第1章 Make it happen (前編)

 全国の空き家件数……昨年に比べて35%増加。

 全国の廃校数……昨年から15%増加。

 年間廃棄物量……昨年に比べて50%増加。



 藤田は政府から与えられたリストを見ながら、この国の現状に想いを馳せた。空き家や廃校、ゴミの量などが明らかに増えている。増えすぎている。いくら大量生産、大量消費の世の中でも家や学校まで急激に空いてしまうことはないだろう。数字が伝える異常さに藤田はめまいがした。


 全国の食料廃棄物量……40%減。


 ようやくまともな数字に出会えた。その他にも交通事故数、犯罪者数、死亡者数、減少することが喜ばしいものがリストの所々に存在している。しかし藤田は素直に喜べなかった。それらが全て、ある一つの兵器によってもたらされていることを知っていたからだ。


「時限式哺乳類殲滅兵器(Mammalian Annihilation Delayed Action Arms)」


 通称MADAA(マダー)、哺乳類を消し去る悪夢の装置である。それが仕掛けられ始めたのはおそらく5年前だ。おそらく、というのもこの兵器、役目を果たすと自身も消えてしまうため長らく存在が掴めなかったのだ。この国では5年前から、映画館や劇場、教育機関などで人が忽然と姿を消す「怪奇現象」が発生していた。最初に警察が介入したのは、3年前に起こった高校での事件だった。初めて現場を見た時のことを藤田は今でも夢に見る。広々とした体育館の中に散乱する大量の制服と、その場にハウリングする壇上のマイクとセミの鳴き声がいっぺんに襲いかかってきた。トイレに行っていたという生徒を捕まえて話を聞くと、どうやら夏休み前の全校集会中だったらしい。前から「怪奇現象」については調査を進めていたが、いっぺんに約1200人が突如消え去るというニュースは日本中に大きな波紋をもたらした。しかし、この兵器の恐ろしさはこれだけではなかった。


「そんな子知りません。帰ってください!」

「し、しかし、この生徒はあなたの息子さんですよね?」

「違います!知りませんし、そもそも私たちに子供はいないんですよ!?バカにしてるんですか!?」

「だって、ちゃんと戸籍にも残って……」

「いいから帰って!帰ってください!」


 心臓に響くくらい激しく閉められたドアを前に、藤田は遺品を手に呆然と立ち尽くしていた。ここだけではない。ほぼ全ての家庭で、藤田たち警察は拒絶された。皆、自分の子供の顔を、存在を覚えていないという。そんなことがあり得るのだろうか?事務所には1000枚近くの制服が所狭しと並んでいた。これらも処分しなければならないだろう。ため息を吐きそうになった時、ふと電話が鳴った。やはり遺品を受け取りたいという申し出が来たのだ。


「わざわざありがとうございます……」

「こちらは、娘さんが持っていた物一式です」

「これが……」


 母親らしき人物はひどく衰弱している様子で藤田をリビングのソファに座らせた。話が始まってからも依然俯いたままだったが、遺品を受け取ると目から涙を溢し、顔を上げてお礼を言った。ほつれた髪が化粧っ気のない顔にかかる。


「娘さんのこと、思い出されたんですか?」

「……いいえ」


 一縷の望みをかけて聞いてみたが、残念ながら希望する答えは返ってこなかった。


「でも、覚えていないのに、何故?」

「なんでしょうね……。最初お話を伺った時は、娘なんていないし、気持ち悪いって思ったんですけどね……。日が経つうちに、だんだんと……心に穴が空いたような、そんな気持ちになったんです」

「喪失感、ですか」

「元々無いものを失うって言ったら変かもしれませんが、でも喪失感だと思います。毎日毎日なんだか物悲しくて仕方ないんです。何か……大切な物を奪われたような……。自分でもよく分からないんです」


 そう言うと、母親らしきその人は泣き崩れてしまった。部屋を見渡すと、食器や椅子などの日用品が3人分あったし、家族写真らしきものもあった。自分から見ても、彼女から見ても、きっとこの娘は赤の他人なのだろう。しかし、彼女には心のどこかに「娘」を思う気持ちが残っていたのかもしれない。


「すみません。急に泣いてしまって……」

「いいんですよ。自分の子を亡くしたら、誰だってきっとそうなります」

「この子が……『はるか』がいたってこと、私にはまだ信じられませんが……。この、心にポッカリと空いた穴の理由がなんとなく分かっただけで、なんだか救われた気がしました。ありがとうございます」


 母親は玄関を出て、家の前の道路まで藤田たちを見送った。サイドミラーから見る母親の顔は、どこかすっきりした表情に見えた。


「藤田さん、俺たちが立てた仮説が正しいとしたら、これとても危ない兵器ですよ?」

 手元にあるマダーのレプリカをいじりながら後輩の石田が話しかけてきた。

「ま、仮説の方は100%合ってるだろうな。物が増えてるんじゃない。人が減ってるんだ。それも大量に」

「どうにか仕組みを解明出来ないんですかねぇ」

「それは……難しいだろうな。サンプルが少なすぎる。せめて、発動した後も機械が残ってくれれば良いんだけどな」


 石田を見やると、彼は一生懸命箱を開けようとしている最中だった。

 旅先で売っているオルゴールのように小さな黒い箱の中に、収まる時限式消去兵器。それがマダーの正体だった。シンプルながらピッタリと閉じるプラスチックの箱の中には、電光パネルが光っており、その下に赤と青のケーブルが走っている。なんともオーソドックスな作りになっているが、この兵器は約1万人の人間をこの世から「消去」している。事故に遭ったのではない、殺されたのでもない、ましてや病死した訳でもない、ただ消されたのだ。地球上から跡形もなく、人々の記憶からも消され、世界は何事もなかったかのように回っていく。よく考えたものだ。藤田は苦々しく笑った。どうして戦争をしてはいけないの?と問い掛ければ誰もが「人を殺してはいけないから」「殺人はいけないことだから」と答えるだろう。ならば、人を殺さなければ良い。これを作った人間は、別に消さなくても、とにかく邪魔にならない形で「人間」をとり除ければ良いと考えたのだろう。しかし、人間を消すという行為は同時に複数の怒りや憎しみを生み出すことになる。人間とは誰もが共同体の中に属し、それ故に他人と関わらざるを得ないからだ。1人の人間が死ねば、誰かが悲しみ、誰かが怒る。殺されたと知れば、誰かが復讐を誓うかもしれない。それを防ぐためにはどうしたらいいか?死んだと言う事実を知られなければ良い。さらに確実なのは、その人間に関する記憶を他人からも消去することだ。今までの化学では実現できなかったことだが、何故か現代でそれが国中で起こっている。どういうことなのか?無言の攻撃を仕掛けているのはどこなのか?これは一体どういう兵器なのか?誰が作ったのか?一体何の目的で?どうしてこんなことをするのか?どうして自分の国なのか?考えだせばキリがない。


「……さん、藤田さん、着きましたよ?」

「あ、ああ……」


 いつの間にか警察署へ到着していた。未来のことを考えすぎると、意識がどこかに行ってしまう。これでは、目の前の危険に備えられない。答えを急いで求めてはいけない。まずは、目の前の、この街の平和を守ることが先決だ。藤田は報告に行くために車から降りた。

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