第2話 二人の過去

 二人の刑事が赴任してきて。さすがに浅川刑事が二人の刑事の面倒を見るのは難しかった。自分も事件の捜査をしながた、かたや、元巡査で一から刑事のいろはを叩きこんでやらなければいけない相手、かたた、自信過剰な中で、相手の術中に嵌る形で、冤罪と呼ばれる形の汚名を着せられたまま、左遷されてきたというデリケートな部下二人を一緒に面倒見ることは不可能であった。

 一人は自分が面倒を見るとして、もう一人は桜井刑事に任せようと思った。少し危険な部分を感じ、ギリギリまで迷ったが、最初はこのコンビで行くことに決めた。

「桜井刑事に福島刑事、そして自分に河合刑事」

 という組み合わせだった。

 独り立ちを考えて、いきなりのペアが異動してきてすぐの福島刑事である。しかも福島刑事というと、冤罪事件の汚名を着せられ、元々自信過剰なくらいだったものが、左遷という形で他の土地に飛ばされてきた。その心境を思い図ることは無理な気がした。

 少々のことにはおじけづくことのない桜井刑事だったが、さすがに独り立ちして組む相手というのが、曰くありの刑事というのは、問題だった。

 ただ、年齢的にはまだ若く刑事としての経験はまだ乏しいというのが、一つの救いだと桜井は感じていた。ある程度の経験を有していて、その発展途上の中で犯したミスであれば、一番最初に浮かんでくる発想は後悔である、反省と後悔を天秤に架ければ、若いうちは反省が強いのだろうが、年を重ねる、いや経験が豊富になるにつれて、後輩が強くなってくる。

 後悔というものは、考えれば考えるほど、長ければ長いほど、元の姿に戻ることを難しくしてしまう。元の自分が分からなくなるからだ。

 だが、ある程度まで戻ってくると、自分の中に残っている元の姿の自分がハッキリしてくるのだが、それも自覚が必要なのだ。その自覚は後悔を抱いている間は自覚を持つことができない。それにその自覚は、自分一人ではなかなか持つことができない。

「自覚なんだから、人が介在しているというのはおかしなものではないか?」

 と考えるのだが、それは違う。

 確かに人が介在して自分を取り戻すことができるのだが、それが果たして本当に戻ろうとしている自分なのかが分からない。

 いや、頭の中で、

「元の自分に戻りたくない」

 という意思があるのではないだろうか、

 あれだけ過剰に持っていた自信を失ってしまうほどのショックなことだったのだ。そのショックは、今までの自分が抱いていた自信を果たして取り戻したい自信なのかどうか、自分に問いかければ問いかけるほど、分からんくなるのだった。

 本音としての、

「前の自分に戻って、もう一度やり直したい」

 というところまで感じることができれば、いいのだ。

 やり直すという意識が自分を前に進ませる。ただ、元に戻りたいというだけでは、中途半端なのだ。

 だから、本当なら、自信過剰を決して悪いことだと思っておらず、何かの失敗が自信過剰な人にあれば、失敗の原因をすべて自信過剰に集中して解釈しようとしていることを、

「そんな考えをしてはいけない」

 と自分に言い聞かせてきたのではないだろうか。

「元の自分に戻りたくない」

 という思いは、一歩進んで、

「やり直したい」

 と思うことができないことから、自ら作ってしまった結界に気付いていないことを示しているのだ。

 だが、やり直したいという考えを持ったとしても、それだけではmだ不十分である。そこまでの考えを持つことができても、実際には決してやり直すことはできないのだ。最初にやり直すという意識が持てないのは、無意識に、

「やり直すことはできない」

 と感じているからだったが、一度やり直そうと思い立ってから、実際にやり直しを図ってから、

「やはり、やり直すことはできない」

 と感じたこの時の感情は、まったく違ったものだった。

 意識していなかったことを意識するようになり、実際に行動に移したその瞬間、以前に同じことを感じたのだということは意識から消えてしまう。まるで結界を抜けてきたようなもので、思い出すことはできないのだ。

 そんな感情をいかに桜井刑事が引き出すことができるかというのが、この場合の問題ではないだろうか。

 桜井刑事にも似たような経験があった。経験というよりも、

『潜在意識が体験している状況」

 というべきであろうか?

