治療施設の庭園にて 後編

 すぐに布団の上でずっと考えていた、若い頃に足繁く通った喫茶店のメニューが頭をよぎった。

 当時、喫茶店に勤める若い娘に恋焦がれていた。一目見たいが為、朝一番に店に行き、定番のモーニングを注文することが日課であった。

 結局話せず仕舞いであったのだが。

 給仕人である彼女が丁寧にいれたミルクティー、とろけたバターが乗った丁度良い焼き加減のトースト、真っ白でつるつる、黄身の大きなゆでたまご。

もちろんコーヒーも格別によい香りがして美味かった。けれども、彼女が好きだと言っていた温かいミルクティーが一番特別だった。


「そうだな、ミルクティーと、食べ物も良ければ、トーストとゆで卵を食べられればええかなぁ」


 番人の彼女は柔らかく微笑んだ。


「では、ご準備いたしましょう」


 あっという間であった。精霊達がどこからか、ティーポットやミルク瓶を持ってくる。黄金の小麦が白い粉となり、ボールの中に粉を入れたと思えば、たちまち丸い生地に仕上がった。それを型に入れたかと思うと、気がついたら狐色に焼き上がり、熱々のふっくらしたパンが出来上がっていた。

 鍋の中に水と卵を入れたが、それも瞬時に沸騰し、卵の殻がつるんとむけて、ゆで卵になった。茶葉やミルクをいれた鍋からティーポットに移し、温められていたカップに注がれる。瞬きする間に良い香りがして、当時のようなモーニングセットが出来上がっていた。懐かしい。驚き、感心して目を見開いた。


「精霊達が作った料理ですよ。美味しい食べ物は心を癒やします。どうぞ、召し上がってください」


 「こりゃぁ、たまげた。それでは、良いのかな? ……いただきます」

 手を合わせて念じた後に、おそるおそる、一口、二口と食べてみる。


 あの頃の、とても懐かしい気持ちがどっと溢れてくる。

 忘れてしまったかと思っていたが、当時の情景、磨かれた木製のカウンターや、支給人の彼女の笑顔が蘇ってきた。

 まさかもう一度食べられるなんて……。


 久しぶりに、こんなに美味しい物を食べる事が出来て嬉しく、夢中になって頬張った。

 焼き上がったパンはふんわりとしていて、まろやかなゆで卵と相性が抜群であった。ミルクティーは、なめらかで香り良く、体の芯を温めた。


 満たされる。


 振り返れば、当時は本当に幸せであった。

 胸が暖かくなり、自然と涙が込み上げる。


「すまんな、ちょっと昔を懐かしんでしもうてな」


 目頭を押さえて目を閉じると、幸せだった日々の情景が浮かび上がっている。

 しかし、それをまるで邪魔するかのように、また過去の過ちが胸をよぎった。このまま無かったことのように消してしまいたい気持ちよりも、人に話してしまいたいという気持ちが押し寄せて、そしてこぼれ落ちた。


「お嬢さん、このお料理は本当に美味しいよ。ありがとう。その、心の傷と言うておったが、こんな爺さんのひとつ後悔しとること、話してええんか?」


「その為の場所です。ほら、涙を拭いて」


「こんなこと、本当は言いにくいけど、言うた方がええと思うから」


 深呼吸して、一息ついて、決心して声を出した。


「人に散々酷いことしてしもうた。

あの時はごめんなぁて、みんなに謝りたい。

後悔して、後悔して、しゃあない」


 こうなってしまったのも、自業自得のことであった。

 これまでの行いで、天罰が下ったのだと嫌でもわかった。




 今はひとつの面影もないが、昔は世に轟く荒くれ者だった。


 腕っ節が強く、街の中で用心棒を請け負っていた。

 とにかく生活が苦しかったこと、強さで気が大きくなっていたこと。これらも重なり、人や精霊をあやめる大罪までは行わなかったが、事あるごとに言いがかりをつけてしまっていた。


 特に、似ている境遇の仲間と一緒になると、気に食わない相手にとことん突っ掛かり、相手のことはおかまいなし。お代をタダにしたり、金品を巻き上げていた。


 極限まで自分に余裕が無くなると、周りの事を考えられなくなる。普段の自分が、自分でない姿を見せてしまう。


 この病にかかった時も、周りに同じような態度を取ってしまった。初めにきちんと周りの言うことを聞いて、治療を受ければ、病は治っていたのかもしれない。


 普段の調子であんまりにも横暴な態度をとっていた。治療を勧めた周りの人も、治療施設の人々にも。

 だんだんと人が離れていってしまった。

 自分の為に、共に治療しに行こうと言ってくれた、優しかった旧友も、変わらない態度にとうとう匙を投げて、バッタリと来なくなってしまった。友であるから、またすぐに戻ってきてくれると都合良く考えていた。

 そして、一人になり、身を案じてくれる者、助けてくれる者が誰もいなくなってしまった。

 そのことも気に食わないと憤慨しながら、自暴自棄、自分勝手にまともに施設にかからず、かかったとしても文句を並べた。

 戒めてくれる者は誰もいなかった。


 そのうち、病は進行した。ここまで進んで治療を受けられる施設は限られ、最後には通える場所がとうとう無くなってしまった。

 かかるたびに治療に難癖をつけて従っていなかった為、ろくな治療を受けていなかった。懇願しても、怒っても、どうしようもなく、恫喝は余計に周りを警戒させてしまい、仕事上対応してもらえるが、積極的には助けてもらえない。

