今から始まる物語の終わり

最後の報告書 前編

 革命、戦、世紀の発見、王の誕生、誰かの落命。


 いつの世も、歴史の変わる事柄が起きれば、とてつもない変化があったのだ、と後世に大きく伝えられる。後から考えると確かにあれは大変な出来事だったと思えるのだが、当事者でない者からすれば、その時はただの日常の一日でしかない。


 この時もそうだった。


 事情を知るものから見れば、この景色は違って見えたであろう。




「おっちゃん、おっちゃん、ほら見て、お空とっても綺麗だよ」


「あぁ、本当だね。雨が上がって、雲からお日様の光がさしているね」


「べっこう飴がたっくさん生えてる」


「はは、そうだなぁ、天上の綺麗なカーテンにも見えるかな」


 雨上がりの空の下、水滴を飾り付けた深緑の樹々や色とりどりの草花が、落ち着いた清らかな風と共にそよそよと揺れていた。


「森の中、探検だね! ねぇ、おんまさんは元気かなぁ」


「おんまさんなぁ……あれは額に角が生えているから、一角獣って言って、ちょっと違うんだけど……。まぁ、きっと元気だよ。様子を見に保護区まで行かないとな。ほら、ここの薔薇の花は皆元気に咲いているみたいだよ」


「本当だ! とっても綺麗に咲いてるねぇ」


 赤、黄、白、桃色に染まった薔薇。そのつややかな花弁の上に、露玉が輝いている。種から大切に育ててきた花達が、雨を喜んだように元気よく咲いていた。皆無事のようで心底安心した。


 豪雨と共に、おそろしく雷鳴が轟いていたので、勤めている森に倒木や土砂災害が無いか、いつものように見回りに来たのだ。家を出る際、隣家の息子に見つかり、一緒に連れて行ってくれとせがまれてしまった。危険があるかもしれないよと断ったが、そっくり返って泣かれてしまい、仕方なく連れてきた。荷台が進めない途中からは、おぶって歩いての繰り返しだったが、歩幅に追いつこうと、一緒に歩む姿がなんとも微笑ましい。


 この森には、底まで澄み渡るような池があり、木の根や水草の中を心地よく泳ぐ魚がよく見えた。

 その池に咲き誇る睡蓮の花の様子を見に行こうと向かったのだが、池が見えてきた途端、こどもの足がぴたりと止まった。


「ねぇ、そこに誰かお休みしているよ」


 池のほとりに建つ休憩所跡地に、男が横たわり倒れているのが見えた。


 このことを伝えるには心苦しいのだが、遠目で見ても、男の顔は青白く、生気が感じられない。もう長くはない様子だった。

 整えられていたであろう、少し長い前髪は完全に乱れ、瞳はただ雲の広がる空を見つめている。


 こどもに、池に近づかず、ゆっくり来て立ち止まるよう伝えて、急いで側に駆け寄り、覗き込む。


「おい、どうしたんだ! 何があった!」


「……襲われた。城で見た、賊だ」


 意識があり、息をしている。助けなければ、と体が動いたが、物音のした方向を見て、とっさに隣家の息子を抱えて引っ張り木の陰に隠れた。


 なんと不運なことか、ドラゴンがいる。


 男からは死角の位置にあるが、少し離れた場で、傷付いた真っ白なドラゴンが地に落ち、動けない体を起こそうと首を伸ばしている姿が見えたのだ。ドラゴンとはまた珍しいものだが、可哀想に、落雷にでも当たったのだろうか。そちらも助けてやりたいが、下手に見つかって襲われたらひとたまりもない。


「わぁ、すごい!」

(ドラゴン……ドラゴンだよ!)


 思わずこどもの口を塞ぐ。


(ほんとにすごい、カッコいいよ!)


(しっ、静かに。見つかったら火を吹くかもしれないよ。ほら、かくれんぼだ)


 先日、王家の城で、祭り途中に賊が入ったと聞いた。頭の中で結びつく。

 ここは民に開放されているが、王族所有の森である。この男の上質な衣から見て、男は賊では無いと判断できる。本人が話した通り、ひょっとするとその賊に襲われ、ここまで逃げてきたのかもしれない。


 そして今、その賊も近くにいるかもしれない。


 この場所は危険だった。強烈な不安に駆られる。

 幼子とただの庭師である自分では対処できない、今すぐ人を呼んで助けようと踵を返しかけた時だった。



 突然、男が天に向かって口を開いた。




「…最期に、問いたい」


 風が樹々の葉を揺らす。


「何故、私は私として、産まれたのか」


 男からかすかな声が漏れた。白昼夢でも見ているようだった。


「何故この世界で、私は私として、一度きりの人生を賜ったのか」


 男は息継ぎし、声を振り絞った。手も足も、もう動かないようだ。


「消滅すればどうなる? 完全な無か?」


 考えると胸内に氷が這うような恐怖が迫る。


「また同じように生を賜るなど、誰が保証するのだ」


 男が問うと、なんと返答があった。


「少なくとも、あなたであるのは今しかない」


 鈴のような声がこだました。

 男の傍らに1人の女が駆け寄り、側に座りこんだ。長い髪が揺れている。


「だからこそ、今を大切に生きる。今が辛ければ終わりにせず、少しでも明るい方向へ進むのです」



「……賊となり、私を葬りに来たお前が何を言う」


 彼女が賊……。やはり側にいたのか。

 背筋が凍る。男を助けたいが、術がない。


 男は改めて雲が広がる天空を見た。


「大罪だ。私がこの世を去れば、悪しき人は倒れる」


「そして、世界は変わる」


 雲や木々の間から陽の光が射している。目を細め、男は呟いた。




「この世界は、あまりにも美しい」




 男に触れる、顔周りに咲く花は、相も変わらず風に揺らいでいた。









 大罪。



 人が、人や精霊の命を奪うこと。

 大罪を起こした者と、一番大切にしているものを精霊が奪い返しに来る。

 そして、必ず周囲をも巻き込むような、恐ろしい災いが起こる。


 男と女の周囲を精霊が生み出す、災いが起こる際に煌めくという光が瞬き出した。女が精霊の力を使い、男に手をかけている。

 今、まさに大罪の災いが起ころうとしている。

 いけない。見ていられない。


「おい、やめないか!」


 居た堪れず、子を隠し叫び前に出た。女が振り返る。

 煌びやかな衣服が光を反射した。


「離れなさい! 災いが起こります!」


「何故、こんなことをする!」


「この男は私が共に見届けます! あなたの身が危ない! 早く!」


 周りの光の輝きが増し、身を縮めたくなる爆発音が単発に鳴り響く。美しくも恐ろしい音を響かせ、風が巻き起こる。

 ドラゴンがこちらを見て唸り声を上げた。

 事情を聞くのも助けることも、これ以上は無理であると嫌でも悟った。


 木の裏に隠れるこどもを抱える。

「いったん逃げよう! 途中から走れるな?」

「うん、かくれんぼより鬼ごっこが好きだからね」

「よしよし!」


 あの時は、自分とこの幼子の命のことしか考えられなかった。

 とにかくここから離れなければと、一心不乱に、一目散に駆け出したのだった。





 

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