第23話 ヘタレなのじゃ!

 爆発する海賊船から辛くも脱出した彩晴は、無事ハツヒメに帰還した。


『エアの注入を開始します。サインが出るまで、ヘルメットは外さないでください。重力入りますご注意ください』


 ヒエンと共にハツヒメのエアロックに収納される。室内に空気の注入が開始され、重力を感じると、彩晴はほっと息をついた。


(生きて、帰れた……)


 海賊との戦闘。


 間一髪での脱出。


 ほんの少し、何かが違っていたら、自分は死んでいてもおかしくなかった……


 震えだした手を握って、彩晴は機首と主翼をたたみ、降着姿勢になったヒエンを見上げる。


(早くすずの顔が見たい)


 そう思っていたら、ヒエンのコクピットが開いて、出てきた涼穂が抱き着いてきた。


『よかった! あや。無事でよかった』

『ああ、心配をかけたな』

『ほんとだよ……本当に心配ばっかりかけて……でも、よかった。よかったよ」


 強い力で抱きしめてくる涼穂を落ち着かせるように、彩晴はその肩を優しく抱きしめ返す。


『すず……』

『あや君……』

『あや君言うな』


 ヘルメットがぶつかり合いコツリ冷たく固い音を立てた。


 遮光バイザー越しでは顔を見ることはできない。


 エアが充填されるまでヘルメットを外すことはできない。


 目の前にいて、抱擁を交わしているのに、ウォールスーツ越しでは体温も感触も感じることもできないのだ。


 残酷な時間が時間が過ぎていく。


(それでも……すずはここにいる。俺と一緒にここにいるんだ)


 いつの間にか、震えは止まっていた。凍えるような死の恐怖におびえていた心は、とても温かい気持ちに満たされていた。


 やがて、エアの充填が終わった事を示すサインが出た。ヘルメットを脱ごうと手をかける彩晴と涼穂。


(これって完全にキスしちまう流れだよな……すずにどう思われようがこの気持ちは抑えられない!)


 だが、そこに大声で待ったがかかる。ハツだ。


『駄目ーっ! 駄目です! 駄目です! 防疫の為にも涼穂さんはヘルメットを取らないで、直ぐに退出してください!』


 彩晴はその場で膝をつきそうになるのをなんとか耐えた。


『そんなぁ……せっかく……』


 涼穂もがっくりと肩を落としている。


『何やら盛り上がってたみたいですが、駄目ったら駄目です。それもこれも、彩晴さんが海賊船の中でヘルメットを脱いでしまったのが悪いんですからね!』

『もう! あや!?』

『悪かったよ』


 彩晴は海賊船の中でヘルメットを脱いでしまった彩晴は、どんなウイルスや細菌を持っているかわからない。この状態で濃厚接触など言語道断である。


 地球では23世紀中ごろに感染症撲滅宣言がなされ、人類は発祥以来数万年にわたる感染症との戦いに勝利した。だが、それからというもの、一度もウイルスや細菌に感染したことない現代の地球人の免疫力は低下し、治療に対するノウハウも風化している。一応ハツヒメ艦内には医療設備があるが、医者が乗っているわけでもなければ、ネットワークも使えない。万が一病気になったら、ライブラリにある記録と、彩晴や涼穂の知識の中にある伝承を頼りに治療を行わないといけないというのが現状だ。


 あらゆる難病を克服し、脳みそさえ無事ならいくらでも身体を再生できる医療技術を持ちながらただの風邪が怖い。それが24世紀の地球である。


『彩晴さんは私が行くまで後ろのおふたりとその場で待機ステイです!』

『『あ』』


 振り返れば、シェルパンツァーから顔を覗かせて見つめてくるふたつの視線。海賊船から助け出してきたディアとセーナである。


 視線に気づいてぱっと離れる彩晴と涼穂。あからさまに残念そうなディアと、頬を染めて目を背けるセーナ。


 ハツの声はディアとセーナには聞こえていない。彼女達からすれば、良い雰囲気を、自分達が邪魔してしまったと感じてしまったことだろう。


「※※※※※※※」


 ディアの口から小さく漏れ出た声。


『あれ、絶対ヘタレとかその手の事言ったぞ?』

『ええ、そんな感じに聞こえましたね。やはり翻訳作業を進めるには、現地人との生のやり取りが必要です』

『じゃあ、ふたりはこのまま乗せておくの?』

『そうはいかんだろ』

『ですねぇ』


 現地協力者は欲しい。既に友好的な接触に成功しているふたりとこのまま分かれるのは惜しいところだ。しかし、ディアもセーナも見るからに未成年の女の子である。このまま連れ去るわけにはいかない。


