第15話 羽化

正座。瞑目。


視界を閉ざすと冬の凍気がより一層強く肌を刺す。{塚原繭|つかはら・まゆ}はふう、と呼気を吐き出し、リラックス。精神状態は興奮と些かばかりの恐怖に泡立っているが、肉体の状態はクリアーだ。


「負けられませんから……」

 つぶやく。

 学生会の先輩である{林崎夕姫|はやしざき・ゆうひ}の仇を取るために、久々に新羅道場に足を運んだ日々。辰馬と雫、そしてもと{賢修院|けんしゅういん}の学生会長である源初音という、アカツキ武術史上に燦然と名を遺すであろう3人から直々の{薫陶|くんとう}を受けたのだ。負けられない。ましてや{上泉新稲|かみいずみ・にいな}は5日目のバスケットボール大会、必死に頑張って倒れたエーリカ・リスティ・ヴェスローディアを嘲笑した。それも、許しがたい。


繭はわきに置いた長刀をおっとると静かに、かつ素早く立ち上がり、ブォン、ブンと振り回す。{乱車刀|らんしゃとう}。右に左に旋回する風車のごとく振るい、そして仮想の上泉新稲が隙をついて一撃を見舞ってきたところに引き込み、{獅子大翻身|ししだいほんしん}してカウンター。想像の、とはいえさすがに上泉新稲に直撃は避けられるが、繭は大きくなぎなたを構えなおし、鳳が右翼を広げるように{大鵬展翅|たいほうてんし}、バランスを崩している新稲にならこの大ぶりの一撃が当たる――! 勝つ。そのイメージを得て、繭は控室を出た。


「繭、負けんじゃないわよ! あんたは優しすぎるのがなけりゃあ本当に強いんだから!」

「夕姫センパイ……、ありがとうございます、行ってきます!」


・・

・・・


「つーか、おれがセコンドにつかなくてだいじょーぶか?」

 観客席で辰馬は落ち着きがない。繭は塚原道場の令女だが新羅江南流の、辰馬の唯一の直弟子でもある。心配するのも無理はないのだった。


「セコンドなんていてもいなくてもかわんねーでしょーよ?」

「いやー、それが、たぁくんには秘密兵器があるんだよー」

「秘密兵器?」

「うん。番号」

「番号?」

「そお」

「……あの、雫ちゃん先生? オレ、武道初心者なんでわかりやすく……」

「例えば、1、4、4、2、7! とか?」

「は?」

「うーん、実際やってみればわかるんだけど……、あたしはこれできないからなぁ~」

「今んとこ、学生ではおれと塚原じゃねーと出来んだろ。おれはそーいう技を仕込んだわけだから」

 シンタと雫の会話に相槌をうちながらも、どこか上の空な辰馬。そこに取材攻勢から逃げてきたらしい大輔がやってきて、了解したという顔でうなずく。


「アレですか、西方の大拳闘家、ロッド・アーヴィングが師父カト・ダマットに仕込まれたナンバリング戦法」

「ん。塚原はそれを完璧なレベルまでもってったんだが……おれがついてないとなぁ~、どーにも……。まあ、それなしでも塚原は十分強いが、たぶん上泉はその上を行く」

「あの子バケモンだからねー。本気のあたしでも3本に1本は取られちゃうレベル。学生のレベルからは隔絶してるってゆーか、繭ちんにはそこのところの凄みが足りないからなぁ~……」

「なんとか、クロスカウンターの大鵬展翅一閃、これで決めてくれりゃーいいが……」


・・

・・・


「蒼月館1年、塚原繭、前へ!」

「はい!」

 名を呼ばれ、繭は試合場の中央に進み出る。普段ならしっかりと明確に感じられる畳の感触が、今日はどこか浮ついたものに感じられるのは緊張のせいか。


「賢修院1年、上泉新稲、前へ!」

「……はい」

 上泉新稲は繭の緊張とは対照的に、いやになるほど落ち着いていた。表情は凪、瞳は湖面のごとし。正中線のブレない見事な歩法で進みでて、腰のものを抜く。模造刀ではない、真剣だった。


「この決勝戦、これまでのようなお遊びで終わらせたくはない……。真剣で、どちらかが戦闘不能になるまでの勝負を申し入れる」

上泉は切っ先を繭に突き付け、相変わらず感情のこもらない声で言う。もちろん教育機関である蒼月館の学園講師陣がそんな勝手を許すはずもないのだが、


「面白い、やらせよ」

 武道館の貴賓席、特別に{設|しつら}えられた{高殿|たかどの}に座る初老の男が、豪放に笑ってそういうと教師陣は黙って従うほかない。{紫衣|しえ}に{黄袍|こうほう}、このアカツキという国において皇帝にしか許されない装束をまとう人物は皇帝永安帝そのひとであった。


