Point 0

日比谷野あやめ

序章

Point 0


少子高齢化が進んでいるはずのこの国では、物の数は減るどころか増えているばかりだ。ゴミ袋が10mぐらい積み重なっている状況を見て、桃子は呆れを通り越して感心していた。年間で排出されるゴミの量は全国でおよそ4400万トン。東京ドーム約115杯分にあたる。全く需要と供給のバランスが一致していない。はるかに高いゴミの塔の上で、カラスたちが縦横無尽に飛び回っている。カラスのつついた生ゴミがそこらじゅうに落ちていた。


「おはようございます」

「あ、おはようございます!」


ふと、桃子の横から襟ぐりの空いたパステルピンクのトップスと、ベージュのマーメイドスカートを履いた老女が挨拶をしてきた。しっかりと口角まで上がった笑みを浮かべていたのは、桃子の部屋の隣に最近引っ越してきた佐藤さんだった。


「おはようございます。佐藤さん。今日もゴミ多いですね……!」

「本当よね。少しは減らせると良いんだけど。なかなか減らないのよねぇ」


佐藤さんは小首を傾げながら、その右頬に手を添えた。左手は右肘に添えてある。手を常に遊ばせておかないところに、佐藤さんの品の良さが表れている。


「仕方ありませんよ。最近、変な現象が起きてるじゃないですか」

「あら、なんだったかしら?」

「ほら、家の中に、突然見知らぬ物が増えているあの現象」

「ああ、あれ?あれは都市伝説とかじゃないの?」

「それが、違うんです。うちからも出てきたんです。見知らぬ誰かの指輪」

「えぇ!本当に?」


佐藤さんは大きく目を見開いただけでなく、口紅がしっかりと付いている口を控えめに開けて、顔全体で驚きを表した。


「サイズもピッタリで、なんだか怖くて」

「あら、それは昔の彼からの贈り物だったんじゃない?」

「それが、一つだけではないんです。指輪が数個と、絶対私の趣味じゃないハートのネックレスと、食器や歯ブラシも何故か二つずつになってるし。あと写真立てがたくさん」

「写真を見て、何か思い出すことはなかった?」

「ええ、本当に見知らぬ他人と私が写ってて、本当に怖くて。写真は見つけた翌日に焼き捨ててしまいました」


堆く盛られたゴミの塔は全体の現象の副産物に過ぎない。この国では、家のものが勝手に増えていくという謎の現象が各地で発生している。しかも、ただゴミが増えているのではなく、使い古された日用品や家具、写真や絵などといったものが急に出現するのだ。写真や文章、絵などを手掛かりにしようとしても、家主はどうしても思い出せない。桃子のようにキッパリと捨ててしまう者もいれば、「誰かいたのかもしれない」と必死に思いを巡らせる者もいれば、ただただ恐怖に慄く者もいる。この国はまさに、混沌状態に陥っていた。


「でも、本当にそんなことがありえるの?見知らぬ誰かとの写真がいきなり増えてるなんて?」

「さぁ、私に聞かれても。私恋人いたことないですし、友達もそんなにいないので、親しい人のことは絶対に覚えてるはずなんです。だから、あの人は多分他人です」


メガネをかけた見知らぬ短髪の青年が桃子の肩に手を回している。どうしても捨てられなかった1枚の写真。何度見ても思い出せなかった。なんだか親しそうにしているし、恋人だったんだろうか?でも、それにしても記憶がない。物は残っているのに、記憶だけがないなどあり得るのだろうか?


「じゃあ、私、もうそろそろ行くわね?

「あ、あたしもバイト行かなきゃ!」


物思いに耽っている暇はないことを思い出した桃子は、手に持っていた4つのゴミ袋をゴミの塔の麓に投げ捨てた。


「桃子さーん!大変です!掃除しようと思ったら、劇場の中に!」

「何?ゴキブリ!?」

「ち、違います!服が!」


裏の事務所で映画グッズのポップを作成していた桃子は、涙目で慌てる後輩に腕を引っ張られて、スクリーンへ向かった。すると、劇場の中に大量の服が落ちていた。男物も女物も、老人が来ていそうな背広から、若者しか着なさそうな極端に短いスカートまで、ありとあらゆる洋服がそこらじゅうに散らばっていた。しかも、そのどれもが座席にきちんと収まっている。「変なところで行儀が良いな」などと呑気なことを考えた。

