第2章(中編)①


 4ヶ月の闘病生活の末に祖父が死んだ。76歳だった。最初は実感が湧かなかったけど、これまで気丈に振る舞ってきた母が御遺体にすがりついて泣きじゃくる姿で現実に引き戻された。とても喪主など務められる状態ではなかった。


「この度はご愁傷様でございます。お疲れだとは思いますが、お葬式の準備をするために、いくつか質問させていただきたいのですが……」

「はい、よろしくお願いします」


 ホールのロビーから2階に上がり、すぐ右に入ると6畳ほどのこぢんまりとした部屋があり、そこで打ち合わせは行われた。部屋の電気はついていなかったが、スタッフの背後からは優しく太陽が降り注ぎ、微かに香る香の匂いも相まって神聖な空気が漂っていた。

 当時大学3年生だった俺は、母の代わりに段取りや手続きを請け負った。父は単身赴任中で、すぐに帰れなかったのだ。


「最初に、崇様から見たお祖父様は一体どのようなお方だったのでしょうか?」

「え、祖父……ですか?段取りの話ではなくて?」

「えぇ、確かに段取りも大事ですが、一番大事なのはお客様のことをよく知ることですから」


 俺はその時、目から鱗が落ちるような想いがした。そうか、葬式に携わる人は葬式を滞りなく行うことだけが仕事じゃなく、残された遺族の方々がきちんとお別れできるように全力を尽くすことなんだ。思えば、もうその時から俺の運命は大きく変わっていたのかも知れな


「ふぅわぁ〜。坂井くん、その話まだ続けるつもり?」


「ちょっと中村さん!まだ序盤ですよ!」

「何言ってるの。少し話しただけで、もう先の見える話ばっかりしちゃって。どうせあれですよね?故人の大好きだった音楽を流してくれたとか、故人の好物であるカツを通夜振る舞いで出してくれたとか、そういうおもてなしを受けてこの冠婚葬祭業を志したとか、そういう話でしょ?」

「……カツじゃなくてラーメンです」

「ほら、やっぱりそうじゃない。志望動機なんてもんはどれも似たり寄ったりですねぇ。採用面接で死ぬほど聞きました」

「あの、聞きたいって言ったの中村さんですからね?」

「いや〜、暇つぶしになればいいと思ったんですけど、逆に眠くなっちゃいました」


 そう言うと、中村さんはまた「ふぁ〜」という気の抜けた大きなあくびをした。あくびと共に伸ばされた生花が俺の顎に当たった。長い間水に浸けられていた菊はとっくのとうに萎びて、俺の顎にたくあんのような花弁をつける。


「じゃあ、どういう志望動機なら良かったんですか?」

「あれ?逆ギレですか〜?若者って怖〜い!」


 中村さんは両手で拳を作り、それを顎の下に当てた。何が悲しくておじさんのぶりっ子ポーズなど見なければならないのか。


「別に?そういう訳じゃないですけど?」

「そうですねぇ、例えば、坂井くんが本当はスパイだとか」

「そんなわけないでしょ」

「何か葬式屋に恨みがあるとか!」

「例えば?」

「葬式屋に家族を殺された!とか!」

「いや、ホールに来るのは死人と遺族だけですって!」


「「はははははははははははははははっ!」」


 なんだか楽しくなって俺の中村さんは笑った。生花が置いてあるのは地下室なので、笑い声がよく響いた。


「「………暇だなぁ………」」


 ひとしきり笑った後、俺たちは同時にため息をついた。


「暇ですねぇ、本当に」


 中村さんが萎びた菊をゴミ袋に入れながら呟く。その眼差しは蛍光灯に反射してよく見えない。


「ええ、本当に」

「仕事始めて、どうですか?」

「どうも何も、毎日毎日掃除やら備品の整理やらしてるだけじゃないですか!」

「それもこれも、全部あれのせいですね」

「Point 0ですか」


 Point 0(ポイント・ゼロ)、名前はポイントカードのようだが、その威力は計り知れない。この国では5年前から自分の知らない物が勝手に増えていくという怪奇現象が多発していた。日用品から写真から芸術作品まで、ありとあらゆる物が国中に溢れかえった。ゴミの量が増える中、戸籍上には存在するのに実際にはいない人たちも増加していく。政府はいつしかそんな人々を「ペーパーサバイバー」と呼び始めた。書類上で生き残っている人々、だからペーパーサバイバーなのだそうだ。若干ダサくないか?とも思うが、政府がそう決めたのだから仕方がない。俺たちはどこまでいっても政府の言いなりだ。

 物が増え、実際に生きている人々が減少する、この非科学的に思える現象を生み出したのが「有機生命体消去装置Point 0」である。最初は小さなプラスチック製の箱で、タイマーが作動するとそこにいる人々が消えていくという仕組みだった。微かに「ピッピッピッ」という音がするため、皆が電子音に敏感になったことを覚えている。しかし最近のPoint 0は音がしない。無言の侵略を進めている軍隊は改良に改良を重ねているらしく、今では拳銃型のものまであるらしい。消去された人々も100万人を超えた。もはや、この国だけでは扱えないほど事態は深刻化していた。国際連合はこの事態を「人類史上類を見ない危険の襲来」とみなし、軍隊の居所を突き止めると同時にPoint 0の解析に乗り出した。しかし遅々として状況は進んでいない。皆、この「人類を自分の手を汚さずに消せる装置」の秘密を独り占めしようと躍起になっているのだ。様々な利権が絡み合い、連合は状況を悪化させる手助けをしていた。

 そして、そんな人類消去装置であるPoint 0は様々な業界に甚大な被害をもたらした。そのうちの一つがここ、葬祭業である。ご遺体が残らないので葬式を挙げることができない。というかそもそも故人が人々の記憶に残らないので、葬式のニーズが極端に減った。この地方の小さな葬祭場である「まごころホール」が葬式を挙げなくなって、もう3ヶ月たつ。今では客の取り合いなのだ。


「可哀想ですよね。消された人々は、存在自体を奪われて……」

「……そうですね。でも本当にそれだけでしょうか?」



メガネの奥の眼差しが光る。中村さんの問いかけに、俺はすぐ反応することが出来なかった。


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