 さすがに冤罪事件を引き起こしたりはしなかったが、自分がかつて好きだった女性が事件に関わってきたことで、捜査を見誤ったことがあったのを覚えていることだ。相手が記憶を失っていて、自分のことを覚えていない。その意識が強かったことで、愛情なのか道場なのか、自分でも分からなくなってしまっていた。事件の方は、そんな桜井刑事の思惑とは裏腹に、浅川刑事の推理で解決されたが、果たしてその時の桜井刑事の後悔が誰に分かっているだろうか。

――そんな感情は誰にも知られたくない――

 という反面、知られないだけに自分の思いが内にこもってしまうことで、まわりとの結界ができてしまう。

 そのことを桜井は自覚していた。両方の面を抱えることでジレンマに襲われる気持ちは、

「前にも後ろにも進めない吊り橋の上」

 という感情だったのだ。

 両側が断崖絶壁の谷底で、そこに気の吊り橋が掛かっているだけという、超がつくくらいの危険な場所を渡っている最中、ちょうどその真ん中で強風にあおられ、前にも後ろにも進めなくなる状況である。

 その時に考えることは、まず、戻ろうという思いであった。

 それは咄嗟の思いであり、

「もし、通り過ぎることができたとしても、もう一度ここを通らないと帰ってこれない」

 という思いである。

 だが、それは先に進むことでそこにあるものを考えない、あくまでも消極的な考え方だ。現地に行ってしまえば、帰る方法は他にもあるかも知れない。今この吊り橋を通っていこうと考えたのは、

「吊り橋で行くことができる」

 という方法を知ったことで、それ以外をまったく見なかったからだ。

「まさかこんな危険なところだったなんて」

 というのを知っていれば、もう少し調べていたのにと考えるかも知れない。

 後の問題は、目的地に行くことが自分にとって、どういう意味を持っているかということであった。

 何かの意図があって、例えば誰かに逢うためだったり、必要不可欠なものを取りに行ったりという、どうしてもいかなければいけない場所でさえなければ、後戻りが最優先となるだろう。

 まず最初に頭に浮かんだことが自分の本当の意志だと思うのは当然のことではないだろうか。もちろん、性格的なものも強いだろう。

 もっとも桜井刑事は、もっと行動的な考え方をする性格だったはずである。最初から防御を考えるなど、今までの自分からは考えられないことだったはずだ。

 それなのに、どうして逃げることを最優先にしたのかというのを思い起こすと、

「死ぬことに対して、恐ろしいと思ったんだ」

 という素直な気持ちになった。

 刑事として、捜査に当たっている間、死ぬことが怖いという発想を抱いたことは正直ないと思っていた。死を考えてしまうと、いくら怖いもの知らずでも、いざという時に判断が鈍ってしまうであろうことを恐れたのだ。

 それはそれで間違いではない。

 しかし、毎回、捜査の時に死を恐れないという気持ちでいると、そのうちに死というものに対して、感覚が鈍ってきた。死というものを怖いと思わなくなってきていると自分で思っていたのだ。

 だが、それは言い訳であって、考えないようになったのは、感覚がマヒしたことを自分で感じたくなかったからだ、もし、マヒしたのだと思ってしまうと、また市について考えてしまうと思ったのだが。実際には違う。死について感覚がマヒしたのは、死を恐れなくなったわけではなく、正面から考えようとしなくなっただけで、その裏返しが、死について真剣に考えるのが怖いという思いだった。

「死を恐れないのではなく、死について考えるのが怖いと思うのか、それとも、死を怖いと考えるのを恐れているのか、どちらなのか?」

 と思うのだった。

 考えれば考えるほど、堂々巡りを繰り返してしまいそうなので、どこかで考えるのを辞めてしまう。それがまたしても、マヒに繋がっているのであって。もっといえば、

「感覚がマヒしたと思わなければ、堂々巡りに陥ってしまったことで、何もできなくなってしまう」

 という思いに駆られるのであろう。

 このような状態から、鬱病を発症する人もいるのではないか。そういう人は自分の感覚をマヒさせることができず、つり橋の前にも後ろにも進めず、立ち止まってしまうからであろう。

 吊り橋のちょうど真ん中という場面で、前を見るのと、後ろを見るのとでは、果たしてどっちが遠く感じるだろうか?