念のため、他の上映中のスクリーンも観に行くと、どのスクリーンにも大勢の洋服だけの観客が座席に収まっていた。座席に洋服やカバンだけがあり、映画が流れ続けている状況は明らかに異常だった。


「ほんと、一体どうしちゃったんでしょう」


桃子の腕にしがみついている後輩の語尾が恐怖に震える。桃子たちは最後のスクリーンに辿り着いた。10番スクリーンには誰も居なかった。もちろん「洋服の観客」もいなかった。それもそのはず、実は機械の不具合により、急遽上映が中止になっていたのだ。しかし、何か「ピッ、ピッ、ピッ」という音が聞こえる。決して大きくはない、でも入り口にいる桃子の鼓膜を震わせるくらいの音量。

スクリーン内に入ると、音がより明確に聞こえるようになった。どうやら、座席から聞こえてくるようだ。


「なんかの装置が作動しちゃったんですかね?」


もう後輩は泣き崩れんばかりの勢いだ。

しかし、長年この映画館でバイトをしてきた桃子には分かった。


「いや、うちの装置はどれもこんな音しない。多田ちゃん、前の座席を探して。私は後ろの席から探すから」


桃子は最後列から座席をひとつずつ丁寧に検めた。座席の下はもちろん、座席の背もたれと座面の間、座席と座席の間など、実際に手を突っ込みながら調べていく。

何事もないまま、座席の中腹まで来た時、「それ」は現れた。


「これだ」


黒い、小さいプラスチックの箱がこじんまりと座席の下に収まっていた。なるべく刺激しないようにゆっくりと取り出す。持ってみると、本当におもちゃのような軽さだった。四隅にはネジなどはなく、どうやって形をとどめているのか不思議で仕方ない。桃子の不躾な視線とは裏腹に、機械は相変わらず「ピッ、ピッ、ピッ」と鳴り続けている。ふと、蓋がついていることに気がついた。ぴっちりと閉まっているが、力を入れれば開けられそうだ。


「え、先輩開けるんですか!?」

「え!?ダメ……かな?」

「あんまり刺激しない方が良いですよ!だって爆発しそうじゃないですか!?」

「まさか、映画じゃあるまいし」


一抹の不安を覚えながら蓋を開けると、中には電光パネルが光っており、そのすぐ下には赤と青のケーブルが通っていた。パネルには「00:02:00」と表示されている。


「多田ちゃん、これって……」

「もしかして、もしかしなくてもですよ!?!?」


表示パネルを見るなり、後輩は劇場内から逃げ出してしまった。桃子も逃げようと思ったが、どうせあと2分しかないのだ。逃げられたところでどうにもならない。むしろ、自分だけが逃げて、他のところに被害が出たら、責任を問われるかも知れない。そうなるくらいだったら、いつか観たスパイ映画の主人公になる方が数百倍マシだった。桃子は手に持っていたハサミを持ち直した。


「さぁて、どっちを切ろうかな〜」


残り時間は半分を切っているが、桃子はなんだかこの状況が楽しくなってきた。なんらかのハイになっていたのかもしれない。ケーブルは2本なので確率は1/2。ヒーローになるか、明日の犠牲者一覧に載るかのどちらかだった。どちらにせよ、ニュースになることは間違いなかった。残り時間はあと30秒。


「こういうのはギリギリで切るのが良いんだよね!」


なんだか自然に口角が上がってきた。人間は死ぬ間際、脳から快楽物質がドバドバ出て、死の恐怖を和らげるらしいという記事を思い出した。


「どちらにしようかな天の神様の言うとおり♩鉄砲撃ってバンバンバン♪合わせて撃ってバンバンバン♬なのなのな!」


な!のタイミングで青のケーブルを切った!残り時間はわずか1秒!流石に少し怖くて目を瞑っていたが、あたりに爆音が響き渡る様子はない。身体には痛みも走っていない。もしかして、爆心地は無音で、痛みを感じる前に死が訪れるのだろうか?ゆっくり目を開く。全体的に青がかった世界から、相当力強く目を瞑っていたことが分かり桃子は苦笑した。映画館は……あった。変わらぬ姿で、今も桃子の目の前にある。爆発は起きなかった。電子音はいつの間にか止んでいた。桃子は安堵で肺に溜まった空気を全て吐き切った。


