第29話 #セーナ(一人称パート)

 その日、婚約者はのたまいました。


「セーナ! 君のような可愛げのない女はうんざりだ! 婚約は破棄させてもらう!」


 それは私が14歳になって間もなくの事でした。若い貴族の間で流行っている、少しお洒落な客船を貸し切って集まるちょっとしたパーティー。同年代の令息、令嬢が語らいダンスをして社交の真似事をする。そんな場所で、婚約者のカミル・ドントレス様が、私に婚約破棄を突き付けてきたのです。突然の事に、私がわけがわからないという顔をしていると、カミル様は「それだ!」と顔を歪めて私を指さして言いました。


「その顔を見ればわかるさ。君は僕の事なんかなんとも思っていないんだろう?」

「決してそのような事は……」

「いい! わかってるさ! 君が僕に興味が無いって事くらい!」


 確かに、カミル様との婚約は政略であり、私が彼に恋愛感情といった特別な想いを持っていたかといえば嘘になります。ただ、彼の方はそうではなかったようで、婚約者として過ごして来た2年間、彼は自分と私との気持ちの熱量の違いに苦しんできたのでしょう。


 当然私達に衆目が集まります。


 どうして彼の気持ちに応えてあげないの?


 ちょっと見た目が良いからって、お高くとまっているのよ。


 酷い女。カミル様がお可哀そう。


 口さがない令嬢達の声が聞こえてきます。


 カミル様は私よりふたつ年上で、栗色の髪に端正なお顔立ち。背も高く、准騎士の制服がとてもよくお似合いの貴公子です。ドントレス家はキルケシィ家と同じ辺境星系にある男爵家で、次男として生まれたカミル様は幼い頃から本星で近衛騎士となるべく鍛錬を積んでこられました。そしてついに先日、近衛騎士団への入団が決まった事で周囲からの評判も上々。格上の子爵家に籍を置くとはいえ、後妻の連れ子である私では吊り合わないお相手なのは間違いありません。


 カミルが婚約破棄するなら俺にもチャンスがあるな。


 セーナ嬢の事は俺だって狙ってたんだ! 抜け駆けは許さんぞ!


 カミルも馬鹿な事を! あんな可愛い子は辺境どころか本星にだってそうそういないってのに。


 本星とは、地方に住む人が、帝星ソーン・ルギエスのある帝星系を表す際に使う言葉です。


 キルケシィ家の領地のあるラプタル星系は、本星から50光年離れたところにあります。人口も3億人に満たないくらいで、辺境とはいかなくても田舎であることは確かです。1000億の帝国臣民の中には私程度の容姿など幾らでもいます。田舎で限られた人としか接しない彼等は、恐らく女性に対しての美意識があまり育っていないのでしょう。


 事態を遠巻きに見守っていた令息達の囁きに、令嬢方からさらに冷たい視線を向けられます。


 カミル様と婚約してから2年の間で、嫉妬の目を向けられる事にも、陰口を叩かれる事にもすっかり慣れてしまいました。しかし……


 流石売女の娘……


 亡き母に対するその一言に我慢ならず、思わず手袋を投げつけようとした時、目を吊り上げた兄のハイゼルが、庇うように私とカミル様との間に割り込んできました。


「おい、カミル一体どういうつもりだ!」

「どうもこうも、そこの売女の娘がいつまでたっても心を開かないのが悪いんだろ……ぐほっ!?」


 ハイゼル兄さんの拳を受けて尻餅を着くカミル様。妹のグレースも兄さんの隣でカミル様を睨みつけています。ハイゼル兄さんもグレースもキルケシィ前子爵の前妻の子共ですが、母の事は慕っていたので、私と同じく、母への侮辱を許せなかったのでしょう。