「あのバカ……! 真剣勝負とか……!」

 永安帝の言葉に、辰馬が腰を浮かせ、立ち上がる。師匠としてはかわいい内弟子を、死ぬかもしれないような真剣勝負などそうそうさせられない。


が、皇帝の内意というのは絶対である。辰馬が貴賓席に怒鳴り込むより早く、真剣勝負が確定。繭も厳しい表情でそれを受ける。


「こーなったらアレだ。やっぱおれ、下に行ってくる!」

「りょーかい。瑞穂ちゃんたちにはあぁくんがまたよその女にーって言っとくねー」

「アホか! つーか言ってる間も惜しい、そんじゃな!」


・・

・・・


辰馬が2階席から駆け降りる間に、すでに試合は開始されていた。


やや短めで拵えの厚い剣を片手半身に構える上泉、おなじみ半身で、両手になぎなたを持つ繭。数秒間、動かず。


 観客の気がわずかに緩んだ、その瞬間! 上泉新稲が踏み込む! 瞬光一閃、残像すら残さず右腕が降りぬかれた後、繭がその場で膝をつく。


「く……速い……」

「わたしの剣にカウンターを合わせただけでも大したもの。けれど不完全な浅いカウンターと、脇腹直撃では、ダメージは比べるべくもないわね……」

「そう、ですね……さすが{剣鬼|けんき}、上泉新稲……ですが、これが道場仕合でなくてよかったです。まだ終わりじゃありません……!」

「真剣で一撃いいのをもらっては、戦況を覆せる可能性はゼロに等しいわよ……?」

「ゼロに等しい、と完全にゼロ、の間には絶大な開きがあります!」


気丈に構えなおす繭。しかし脇腹の出血は激しく、道着が刻一刻と赤黒く濡れていく。そこに容赦ない上泉の攻撃、繭の敗勢が覆ることはない。


「く……」

「所詮あなたもそこまで。……最後にとっておきを見せてあげるから、これで眠りなさい」


 上泉が剣を大上段に構える。方手持ちではなく、両手。そしてほのかに切っ先から迸る神力の波動。神力自体は微弱だが、それは上泉の操る力を伝導させる道を開く役割を担う。


「{瀑布|ばくふ}・{滝夜叉|たきやしゃ}」

 振り下ろされる、必殺の斬撃。衝撃波が、風のない室内に大嵐を起こし床を大きく断ち割る。先日、賢修院裏手の滝で見せた滝割りの絶技、それを対個人用に{収斂しゅうれん}した一撃! 繭は自分の契約古神、氷のウルの力を限界まで引き出して障壁を展開するが、止められない、絶対的な威力が迫り……、


「4、4、2、1、5!」

 男声にしては高く、女声にしては力強い声が、繭の{耳朶|じだ}を打つ。考えるより先に体が動いた。バックステップ、もう一度バックステップ、右サイドステップして前進、胴薙ぎの斬撃!


「かぅっ!?」

上泉が呻く。かろうじて胴薙ぎの一撃をガードしたものの、繭は長身なぶん純粋な膂力が強い。ガード上からでも衝撃力は十分だった。


「……やって、くれる……」

「新羅センパイ、今の……?」

「練習の成果、お前の力だ。さて、上泉。おまえは真剣勝負を通したんだから、こっちにおれがセコンドつくぐらいは問題ねーよな?」

 不敵に笑う、辰馬。お祭り騒ぎの煌玉展覧武術会の会場であっちこっちぶつかりもみくちゃになりながら駆けつけた辰馬は美少年ぶりが台無しにくたびれてしまっていたが、みなぎる闘志に衰えはない。


「……いいでしょう、塚原を倒せば、新羅辰馬を倒したも同じということね!」

「倒せりゃあな。やるぞ、塚原!」

「は、はい!」


上泉はまた神速の踏み込みから瞬斬を狙うが、


「2、3、1、2、7!」

右サイド、左サイド、前進して右フェイク、そして突き! 繭の動きの切れが辰馬の指示を受けて格段に増す。現状かろうじて回避している上泉だが、少しずつ攻撃のヒットポイントが正確なものになりつつあった。