 苦しみは増すばかりであった。


 いよいよ、ほとほと困り果てていた。そんな中で、唯一慈善的な施設である、山奥にあるこの一軒家の治療施設が診てくれると聞き、藁をもすがる思いで足を運んだ。


 そしてハッキリと言われた。

 もう手遅れだ、と。


 言われて、初めは自分のことではないような、実感が全くなかった。

 あぁ、自分はもう命が尽きるのか、そうか、このまま、あとわずかで、尽きるのか。

 直面して頭が真っ白になり、現実が襲い掛かる。

 そして、そこでこれまでの行いを初めて後悔した。


 この施設がもう治療できないと言った事を責める気持ちは一切湧き上がらなかった。




 番人の彼女に伝わったのだろうか、しばらくの沈黙があった後、深くうなずき、慎重に話し出した。


「罪は犯してはならないものです。特に、他者に危害を加えること」


「そして、いくらあなたが悔やんで苦しみ、もがこうが、あなたの胸の中にだけしまっている内は、何も変化はありません」


 言葉が声に出せなかった。目を伏せる。


「けれども、あなたの救いあるところは良心があり、深く反省していること。そして、心と病のあなたのその苦しみが、あなたに与えられた一つの罰です。しかし、あなたが罰を受けていても、傷を受けた相手は何も変わりません」


 彼女は続けて話した。


「あなたも相手も苦しみから少しでも救う唯一の方法に、謝ることと、償うことがあります。中には謝りなんていらない、一生許さない等、どんなに謝っても取り返しのつかない物もあります。しかし、心底悔やんでいる事、お詫びがしたいことをきちんと伝える事は、した方が良いことです」


「それがどうあってもできない状況であれば、胸の内に今のように省みて、二度と同じ過ちは行わないことです」


「けれども、わしはもう、病で長くない。体も動かない。このまま、ひどい奴だったと思われながら、辛い想いをかかえたまま、あの世に行きたくない……」


「生きなさい」


「あなたが施設に来た翌日、ある精霊使いがあなたの病を払い、薬を煎じたはずです」


「あぁ、確か、花の名をした……」


「その方はこの世界で一番有名となる、腕の立つ精霊使いです。あなたには、まだわずかながら見込みがあります」


 目を見開き、思わず視線を上げた。


「本当か、わしはまだ戻れるのか」  


「わかりません。命日は我々が決めることではありません。病が治っても、寿命が少々伸びただけかもしれません。ですから、日々を懸命に生きる。生きて、償い、悔い改める。そして、辛い思いをさせた分、自分が行いを悔やみ苦しむ分、何倍も、周りの人達を大切に、優しく導くことです」


 そして、彼女は真っ直ぐこちらを見た。


「あなたは今、善良な心を持っています。必ずできます」


 見つめていた番人の彼女の顔が、滲んで見えた。

 いつもは全く気にした事がなかった夕日。

 そんな夕暮れの暖かい光が、目の前を優しく照らしていたのだった。




 あれから、食事を摂り、久しぶりの談笑を楽しんだ。


 そして、実際に見せてもらった。


 この地に眠る秘宝。


 これを読む皆には実際に見てほしい。その為に、具体的には述べないでおく。

 しかし、これだけは記述しておこう。

 財宝と聞いて、目を閉じて想像する以上に、見たことのない、眩い程に煌めく宝が確かに奥地に存在したのだ。


 その中でも、最近の出来事を記した記録書が一番の大切なもののようだった。

 学が無い為に文字を読むことは苦手なので、少し手に取り覗いただけで「読むのは遠慮するよ」と言うと、番人の彼女は少し残念そうであった。

 現実に、目の前にこのような宝物がある、ということに心が踊った。昔の自分であれば、間違いなく盗みを働いていただろう。けれども、今はこの宝はここに揃えて、眠らせているのが一番だと、大事そうに鑑賞するだけであった。この気持ちがあるからこそ、こちらに招かれたのだと、そう思った。



 宝は、他言無用を約束して、客人の皆には見せているとのことである。

 近々に、また誰かがこの地を訪れ、自分のように、美しく輝く宝を前に、純粋で喜びに満ちた歓声をあげることであろう。




 飛ぶように時間が過ぎたように感じた。


「さぁ、そろそろ戻ろうか。今日はこんなじいさんの話を聞いてくれて本当にありがとう。健康に戻れたら、謝ることができる人に全部謝って、取ってしもた分全部返していく。警護に今までの事話して、罪を償おう思っとる」


 しっかりと前を向いた。


 このまま何もしないより、今から行動する。やった事は消えない。相手の人生を傷付けた事は一生涯残る。だからこそ、このまま単に命尽きるのでは無く、生きて償いたい。少しでも貢献がしたい。


 それが、ここで辿り着いた志だった。


「それと、またここには来れるものかな?」


「もちろん! ここにはいつでも帰ってきて良いのです。またお越しください。いつでも歓迎いたします」


「そうかそうか、良かった。次来た時に、さっき見た秘宝ってもんをまた見せておくれよ。今度は絶対、美味しい物持ってくるから、お嬢さんも元気でなぁ」


 立ち上がろうと思ったが、急に眠気が遅い、目を閉じた。

 ありがとう。という声が二回聞こえたような気がした。





 目を覚ますと、星明かりに照らされた見慣れた天井が見えた。再び戻ったのだ。起き上がる事が出来ず、胸の苦しみは再び重くのしかかった。

 しかし、その胸の中には前よりはるかに大きな希望が残っている。

 はっきりとした笑顔で、まっすぐ未来を見つめていた。

 生きる。

 今日も、そして明日からも力強く生きる。病に打ち勝つのだ。

 絶対に負けない。

 これから良い方向に進んでいくのだと。

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