第2章(前編)


 アルフレッド・マクレガーは孤児であり、物心ついた頃には軍人として訓練に参加し、軍隊の訓戒や規律を骨の髄まで染み込ませていた。周りの軍人より一回りも二回りも年下であるマクレガーは、筋骨隆々の男たちに囲まれた小さな一輪の花だった。軍人たちはマクレガーを一般の子供達に向けるようなある一種の侮りをもって、おおむねその存在へ好意的な視線を向けていた。そしてマクレガーはその視線を、主に軍隊という国の尊敬を集める地位にかまけている者たちの、ダーツやハイネケンといった些細な楽しみを告発するという形で返した。野に咲く一輪の花には、返しのついた棘が生えていたのである。

 訓練をこなすうちに、マクレガーは野に咲く一輪の花から森林に真っ直ぐ生える竹のように成長した。その年頃の子供達は、男も女も皆、自分という存在について正確に理解しようとするものだ。もちろん、マクレガーも例外ではなかった。彼は普段の自分を振り返った。自分の腕や太ももがいくら鍛えても周りの男たちの2分の1ほども太くならないこと、いくら早く脚を動かしても100m走で14秒の壁を越えられないこと、どれだけ武器の扱い方を訓練しても標準をちっとも捉えられないこと、そのどれもがマクレガーを軍隊から遠ざけた。その代わりに近づいてきたのは勉学だった。


「大尉殿、おはようございます!」

「おはようマクレガー、また学校サボってるのか?」

 前から近づいてきたのは大尉だった。戦場では何事も恐れない胆力と抜群のセンスで右に出る者はいなかった。実力のある者は敬遠されがちだが、彼はいつも目尻に親しみやすさを残していた。今もマクレガーに対して彼を心の中に入れる隙間を作ってくれている。侮りや蔑みには人一倍敏感なマクレガーだが、大尉のことだけは嫌いになれなかった。

「それは……。お恥ずかしい話、学校にはあまり馴染めなくて……」

「そうか、お前は同じ年頃のやつより利口だものな。俺なんか、お前くらいの時なんか遊びと女とタバコにしか興味なかった」

 そこまで口にして、大尉は口をつぐんだ。マクレガーがそういった任務の妨げになる娯楽を嫌っているのを知っているからだ。しかし、マクレガーは何も言いださなかった。

「やはり、学校には行っておいた方がいいのでしょうか?」

 マクレガーが少し俯いている。相当悩んでいるらしい。

「まあ、そりゃ、行っておくことに越したことはないと思うが……そうだ!」


 大尉は部屋から一冊の本を持ってきた。随分と古びたペーパーバックで、四隅は茶色く捲れている。


「これ、面白いから読んでみな」

「何ですか?これは」

「アルフレッド・ノーベルの伝記さ。お前、銃や爆弾が好きだろ?こいつもさ、ダイナマイトを作ったやつなんだぜ」

「ダイナマイトを……」


 帯には「『死の商人』と呼ばれた男の一生」と書いてある。そうか、とマクレガーはふと自分の状況を思い返した。自分は武器を上手く扱えない。しかし、武器を作り出すことはできるかもしれない。それはマクレガーに天啓にも似た気づきをもたらした。


「まぁ、別に必ず学校で勉強しなきゃいけないわけじゃないしな。まずは自分に身近なところから始めたら良いんじゃないか?」

「ありがとうございます!早速読んでみます」


 最初はトレーニングではなく机に向かうことに抵抗感を抱いたマクレガーだったが、勉学が全て軍隊での物事(例えば武器の製造や戦場での立ち振る舞い)に繋がっていくと、途端に彼は夢中になった。実際の体力はそのまま勉学に対する体力であると言われているが、マクレガーは底なしの体力で1日15時間は机に向かい続けた。全ての学問の基礎である国語から始まり、英語、ラテン語、歴史、政治、地理、幾何学、生物、そしてなんといっても物理学、科学に没頭した。文学とは違い、ただ一つの答えが導き出せる理系科目は数式を使うだけでこの世の真理を手に入れた気になったし、その中でも「人をいかに傷つけるか」に必要な物理学や科学はマクレガーの興味を惹きつけてやまなかった。彼はまだ、軍隊として活躍する自分を諦めきれなかったのである。

 やがて彼は個性的な作品を作り上げた。ある時は鮮血が薔薇のように花開く罠(カッティングマシーン)を製造し、またある時は人の見た目を全く損なわずに山積みにできるシャワー(毒ガス)を製造した。軍部はそんな彼を重用し、投資を惜しまない。彼は戦場に転がる死体を見る度に、戦場にある武器と一体化した。自分の手は銃に、自身の脚は大地を轟かす大砲に、自身の目はミサイルだった。敵が1人、また1人と倒れる度に、下腹部に血液が集中し、掻きむしりたくなるような快感に襲われた。自分が邪魔な人々を排除した、軍隊の役に立ったという一種官能的な思いに身を震わせていたのである。彼が間接的に殺した人数は片手、両手、両手両足、やがてそれだけでは足りないくらいになった。