桃子はその日、ヒーローになったのだ。


少子高齢化が進んでいるはずのこの国では、物の数は減るどころか増えているばかりだ。ゴミ袋が20mぐらい積み重なっている状況を見て、桃子は呆れを通り越して感心していた。年間で排出されるゴミの量は全国でおよそ4400万トン。東京ドーム約115杯分にあたる。全く需要と供給のバランスが一致していない。はるかに高いゴミの塔の上で、カラスたちが縦横無尽に飛び回っている。カラスのつついた生ゴミがそこらじゅうに落ちていた。


「ヤバいヤバい!遅刻しちゃう!」


手に持っていた4つのゴミ袋を一気にゴミの塔へ投げる。慌ただしく自宅へ走っていくと、ふと隣の部屋が目に入った。何やら古びた表札が掲げられている。「佐藤」と書かれているようだ。郵便ポストにはたくさんの書類が詰め込まれていた。


「ここ、長らく誰も住んでなかったのに……気持ち悪い」


薄寒い心地がして、桃子は部屋へ入った。


















戦争、それは常に領土を拡大するための手段であります。そして戦争には食糧庫や火薬庫、さらには歴史的建造物まであらゆる物的資源の破壊をしばしば伴います。侵略者の我々としては非常に残念なことです。なんせ物的資源が破壊されることにより、せっかく手に入れた植民地を有効活用しきれなかったのですから。特に工場や病院や学校が破壊されるのは我々にとっても大きな痛手なのです。それらを我々のために運用できれば、もっと有利にことを進められたはずなのです。しかし、もう領土拡大に伴う物的資源の破壊、いわば国の成長痛とも言える無駄な破壊に悩まされなくても良いのです!

あなたたち同志にこれを紹介できること、非常に嬉しく思います。

ご紹介するのは、「時限式有機生命体消去装置Point 0(ポイントゼロ)」です。名前の由来は、0(無)が広がっていく起源(point)だからpoint 0です。これを使うと具体的に何が起こるのか?本当はここでデモンストレーションしたいところなのですが……マウスを使った実験だと、確実にマジックだと思われるので、ここでは控えたいと思います。一言で申し上げますと、「建物の中にいる、『人間』だけを消す」ことができます。

本当ですよ?ある国では、もう実験が進んでおり、劇場内にいた人々を消すことが出来ました。ほら、このとおり。この時限式消去装置による「消去」は確実に進んでいるのです。それに、この装置は人を消すだけでなく、「その人間に関連する情報」までをも消してくれるのです!すごいでしょう?

……今は信じてくれなくて結構ですが、この装置は確実に侵略を進めるあなたの手助けとなることでしょう。……はい。デメリットですか?残念ながら、この完璧と思われる装置にも欠点が3つございます。1つ目は、家畜をも消してしまうことです。なんせ、有機生命体消去装置ですから、生命あるものは全て消してしまうのです。牧場や水族館では使えません。あくまでも物的資源の保護を目的にしているのです。

2つ目、起動にとても時間がかかることです。なんせ、しっかり起動させるためには遅くとも前日から起動させておく必要があります。敵地、しかも人がたくさん集まるであろう場所に置かなければならないのですから、起動する前に見つかったり、破壊されたりする危険があります。

そして3つ目。人が頻繁に出入りするところには使えないということです。消すのは一瞬なのですが、そこにいる人々をスキャンするのにも少し……1時間少々かかるものですから、対象が頻繁に入れ替わる場所にはむかないのです。よって、人々をある程度の時間拘束する大学や劇場などがふさわしいと言えます。

まだまだ課題点の多いpoint 0ではありますが、改善に改善を重ね、皆様の侵略活動に大きな効果を与えたいと思っております。戦車、銃、爆弾、そういった武器はもう時代遅れなのです!あなたたちはもう、厳しい訓練やトリガーを引く恐怖に悩まされなくても良いのです!あなたたちはこの起動ボタンを押して、どこかに放置するだけ。あとの「消去」は全て、このpoint 0がしてくれます。自分たちの手を汚すことなく、あちらの国を、ひいては世界を手中に収めることが出来るのです!さぁ、同志諸君!血の一滴も流さない、平和な戦争をここに実現させるのです!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る