「落ち着け、落ち着くんだハイゼル! グレースも!」


 このパーティーの主催者である侯爵家の令息。セバン様が割って入りますが兄もそう簡単には引きません。


「放せセバン! 妹と義母さんを侮辱されたんだぞ? 今すぐこのクソ野郎を叩き斬って宇宙に放り出してやる!」


 怒りが冷めない兄さんが腰のサーベルに手をかけたので、セバン様と周囲にいた令息達が必死に取り押さえます。


 2年前、義父が急死したことで、15歳の若さで兄は当主を引き継ぎました。護身用と言うより儀礼的な意味合いが強いのですが、宇宙船の中で騎士以外に帯剣を認められているのがその証です。宇宙船と言うのはとてもデリケートなので、資格の無い者は例え貴族であっても武器の携帯は許されません。


「カミル! 何故こんな馬鹿な事をしたんだ? ハイゼルが怒るのも無理はないし、問題を起こせば、折角決まった近衛騎士団入りだって取り消されるかもしれないんだぞ」


 セバン様に窘められて、視線を逸らすカミル様。


 セバン・ラプタル様はラプタル星系の盟主を務める侯爵家の三男です。兄とは同い年で仲が良く、昔はよくうちに遊びに来て、私やグレースのスカートを捲って喜んでいました。そんな悪ガキ……やんちゃだったセバン様も、今では若い世代のまとめ役として、すっかり頼れる兄貴分です。


 因みに婚約者は未だにおらず、ここにいる令嬢達のほとんどはセバン様の隣を狙っています。あと、兄にも婚約者はいませんが、キルケシィ家は多額の負債を抱えて風前の灯なので、子爵家当主でありながら全く人気がありません。見た目は決して悪くないのですけれど……


「僕だってできる事ならこんな事したくなかったさ……セーナの事は本当に好きだったんだ」


 セバン様は、なんでも侯爵家の保有する艦隊のひとつを任されているのだとか。短く刈り込んだ銀色の髪、この場の誰よりも長身で鍛えられた体躯は、17歳にして、既に将としての貫禄を漂わせています。セバン様の圧に押されて、その胸の内を吐露し始めるカミル様。


 好きと言われても、私の心は動きませんでした。やはり、私は決定的に恋愛というものに向いていないのでしょう。


「それならどうしてセーナを傷つけるような事を言ったんだ?」

「セーナが、ウルト・ストライエンの娘だからだよ」


 ウルトとは私の母の名で、ストライエンは母の旧姓です。まあ、キルケシィ姓よりも、こっちの方が有名ですからね。その名で呼ばれるのも仕方がないかもしれません。


 さて、ここで私の出生についてお話いたしましょう。


 母の実家であるストライエン家は由緒ある伯爵家で、母はその末娘として生まれました。名門貴族の生まれ。加えて可憐な容姿が評判となり、母は社交界に出るや、多くの上位貴族から求婚を受けたそうです。しかし、母は16歳の時に、恋仲になった近衛騎士と駆け落ち同然で家を飛び出して勝手に結婚してしまいます。有力貴族からの求婚を全て袖にして、騎士との駆け落ちですから、実家はカンカン。勘当されたことは言うまでもありません。ところが、幸せは長く続かず、夫となった騎士は、当時起こった地方惑星の独立紛争に出征し、亡くなってしまいます。若くして未亡人となった母は、実家にも帰れず、伝手を頼って帝宮で侍女を務める事になったのですが、そこである役目を負わされる事になりました。


 それは、名家の令息達に閨の手ほどきを行うというもの。


 当時、母はまだ10代でしたが、通りすがりの男性が思わず目で追ってしまうほどの美貌と色気を放っていたそうです。また、教養もあり身元も確かと、貴族令息の筆おろしの相手として格好の存在だったのです。


 最愛の夫を亡くし、消沈していた母は寂しさからか、その話を受け入れました。


 当然、手ほどきの際には、子供が出来たりしないように気を付けていたのですが、間違いというのは起こってしまうもので……


 そので生まれたのが私なのです。

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