無いですか?」

「でも、記憶と記録、君だったらどちらを信用しますか?」

「それは……」


 自分の実感と記録……。物的証拠、その人が存在したという証……。人間は皆、燃やされて骨になり、墓へと収まる。その事実を目の当たりにした時に、自分という存在は一体何なんだろうかと果てのない深淵を覗いているような気持ちになった。いや、だめだ。いけない。今はそういう話をしていないのだ。俺は仄暗い考えを振り払うように強く目を瞑った。

 確かに中村さんの言いたいことはわかる。人間は見たり聞いたりしたものしか信じない生き物なのだ。


「確かにね、最初は気持ち悪いと思いますよ。その証拠を消そうとする人だって少なくは無い。けれどね、そのうち『その人』の存在を否定するのをやめるんです。『その人』の存在を受け入れて、それがなくなってしまったと認める方がはるかに楽であるということに気づくんですね」


 中村さんは続ける。もう俺に異論はなかった。


「確かに、得体の知れないものと思い続けるよりも、最初から『存在した』ということを認めた方が辻褄が合うし、納得もしやすいですよね」

「現在の状況はね、坂井くん、はっきり言って不健全なんです」

「不健全ですか」

「肉体の喪失を伴わない喪失体験は、いわば独り相撲、観客のいない芝居のようなものなのです」

「観客のいない芝居……」


 中村さんの言葉から、1人で歌い続ける歌手、1人で暗闇に向かって話し続ける老婆、1人で芝居を続ける俳優といったものをイメージした。側から見ればなんて虚しい、儚い行為だろう。しかし、現状はそれに違いことが起こっているのかも知れなかった。

 不健全な喪失、その虚空をどうにか埋めるような活動が出来ないだろうか。喪失によって傷ついた心を埋める葬式屋として、何か出来ることは……。喪失によって傷ついた心を埋める葬式の代わりになるような……。人は残らない……しかし物は残る……。


「そうか!これなら!」

「え、なんですか急に」


突然叫び出した俺に中村さんは怪訝な目をする。俺が考えついた方法、それは……。

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Point 0 日比谷野あやめ @hibiyano_ayame

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