 身体は前を向いている状態から、恐ろしくて動かすことはできない。首だけを動かすことになると、そこから先よりも、今まで来た道の方が、果てしないと思えるほど遠くに感じられるに違いない。もし、後になあって、それが錯覚だと分かったとしても、最初に見た光景が頭から離れられずに、結局、前にも後ろにも進めず、その場に座り込んでしまうに違いない。

「人間というものは、最初に度胸を持つことができなければ、その後どんなに開き直ったとしても、最初の感情に立ち向かうことはできないのだ」

 と言えるのではないだろうか。

 断崖絶壁の吊り橋の感覚は、普段から感じているものではなく、きっと夢に出てきたことであろう。

 一度感じた思いを、夢が形にしたのが、断崖絶壁の吊り橋の上で、それが潜在意識のなせる業だったに違いない。

 桜井刑事は今まで鬱病らしきものに掛かったという意識はない。しかし、断崖絶壁の吊り橋を意識している。

――ひょっとすれば、鬱病にならない代わりに、自分の中で吊り橋を意識させるために、夢が潜在意識を表現したのかも知れない――

 と感じた。

 それは、鬱病にならなかった自分の感情の辻褄を合わせるためのものであり、何かの拍子にふと思い出すものでなんおではないかと感じさせるものだった。

――この感情は何かに似ている――

 と思ったが、それがデジャブ現象だと感じたのは一瞬のことだった。

 これも一瞬で感じなければ、どれだけ考えたとしても、近くまでは辿り着いても、デジャブであるという意識にまでは行きつかない。そういう意味で、自分が感じるデジャブというものが、

――潜在意識による錯覚なのではないか――

 と思わせるのだった。

 桜井刑事にとって、ここまでの感覚は、時々意識されることであった。

 もちろん、桜井刑事がそんな意識に苛まれているなどとは誰も知らないだろうが、大なり章なり、人間というものは、鬱状態にならないまでも、桜井刑事のような、

「潜在意識の錯覚」

 というものを板いているのではないだろうか。

 そして、浅川刑事がコンビを組むようになったのは、今まで巡査として現場で勤務してきた河合刑事である。

 そもそも河合刑事は、どちらかというと、福島刑事とは性格的に逆だった。自分に自信がどうしても持てず、最初はそんな自分がどうして警察官になったのかということも分からないくらいであった。

 いや、正確にいえば、河合刑事は時々、自分のことが分からなくなる性格だったのだ。まわりから、

「いつも河合刑事は自信なさそうにしている」

 と言われていたが、本人は、

「まわりがいうほどでもないんだけどな」

 と思ってはいたが、やはり自分に自信がないという気持ちは持っていた。

 これが、河合刑事にとっての、トラウマと言ってもいいだろう。

 桜井刑事は福島刑事の背負っているものに比べれば大したことはないのかも知れないが、それはまわりから見たからそう思うだけであって、本人にとって、このトラウマは自分で処理できないものであることを自覚しているだけに厄介だった。

 そう、そこが、まわりから見て自信がなさそうに見えるという、これも一種の堂々巡りであった。

 堂々巡りというものは、それだけ誰の中にもあるものであり、それをトラウマとして捉える者、あるいはジレンマとして捉える者、その人それぞれの性格によるのではないだろうか。だが、トラウマであろうがmジレンマであろうが、持っているものに変わりはない。それをどこまで意識できるかということが、刑事としてやっていけるかを決めるのではないだろうか。

 絶えず、死を意識しないといけない刑事であったが、まわりから自信がなさそうに見えている河合刑事が、ある意味、一番死というものを恐れていないのかも知れない。

 かといって、河合刑事が刑事という仕事を他人事のように考えているわけではない。

 河合刑事にとっての警察官というのは、憧れだった。

 河合刑事が警察官になろうと思ったのは、子供の頃に見た事件から始まっていた。

 マンション住まいをしていた時のことだったが、ちょうど自分の住んでいるマンションの隣の部屋の鍵が開いていて、さらに、内側から掛ける、「ドアチェーンロック」の代わりに、衝立棒のようになっている構造のマンションで、それを扉に引っ掛けることで、オートロックにならないようにしてあった。

 最初は、換気のためではないかと思ったが、中から、何やら気持ちが悪くなるような臭いがしてきたのだ。おかしいと思って親に話すと、親が顔色を変えて、警察に通報した。その時、まだ十歳にもなっていなかった河合少年は、母親から、