 ある日、彼はいくら人を排除しても軍部の支配する世の中が訪れない不思議について思い至った。世界はある一つの勢力に支配された方が平和なのに、全ての人間が全て同じことを考えていれば世の中はもっといい方向に向くはずなのに、どうして?なぜ支配は達成されないのか?なぜ人々は抵抗するのだろうか?研究所と訓練所を繋ぐ渡り廊下を歩いていた時だった。マクレガーは肌に静電気のような刺激が走るのを感じた。訓練場で幾度となく感じた兵士の出す殺気を確かに感じたのである。


「危ない!」


 背中を何か大きい手に押された瞬間、いきなりコンクリートの地面が顔に激突してきた。それから何発かの発砲音と人の悲鳴とサイレンがマクレガーの耳の中で混じり合う。やがていつの間にか背中に乗り掛かっていた何か大きなものが、彼に体重を預けてきた。隕石くらいの重さがあるのではないかと思われるそれに、マクレガーの内蔵は強く圧迫される。なんとか逃れたくて、彼は必死の思いで肘を立て、地面と自分との間に隙間を作り、上に乗っている物をどかした。

 ドシャ……という音と共に地面に転がったのは大尉だった。鉄の錆びたような匂いが太陽に熱されて地面から立ち上って来る。マクレガーは大尉の瞳を見た。真上を向いているのにも関わらず、一切の光を反射しない瞳、半開きになった唇、何か蝋人形のように曇った皮膚、大尉の顔には神の手の跡が現れていた。


 マクレガーはベッドの上でじっとしていた。そして大尉のことを考えた。孤児だった彼にとって、大尉は周りの軍人より、一つ上の、心の許せる人間だった。今のように勉学にのめり込んで、軍部に貢献できるようになったのも彼がきっかけだった。マクレガーの心の中には2つの想いがそこらじゅうに散らばっていた。

 一つ目は大尉を失った悲しみだ。マクレガーの人生に多大な影響を与えた大尉は、もう少しで退役のはずだった。


「俺はよ、引退したら、アルジェリアの太陽が燦々と輝く海辺でハンモックに揺られたいんだ」


 叶わない願いを思うと、胸が締め付けられる思いだ。


 二つ目は襲いかかってきた者たちへの憎しみだ。拷問の後に判明したが、彼らは昔大尉が軍を率いて占領した土地の原住民なのだそうだ。彼らは土地を襲った軍人たち一人一人を把握していなかったが、主導者の顔は覚えていたという訳だ。当然マクレガーの兵器で1人残らず処刑された。

 しかし、賢いマクレガーはそれはきっと相手も同じだろうということを理解していた。彼らも大切なものを1人の軍人によって奪われた。だから、報復という手段に出たのだろう。


 これらの負の感情で、マクレガーの心はぐちゃぐちゃになっていた。原住民を心の中で幾度となく引き裂いたかと思えば、そこに大尉の顔が思い浮かび、些細な日常を思い出す。ノスタルジーと激しい憎しみが喉元まで迫ってきて、鼻の奥をツンと締め付けた時、「こんな思いをするなら、そもそも大尉に出会わなければ良かった」と感じた。


「そうだ、


 そうだ、大尉さえいなければ、原住民たちは軍隊に突撃することもなく、自分も彼らを殺さずに済んだ。そもそも、あの時軍隊に向いていなかった自分は、大尉にさえ出会わなければこんな兵器など作らず……。

 そうか、そういうことか。マクレガーは思い至った。全てを消す装置があれば良い。殺すだけでは生ぬるい処置だったのだ。その者を消し去る、存在も、その人間関係も全てを綺麗に消去する装置があれば良いのだ。それに人間だけをまとめて消せる装置があれば、物的資源も破壊せずに済む。マクレガーはこの日から「装置」の開発に昼夜問わず没頭した。












 ついにこの日がやってきた。マクレガーはデスクの上にあるプラスチック製の黒い箱をそっと撫でた。これが軍部に認められれば、いや、きっと認められる。そうすれば、やっと世界は一つの方向を向き、よりスムーズに世界平和(世界征服)へと繋がっていくだろう。世界に血を流さず、故に憎しみももたらさず。考えられる最小の犠牲をもって世界を制するのだ。

 マクレガーは会場へと足を踏み入れた。

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