第30話 #セーナ2(一人称パート)

 間違い……それはとある令息が、母に本気になってしまった事です。


 当時、件の令息は皇立アカデミーに通う学生でした。婚約者もいなかったとのことでしたので、女性に免疫のない若い殿方が、初めて閨を共にした相手にのぼせ上ってしまうのも、仕方のない事だったのかもしれません。また、母の方も人恋しかったのでしょう。人知れず逢瀬を重ねた結果、母は身籠り、私はこの世に生を受けたのです。


 それからふたりは結ばれてめでたしめでたし……などといくはずもありません。母の妊娠を知った令息の父親は困りました。勘当された身とはいえ、母は由緒あるストライエン伯爵家の娘です。歳は母がふたつ上でしたが、おかしな歳の差ではありません。大抵の貴族家ならば、嫁に迎えても問題無い名家の生まれ。ストライエン家にしても、元は大切に育てた娘であり、良い家に落ち着いてくれるならばと、勘当を解くから、責任を取って娶れと言ってきた事が予想できます。


 悩んだ末、結局その家は、母とその実家に口止め料を含めた多額の慰謝料を支払い、ふたりを別れさせる事に決めました。母は私を産んだ後に辺境に渡り、人目を避けるように母娘で静かに暮らしていました。そこで奥様を亡くされたばかりのキルケシィ子爵と出会い、数年の交流の後に、後妻としてキルケシィ家に入ったのです。私が5歳の時でした。


 母はドレスや宝石で身を飾るよりも、平民の格好をして、籠を片手に市場で買い物をするのが好きというような人でした。そんな貴族らしくない性格だったので、田舎の生活が肌に合っていたようです。キルケシィ家は、小さなコロニーと、1万フィータクラスの輸送艦を一隻保有するだけの小貴族です。決して豊かとはいえませんでしたが、子爵は優しく大らかな方で、私の事も実の娘のように可愛がってくれました。兄さんやグレースも、新しく兄妹になった私を受け入れ、私達はすぐに仲良くなりました。


 自分の評判を気にしてか、母は社交には滅多に出ませんでした。しかし、子供達には帝宮でも通じる一流の礼儀作法を教え、一緒に刺繡や料理をしたり、悩みがあれば聞き、一緒に考え、遊びに来る度に悪戯する悪ガキセバン様に鉄拳制裁を与えたりと、思い返してみる限り、申し分のない良き母親だったと思います。


 さて、話をカミル様に戻しましょう。


 母は3年前、病により30歳という若さで亡くなりました。そして、その翌年に子爵も輸送艦の事故で亡くなるという悲劇がキルケシィ家を襲ったのです。


 当主と輸送艦を失い、多額の負債を抱えたキルケシィ家は、他家の助けが必要な状態でした。そこで、当主を務める事になったハイゼル兄さんが最初にしたことが、私とミカル様との婚約だったのです。


 その頃の私は、自分がまともに結婚出来るなんて思っていませんでした。


 ウルト・ストライエンの手ほどきは上位貴族の間で長く語り継がれたと言います。そのせいで、当時、社交界での母の評判は散々なものでした。


 伝説の娼婦ウルト・ストライエン。


 帝国の夜の女王ウルト・ストライエン。


 夫婦喧嘩の原因堂々の一位ウルト・ストライエン。


 母の名は盛に盛られて下位貴族や騎士階級にまで広がり、本星から50光年離れたラプタル星系まで届いていたからです。


 評判もそうですが、何より私に流れている血の片割れが誰なのかがわからないというのが問題でした。私は名門伯爵家と、何処かのやんごとなき上位貴族の血を引いています。もし当たりを引けば家の栄達もあり得ますが、場合によっては派閥抗争や更なる借金の返済に巻き込まる場合もあり得るので、もはや博打と同じです。少なくともストライエン伯爵家との縁はできますが、伯爵家がこれまで私に一切干渉してこなかった事から、当てにはできません。


 カミル様の実家であるドントレス家は振興の男爵家でかなりの資産家です。その当主はよく言えば上昇志向。悪く言うなら野心が強い方です。本星への進出への足掛かりとして、私の血筋に賭けてみようと考えたのでしょう。婚約は援助を条件に、ドントレス家の方から持ち掛けられました。


 ドントレス家が我が家の状況につけこむ形で婚約を申し込んできたのは事実です。ですが、旧型とはいえ代替輸送艦の手配と資金援助。加えて持参金も不要と、我が家にとって破格とも言える好条件を提示されて、しかもお相手は、私の事を好きだと言ってくれる見目麗しい貴公子です。ここまでされては、兄も断れなかったのでしょう。身売りさせるような事になってすまないと、頭を下げる兄さんの辛そうな顔は今でも忘れられません。


「確か婚約はドントレス家からのものだったよな。それでいて一方的な破棄となれば、当然違約金も発生する。男爵はご存じなのか?」

「僕にセーナと婚約破棄するようにと命じたのは父だよ。ウルト・ストライエンの娘なんかと婚約してたら、近衛で出世は出来ないって」


 なるほど。母の前の夫は近衛騎士でした。上位貴族の求婚を蹴って駆け落ちまでしながら、夫が死んだら、今度は貴族相手に身体を売るような仕事を始めた。近衛騎士からしてみれば母は夫を裏切った売女です。その娘である私との婚約が、カミル様の出世の足枷になると考えるのも仕方ありません。