「絶対に何も触っちゃだめよ」

 と言われたので、その指示に忠実に従っていた。

 ただ、チラッとだけ見えたのは、誰かが倒れていて、こちらに頭を向けていたが、身体のどこかからか真っ赤なドロドロしたものが流れているのが分かった。

 それが血だということは子供にでも分かったが、その時の嫌な臭いと一緒になって記憶していたので、それがトラウマになったようだ。

 警察がやってきて、すぐに立入禁止になり、刑事が何度もやってきて、近所に聞き込みをしている。。普段であれば、少ししつこいというくらいに思うのだろうが、それが自分の他人事だと思っている証拠だと思うと、何かあまりいい気分がしなかった。

 ただ、事件は、どうも犯人が自信過剰だったようで、警察にそのトリックを看破されたようだ。

「あの犯人も考えすぎたようね」

 と母親が父親と話しているのを訊いて、

――あれだけ死体を発見した時、ショックが大きかったのに、解決してしまうと、こんなにも他人事のようになるんだ――

 と感じた。

 それがどうしてなのかと、子供心に考えた。

――そうだ、警察の力で事件を解決した。そのおかげで、あれだけのショックをまるで他人事と思えるほどにできるんだ。警察ってなんてすごいんだろう――

 と感じたことから、河合刑事は警察官を志したのだ。

――きっとこんな動機で警察官を目指すひとなんかいないだろうな――

 と、河合刑事は自分でも思っていた。

 だが、自分がここまで身の程知らずだったとは思ってもいなかったようで。いざ警察官を目指すとなると、それまでウスウスと気付いてはいたが、自分に自信が持てないという性格がそこまで災いするものか、理解できないでいた。

 あの時のマンションの犯人は、よほど自分の計画に自信を持っていたようだが、その自信過剰なところを刑事が看破したようだ。今の河合刑事であれば、もしその刑事の立ち番になれば、

「自分だったら、こういう犯罪計画にするだろうな」

 と、表に出ていることだけを見て、自分なりに犯罪計画を組み立ててみるということくらいできそうな気がするのだった。

 確かに、今からなら、他人事としてあの時の犯人の気持ちを思い図ると、自分にも事件を解決できるような気がしていたが、そう思うことで、警察官になった意義があると思っている。

 だが、元来の気性としての、自分に自信が持てないという性格だけは如何ともしがたく、どのようにしても刑事となった今、その性格に向き合っていくか、それを考える必要があることを自覚していた。

 河合刑事が自分に自信がないという意識を持ったのは、思春期の頃のことだった。正直それまで、どちらかというと

「怖いもの知らずだっや」

 というところがあったのだが、それでも、決定的に自分に自信がもてないと思うようになった一番の理由は、

「思春期になる時期が他の人よりも遅かった」

 と感じたところだった。

 思春期が遅いということは、他人が思春期になったことを自覚できない状態で、まるで他人事のように思っていたのだろう。思春期という言葉も知っていて、デリケートなものだと思ってはいたが、まわりが若干臆病な空気に包まれてくるその原因が分かっているわけではななく、いずれは自分もその思春期に入ってしまった。

「思春期というのは目に見えないもの」

 という当たり前のことは分かっているはずなのに、それを意識していなかったことで、急に自分に自信がなくなってきたことの原因が思春期にあると、他の人は思春期の間に気づくのに、突入が遅かったことで、その理由に河合少年は気付いていないのだ。それが、自分に自信がないと自覚できているのに、その突破口が見えない原因なのではないだろうか。

 そんな自分に自信がないと思っている河合だったが、中学時代から勉強を熱心にするようになった。

「勉強は裏切らない」

 という信念があったからで、勉強をしていると、やっただけの成果は出るからだった。

 ただ、勉強が得意なやつで同じように勉強熱心だったやつが、急に勉強をしなくなったことがあった。最初はその理由が分からなかったのだが、自分にも一度同じような道があったことで、進む道を見失いかけたことがあったのだが、その時は逆に自分に自信を持てないことが幸いしているのであった。