そして。

「ち……これで、決める!」

 もう一度、瀑布・滝夜叉。しかしモーションの大きいこの技、対処されてしまえば隙だらけでしかない。


「4、3、3、1、1、6!」

バックステップから左にふたつサイドステップ、おおきく2歩踏み込んで、繭も大きくなぎなたを振るう。大鵬展翅。


「あなたの、負けです! 上泉さん!」


 なぎなたの斬撃に加え、さらに{靠法|こうほう}の一撃が乗る。必殺技をカウンターの必殺で返され、上泉新稲は沈黙した。


・・

・・・


「……わ、わたし……」

「優勝おめでとう、塚原。さすがおれの内弟子」

「あ、ありがとうございます……でも、新羅センパイが操縦してくださらなかったら……」

「あんなもん、言われたからってふつーは反応できねえんだよ。それだけ反応力高めた自分にまだ自信がもてねーか、塚原は?」

「で、ですが……」

「とにかく。もうお前はチャンピオンなわけだし。これまでみたいにおどおどしてたらいかんわ。胸張っとけ」

「は……はい! ありがとうございます、新羅センパイ!」


「繭―っ! よくやった、さすがあたしの後輩! 学生会の誇りっ!」

「夕姫センパイ、お身体、もう大丈夫なんですね?」

「あったりめーよ! やられたっていっても大したことないし。……つーか上泉に、次はあたしも負けないかんね?」

「………………」

「なんか言いなさいよ、あんたは。ま、これまで負け知らずだった人間に敗北の味はキツいわよねー、あたしもそーだったわ」


「お前たち! まだ勝ち名乗りが終わってない! 勝者、蒼月館、塚原繭!」

 辰馬と夕姫を一喝して、教諭が繭の右腕を捧げあげる。こうして、なかなか自分に自信を持てなかった少女は{煌玉展覧武術会|こうぎょくてんらんぶじゅつかい}という最大の{武壇|ぶだん}で優勝を達成した。


・・

・・・


「にしても……優勝したってのに、よく取材攻勢から逃げてこられたな」

「ま、その辺はね。学生会のノウハウと、あとはおねーさまの名前」

「あぁ、{北嶺院家|ほくれいんけ}……。そりゃ、{三大公家|さんたいこうけ}の次席からの心象、悪くしたくはねぇよな……」

「そーいうこと。つーわけで、今日の主役、塚原繭さんでっす! どぉぞ!」


 すこしお道化て夕姫がいうと、いつもの駅前ペクドナルドに集まった面々が拍手を鳴らす。繭は恥ずかしそうにしながらも立ち上がり、ふかぶかと頭を下げた。


「皆様のご指導ご鞭撻の甲斐あって、今日の優勝という成果をつかむことができました。本当に、ありがとうございます!」

「やはー、めでたいよね、煌玉優勝者が二人とも蒼月館から!」

「ろーじょーセンセのときの男子優勝者って? やっぱりほむやん?」

「んーん? あのころは男女の区別なかったから。あたしが優勝、ほむやんは準優勝」


「神力ブーストで女が強いとはいえ、なんのかんので肉体的には絶対に性差あると思うんだよな。そんな中で優勝しちまうんだから、やっぱしず姉すごいわ」

「やはは、まあそれほどでも? あるけど」

「それで、塚原さんは世界大会を目指しての強化合宿に?」

 頭を搔いて調子に乗る雫を放って、瑞穂が繭に問う。世界大会を狙うなら強化合宿には参加すべきなのだろうが、繭は微笑んでかぶりを振った。


「いえ、それには参加しません。そもそも煌玉にふさわしい人間ではありませんし。本来今年の煌玉をとるはずだったのは、……ここにいる源初音さんです!」

「ふぇ?」

「あー、そーかもしれんな。退学してなけりゃ……」

「いえ、でもわたし、6月の時点で辞退してたよ? 知ってるよね、塚原さん?」

「それでも、もし源さんが出場していれば、おそらく新羅センパイの助けがあってもわたしは負けていました……」

「うーん、そんなに持ち上げなくていいのにな……」

「というわけで、わたしに煌玉優勝は荷が重いです! 今まで通り、普通に学生をやっていられれば……」

「ま、そーいうのもありか。連年推薦辞退してるおれが、塚原にだけ頑張って武の道に進め、とか言えんし」

 辰馬が言う。場の雰囲気が和んだところで、今度はエーリカが立ち上がる。


「そんじゃあ、繭と大輔と蒼月館の勝利を祝して……乾杯!」

「乾杯!」

 全員がジュースのグラスを打ち鳴らす。翌年には魔皇女を伴った覇城の若当主が再びの動乱を連れてくるのだが、それはまた別の話。こうしてひとまず、年末の祭典、煌玉大操練大会および煌玉天覧武術会は幕を閉じた。


Result

〇蒼月館 塚原繭 × 賢修院 上泉新稲●


黒き翼の大天使

外伝・煌玉展覧武術会編 ~了~

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黒き翼の大天使~煌玉大操練大会 遠蛮長恨歌 @enban

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