 私の事を想いながら、婚約破棄を口にしたカミル様。そこには息子の栄達を願う実家の意向があったのです。


「それだけじゃないだろう? 今、リシータ事件の影響で、中央では婿不足が深刻だからな。セーナを娶らずとも良縁が幾らでも転がってくる。男爵もそう考えたんだろうな」


 セバン様の言葉に力無く頷くカミル様。


「父は今、本星に行ってる。たぶん次の縁談の話を進めてるんじゃないかな? それで帰ってくるまでにセーナとの婚約は破棄しておけって言われた。セーナの事は好きだよ。でも、どうせ僕の方想いだ。セーナは僕を愛してはくれない。けれど、どこかに僕を愛してくれる子がいるかもしれないなら……僕はそっちの方が良い」


 カミル様を愛してくださるご令嬢なら今この会場にも沢山いると思うんですけど……とは、まあ、言いません。実際、家にとっても都合が良くて、自分の事も愛してくれる。そんな理想のお相手なんて、そうそうありはしないのです。大抵は愛情の方を犠牲にして政略結婚を受け入れる。それが貴族というものです。


 ところが……


 都合の良い夢を見るのに十分な出来事が起こりました。リシータ事件。昨年起きた帝国を震撼させた大事件です。


 帝国はこれまで銀河散らばる転移門を手中に収める事で、領土を拡大してきました。本星から100光年以上離れた場所にあるリシータ星系で見つかった転移門は、100年ぶりに見つかった新たな転移門ということで、皇帝陛下自ら領有を宣言する為に現地に赴きました。しかし、そこで事故が発生し、リシータ星系の転移門は失われ、皇帝陛下は護衛の艦隊と共にリシータ星系に取り残されてしまったのです。


 演算炉を備えた大型艦には、転移門を使わずとも転移することができます。しかし、転移するのに転移門が発信する空間信号による位置情報を利用している為、付近に稼働中の転移門が無ければ転移することが出来ません。リシータ星系に一番近い辺境伯領でも凡そ10光年の距離があり、通常航行での帰還となれば50年かかるとされています。


 このリシータ事件により、帝国は皇帝と宰相。そして、近衛艦隊と追従した諸侯艦隊、計1万隻の艦艇と、300万の将兵を失いました。それにより、今の帝国には、多くの婚約者を失った令嬢と、夫を失った未亡人が溢れています。近衛騎士団の中でも、皇帝直下のエリート達の婚約者に選ばれた令嬢達ですから、家柄は十分。彼女達の実家としても、娘を行き遅れにはしたくないでしょうから、地方の貴族でも、条件が悪く無ければ地方の貴族であっても嫁がせようとするでしょう。資産家の生まれで、能力もあり、見目も良いカミル様ならば引く手数多。リスクに加え、キルケシィ家の支援までしなければならない私を娶る必要はありません。違約金など、キルケシィ家との手切れ金と見れば安いものです。


 本星は現在、帝国歴史上類を見ない荒波に揺れています。男爵は、その波に乗る道をを選び、私との婚約破棄を決めたのです。


「俺のところにも阿保みたいに釣書が来てるからな……まったく、断り辛いような名門からも多くて参るぜ」


 流石は侯爵家。贅沢な悩みを抱えているようです。あと、令嬢の皆さんもカミル様がフリーになって浮かれてるのかと思いきや、渋い顔をしています。地方の優良物件を中央に根こそぎ奪われようとしてるのですから、彼女達としてはたまったもんじゃありません。


 ちらりと視線を送ると、兄さんは小さく首を振ります。全く打診が無いとは、どれだけ人気が無いんですか……


 兄のハイゼルは、中肉中背に黒髪と、セバン様やカミル様に比べると一見地味に見えますが、顔立ちは整っていて決して見た目で引けは取りません。根も真面目で誠実。家族の為に、辛くても必死で当主の責務を果たそうと頑張れる優しい人です。借金さえ無ければ、今頃釣書の山が届いていたのではないでしょうか?


「グレースには結構来てるんだがな」

「中央のお坊ちゃんなんてごめんよ。それに私、地上で暮らすのが夢だし」


 妹のグレースもまた、長い黒髪が目を引く美少女です。背は私より少し低いくらいですが、お胸やお尻の発育具合は良好で、既に大差をつけられてしまっています。


 生まれた頃から田舎でのびのび育ったグレースは、確かに中央貴族の生活は肌に合わないでしょう。それに、宇宙から地上を支配するのが貴族の常識ですから、彼女の夢を叶えられる伴侶を見つけるのは中々大変かもしれません。


「ハイゼル。キルケシィ家からはなにか言うことはあるか?」

「無いな。むしろ男爵には感謝してるよ。ここで支援が切れるのは痛いが、既に窮地は脱している。輸送艦も貰ったしな。後は自分達で何とかやるさ」


 婚約から2年。キルケシィ家の財政はまだまだ厳しい状態です。しかし、ドントレス家の支援と、リシータ事件によって起こった中央の混乱による地方の好景気によって、持ち直しの兆しくらいは見え始めました。そもそもキルケシィ家に都合がよすぎる条件だったので、一方的な婚約破棄を受けたとしても、強く文句は言えません。なら全て白紙に戻しましょうと言われて、これまでの支援と輸送艦の返還を求められたら、困るのはキルケシィ家です。


 こうして、セバン様の立会の元、私とカミル様の婚約破棄が決まりました。それで、この場は収まる……と、思ったのもつかの間、それ以上の混乱が巻き起こる事になるなんて、きっと誰も予想していなかった事でしょう。


「決闘だ!」


 セバン様が手袋を投げつけ、それを拾い上げる兄さん……


 ……どうして?

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