 なぜなら、自分に自信がある人が見失いかけると、見えていたはずのものを探すことになる。しかし、自信のない人であれば、最初からなかったものだという意識から、探しているのには、案外と見つかるものなのかも知れないが、実際に自信がある人は、下手にどこにあるかを知っているだけに、その場所になければ、今度はどこを探していいのかが分からなくなってしまうだろう。それが逆転の発想に繋がるというものだ。

 しかも勉強が好きで、人と競争することい喜びを感じてくるようになると、必ず高みを求めるようになるんだろう。それが進学であったりすると、中学から高校に進学する時、自分の実力に似合う場所を選択して、受験をして合格すると、まるで自分の目的が達成されたかのような錯覚に陥るものではないだろうか。本当はこれがスタートラインなのに、そう思い込んでしまった時点で、すでにマイナスからのスタートなのに、入学して見ると、まわりは秀才ばかりである。中学時代は義務教育だったので、頭のいい人もいれば、そうでもない人もいる。しかし、入試を突破し、自分の実力に見合う学校に入ったのだから、自分を平均と見て当然ではないだろうか。

 中学時代は、成績はトップクラスだったのかも知れない。だが、高校に入学すると、自分の実力派変わっていないのに、今まで数えるほどしか自分よりも成績のいい人間はいなかったのに、今度は上を見ても下を見ても同じくらいのところにいるのだ。ちょっと油断していると、あっという間に奈落の底に落ちてしまう。

 河合少年は中学時代にそのことが分かっていた。今のようなレベルになる前、最初は中の上くらいだった成績が、いつの間にか奈落の底に落ちていた。自分が怠けたせいもあるが、まわりが頑張ったというのもあるだろう。そうなると、まわりの圧力を初めて嫌というほど感じることになる。

 河合少年にとって、屈辱だったはずである。他のことに自信がもてあい自分が、成績だけは自信を持っていたのに、落ち込んでしまったことを自分が怠けたことよりも、まわりが頑張ったことを知らなかったことの方が自分では怖かったのだ。

 自分が努力する分には、さほど気にすることはないが、見えないまわりがどのように自分に影響するかということが怖いからだった。

 その意識があったから、次回の試験では、以前の成績に戻り、順位の方も前のランクマで戻っていた。自分に自信は相変わらず持てなかったが、

「勉強は裏切らない」

 という意識は却って強くなったのだった。

 高校に入学して、まわりのレベルが同じくらいであることは中学時代の意識があったので、最初から分かっていた。しかし、入学できたことで、達成感に包まれてしまったことは間違いなかった。まわりも、

「合格おめでとう」

「よく頑張った」

 とねぎらってくれる。

 自分だけではないだろうという思いを持っていたことで、何とか落ちこぼれずに済んだと思っていたが、やはり、今まで殿レベルの違いを最初から理解していたことが大きかったというのは、後になって気付いたことであった。

 自分に自信が持てないという意識を持ちながらも、最初からの目標だった警察官になれたのは勉強が好きで、

「勉強は裏切らない」

 という意識を強く持ち続けられたことが一番だったと思うのだった。

 河合刑事はそんな思いを抱いたまま、警官になった。

 制服警官として、街の交番での警ら勤務が主ではあったが、仕事は結構楽しかった。

「刑事になりたい」

 という思いは、一度大学に入ってから、少し冷めてきたような気がしたが、警察官募集の公務員試験に合格して、研修期間に自分が思っていたよりも厳しい警察官としての倫理であったり、厳しい規律などで引き締まった気持ちになったからだ。

 河合は、自分に自信がない分、外的な力に対しては、真摯に受け入れるところがあった。

 その思いが、警察官になってから特に顕著で、学生時代のような甘い生活との違いから、自分に自信がないという意識w補ってあまりあるほどになっていた。

 中学時代から比べれば、自分でも成長したのだと思っているが、その分、まわりも成長している。その思いは高校に入学して、それまで自分がトップクラスだった成績が、中の上くらいに収まったことで、

「まるで自分の成績が落ちたようだ」

 という錯覚に陥ったことで味わっていた。

 あの時に、その思いをたぶん、他の人もそれぞれの感覚でしたのだろうが、その感覚の違いが、大人になって就職してから、顕著に表れるといものであろう。

 河合が、巡査になって最初の事件というのは、事件というには、それほどでもないのだろうが、通報で、

「街のチンピラと店の店員が喧嘩になっている」

 というものだった。

 まだ配属されてから数日だったので、先輩巡査と一緒の勤務だった。電話には河合巡査が出たのだが、通報者が混乱しているようなので、新人の河合巡査では話にならなかった。そこで先輩に変わってもらうと、どうやら、喧嘩が起こっているということで、二人はその場所に急行することになったのだ。