 5分程とは言え、狭い所に押し込められて、さぞ怖い思いをしただろうと心配したが、ディアもセーナも意外と元気そうで、ディアの視線は今はヒエンにくぎ付けだ。


「お待たせしました」


 そこに救急箱を手にしたハツが現れると、ふたりの意識はそちらに移る。すっと背筋を伸ばしてハツと向き合うディア。その斜め後ろでは、セーナが頭を垂れて控える姿勢を見せる。その畏まった様子から察するに、艶やかな巫女服を着たハツを立場ある者と勘違いしたようだ。ディアの優雅で気品のあるカーテシーに、庶民出身の彩晴と涼穂が息をのむ。


 アンドロイドらしい綺麗な仕草でディア達に礼を返したハツが苦笑する。


「私の事を説明するのは難しそうですね」

『……そうだなぁ』

『じゃ、後はよろしくね』

『ああ、お疲れ』


 手を振りながら退出していく涼穂を見送って、ヘルメットを脱ぐ彩晴。その鼻に救急箱から取り出した麺棒型のウイルスチェッカーを突っ込むハツ。


「ふがっ!?」


 人体に感染するウイルスが見つかれば、通常青い先端部分が赤く変化することで感染を知らせるこのウイルスチェッカーは、パンデミック対策として宇宙船に積むことが義務付けられている。


 宇宙は未知に溢れている。地球で感染症の原因となるウイルスや細菌が撲滅されたとはいえ、宇宙から持ち込まれないとは限らない。実際、100年以上前に建造された船やコロニーから危険なウイルスが検出された事もあり、確認されている地球外文明では、未だ致死率の高い感染症が猛威を振るっている。


「ふむ、一応異常無しですね」


 ウイルスチェッカー先端は青いままだ。碌に掃除されてなかった海賊船だが、空気はまともだったらしい。


「それは良かった。へくしっ!」


 彩晴達のやり取りが面白かったのだろう。くしゃみをする彩晴の耳に、少女達の笑い声が聞こえてくる。


「彩晴さん。申し訳ないですがもう一仕事お願いできますか?」

「ああ、ディアとセーナを帰してやらないとな」

「それもですが、客船内にいる重傷者を攫ってきて欲しいんです」

「ハツ。言い方ってものがあるだろう?」

「交渉して引き渡してもらう余裕がありませんからね。既に介入してしまった以上、知ってて見捨てたとあっては地球に戻ってから問題になります。強引にでも連れて来て、治療するしかありません」


 ハツが映すARディスプレイに投影されたモニターには、海賊から暴行を受け重傷を負った乗員、乗客の姿が映されていた。


 海賊達は、乗員や乗客を遊び感覚で殺した。生き残ったのは海賊達が欲望の発散の為にあえて生かされた、女性や子供達だ。海賊達を無力化したとはいえ、乗員を失った客船は既に自力で航行する能力は無く、生き残った者も家族や恋人を殺され、傷ついている。


 ハツが連れて来るように言ったのは、銃で撃たれ即死は免れたものの、酷く出血している女の子と、海賊から酷い暴行を受けた幼い子供だった。


 痛々しい姿を目にして顔をしかめる彩晴。


「そうだな。了解だ。ん?」


 ARディスプレイを覗き込んでいたディアが、何か言いたそうにくいくいと腕を引いく。


 助けてあげて欲しいのじゃ。


 たぶんそう言ってるのだろう。


「大丈夫。助けに行こう」


 彩晴は笑顔で頷くと、ディアも笑みを浮かべる。


「よ、よし! こっちだ」


 可愛らしい少女の笑みに照れくさそうに顔を背けて、彩晴は内火艇へと向かう。


「今度は私も行くよ」


 涼穂だ。感染の心配が無いと知って戻って来たらしい。ヘルメットを脱いで素顔も晒している。


 涼穂の顔。彩晴が今一番見たかったものがそこにあった。さっきと同じ温かい気持ちがこみ上げてくる。


「大丈夫なのか? お前、その、人を撃って参ってただろう?」

「知ってたんだ。ちょっと吐きそうだったけど、今はもう平気なんだ。私、思ったよりずっと冷たい人間だったみたい」

「そうか。俺と一緒だな。俺も撃ったけど、自分が生き残れた喜びの方が大きかったんだ。おかげで、また、すずの顔も見れたし」


 ぎこちない仕草で肩を抱く。彩晴にしては上出来だろう。ゆっくりと顔が近づく。そして……ついにハツがキレた。


「さっさと行ってください!」


 彩晴の尻を蹴り飛ばす。


 通常アンドロイドは人間へ攻撃出来ないようになっているが、親愛の表現と解釈できる範疇での暴力行為は可能だ。


「いてて……ごめん。ごめんて!」


 逃げるように内火艇に乗り込む彩晴と涼穂。その様子を眺めていたディアが再びつぶやく。


 修羅場なのじゃ。と。

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