 さすがにナイフなどのような危険物を所持はしていないが、店の裏の狭い路地なので、空きビンなどが置かれている。怒りに任せて、相手を傷つける意志を持ってしまうと、瓶を割って、鋭利な部分を作ることで、大いに凶器になってしまうであろう。

 それを見た先輩巡査は、まず自分に耳打ちした。

「俺が説得してみるから、その間に、君は危険なものを別の場所に移してくれ」

 ということだった。

 やはり、先輩にもこの状況で何が一番危険なことなのかということが分かっているようである。

 その時の喧嘩は、大事に至らずに済んだ。両者とも説得に応じ、落ち着いてみると、それぞれ、悦の場所で、話を訊くことになった。

――なるほど、二人で来たのは、こういう場面も考えてのことだったんだ――

 と思ったが、さすがに巡査であっても、ベテランになると、状況暗団のすごさは、見習うべきものであった。

 河合刑事は、その時に話を訊いたのは、店員の方だった。

 客が印遠を吹っ掛けてきたので、自分も興奮したということだったが、

――この男、どうやら、完全に鎮火しているわけではないようだな――

 と感じた。

 なぜなら、話の中で、ところどころ後悔があったからだ、まるで、

――あのまま喧嘩を続けていれば、自分の方が勝てたのに――

 という意思が見え隠れしているからだった。

 喧嘩というものは、一度やる気をそがれれば、普通はそこで矛を収めるものなのだろうが、この店員を見ていると、どちらが原因だったのかというのが分かってきた気がした。

――この男、相手がチンピラだという意識で、最初から見下したよな態度でも取ったんじゃないか?

 という意識である。

 なるほど、そういうことであれば、喧嘩が激しくなって、警察に通報するほどになるのも分からなくもない。喧嘩の原因が何であったかは、この際、関係はない。どうして自体が大きくなったのかが問題だったのだ。

 そのことは先輩巡査も分かっていたようで、どちらかというと、二人はチンピラ擁護で話を勧めていた。

 すると、店員の方が、不服を言い出した。いわゆる、本音が見えてきたということである。

「警察は、あんなチンピラのいうことを聞いて、俺のいうことを訊かないのか?」

 とまで言い出したからである。

「あなたは、基本的に店のスタッフなのでしょう? 少々との客とのトラブルであれば、スタッフが責任を持ってその場を収めるというのが基本ではないですかね? そもそも客が何かを言い出すには、それなりに理由があると考えはしなかったんですか?」

 と、先輩巡査は言った。

 店員はぐうの音が出ないと言った感じだったが、それでも何かを言おうとすると、

「じゃあ、いいですよ、あなたが責任者として、被害届を出されるんですね? 暴行罪として」

 というと、急に店員は黙ってしまった。

 この界隈の飲食店は、業界で作っている協会が力を持っていて、基本的に、一方的に向こうが悪くかい限り、被害届は出さないようにするというのが基本であった。店員はそのことは知っていたようで、先輩巡査もそれは分かっていることだったので、そこを強くついたのである。

「いいんですか? 店長にも言わずに勝手に被害届を出して」

 と、さらに強くいうと、店員はあっさりと引き下がった。

 その時のチンピラの少年は、今では町の治安に協力するようになっていた。例えば駐車違反の取り締まりや、路上喫煙などの見回りを担っていたのだ。彼は地域における「民間警察」のパイオニアとして、活躍していた、

 あまり知られてはいないが、全国的にはそういう人は結構いると思われる。

 その時の先輩巡査は、今も交番勤務をしている。

「俺は刑事になろうとは思わない。あくまでも市民と寄り添う警官でありたいんだ」

 と言っていた、

 その言葉が印象的で、今でも警察官としての師匠としてその人のことをずっと思っているのだ。

 そんな中学時代から巡査時代を過ごしてきた河合刑事だったが、表には出ていないトラウマを実は持っているようだった。

 それを本人も意識していないようだったが、実は、交番勤務の時の先輩巡査には、それが分かっていたようだ。

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