なぜささやくのか ただし犯人は問わない ②

 学校と違って、塾の教室内はしっかりとエアコンが効いていて快適だった。天井の送風機もゆったり回っていて、勉強に集中するには最適の場所と言える。


 そんな学習環境としては申し分ない中、二人の女の子は楽しくお喋りをしていた。


榛菜はるなちゃん、聞いた? 職員室トイレに出た幽霊の話」


「そりゃ、聞いたよ」


 榛菜はうんざりという顔で返事をした。


「おかげで副担任が国語やることになってさあ、いきなり実力テスト始めるんだよ? しかも朝礼も漢字の小テストやるし……あいつ絶対ネタないからやってるんだよ。ほんと災難」


「そうなんだ……私のところは明後日まで国語ないけど、大丈夫かなぁ」


「明日には家斉先生が出てくるって。明日も副担だったら私があいつを呪ってやる」


「榛菜ちゃんの呪い、怖そう……」と、さくらは肩をすくめる。


 二人の通う学習塾は地下鉄を利用して通わなくてはならない。そのため塾の開始時間との関係で、大体30分くらいは早めに到着してしまう。この時間、熱心な塾生は予習に余念がないし、部活と並行している生徒は食べ損ねた夕食のカロリーを補うため菓子パンを頬張ったりしている。さくらは学校の宿題の漢字書き取りをしながら、榛菜はメロンパンを食べながらおしゃべりをしていた。


 ちなみに榛菜は部活をしていないし、夕食も食べて来た。


「何、きみらの中学また幽霊出たの?」


 別の中学校に通う凛太郎りんたろうが後ろの席から声をかけてきた。先月の下駄箱の怪談に決着をつけてからは頻繁に話すようになっている。


 榛菜は半目で凛太郎を睨んだ。


「正体不明の兄貴以外、出てきてないよ」


「まだ言うのかよ……」


「当たり前でしょ。あのあと、いかついお兄さんがいるって思われて大変だったんだから! 根本さんなんて、まだお兄ちゃん紹介してっていってくるし! 何度も誤解だって言ってるのに!」


「悪かったって」


 こいつは絶対反省していない、と榛菜は気づいている。


「今度来たら、根本さんのホルンに頭突っ込んでソナタ演奏してもらうからね」


「誰だか知らんしよくわからんが、でかい楽器なんだろうなということだけはわかる」


「トランペットの親分みたいな感じだよ。両手でこう……右手をベルに入れたりして吹くの」


「お、山岸さんも吹奏楽部って言ってたな、そう言えば」


 と、しげしげとさくらを見る。小柄で華奢きゃしゃなさくらが大きな楽器を演奏する様子を再現するが、彼女が持つと大抵の楽器は大きく見えるので、いまいちサイズ感がつかめない。


 凛太郎は自分の頭を突っ込むところを想像したのか、身震いして改めて聞いた。


「ま、まぁホルンは置いとくとして。今度はどんな怪談?」


「えっとね」


 さくらが返す。どうも彼女は凛太郎に口が軽い。


「昨日の夜に職員用のトイレで、国語の先生が幽霊を見たんだよ。それで先生、驚いたあまり気絶しちゃったんだって」


「へえー。そりゃ相当迫力あったんだろうな」


 興味津々の彼に、榛菜が付け加える。


「でもさ、いかにも幽霊みたいな話になってるけど、先生たちは『家斉先生は過労で倒れた』って言ってたよ。幽霊とか言ってるのは生徒だけ」


「それはそうだよ、先生たちが幽霊が出たなんて自分たちで言ったりしないよ。でも場所が場所だし、今回もきっとそうだよ」さくらが口を尖らせる。


「今回もって言うか、前回は井手口くんのイタズラだったじゃん」


「そうだけど……でもたまたま井手口くんが上靴を借りてただけで、靴紐がほどけてた原因とは限らないんでしょ? だったらやっぱり例のお姉さんかもしれないよ。先輩に聞いた通りの場所だし、生徒昇降口と職員室トイレ」


「さくらちゃん、ずいぶんオカルト好きになったねぇ……。でも今回は先生が疲れてただけなんじゃないかなぁ」


 残り少ないメロンパンを眺めながら、榛菜は幽霊には懐疑的である。


「ちょっといいかな」今度はあきらが話に入ってきた。

「今回はちゃんと幽霊が見えたって聞こえたんだが」


 前回の上靴の件のあとも彼は相変わらず愛想がない。凛太郎と違い、榛菜とさくらは挨拶くらいしかしていなかったが、よくよく見ると、さきほどの台詞せりふの『今回は』の『こ』の前に少し口角が上がっていることに気付く。たぶん彼としては精一杯愛想よくしているつもりなのだろう。


「そう! 今回は先生が驚くくらい、はっきり見えたみたいだよ」


 さくらはにっこりと晶に答える。


「そうなのか。僕も見てみたいな」


 前回は幽霊なんていないと言い切って名探偵よろしく犯人を推理していたのだが、幽霊の話題にはそれなりに興味があるらしい。


「灰野くんも興味あるなんて、ちょっと意外だね。また幽霊なんていない、って言いそうなのに」


 さくらはニコニコしている。同志を見つけたと思ったのかもしれない。


「いないと思う」


「……え?」


「いないと思うが、大人が幽霊と見間違うような何かがあるなら、僕もみてみたい。もし誰かの悪戯だったとしても面白そうだと思わないか?」


「面白くないよ! しなくていいテストを受けた身になって欲しい」


「それはまぁ、運が悪かったね」


 榛菜は頬を膨らませる。怒っているのかメロンパンを頬張っているのか区別がつかない。


「そんなふうに言うってことは、お前は幽霊以外の原因があると思ってるんだな?」


「もちろん」晶は当然、と言った顔だ。

「幽霊はいない。だが、大人が驚いてしまうくらいにはっきりと幽霊を見たらしい。何かの見間違いなんだろうけど、人魚におけるジュゴンみたいに意外で面白いものかもしれない」


「ジュゴンて何?」榛菜の頭にハテナマークが付いた。


「全然人魚に似てないということで有名な、カバとイルカを混ぜたような人魚に似てる生き物だ」


「似てるんだか似てないんだか分からんな。カバとイルカ……哺乳類ほにゅうるいってこと以外に人間要素なくないか?」


「そんなこと言ったらそもそも魚類とヒトを組み合わせてる時点でもう大概たいがいだ。僕はあのシルエット、割と人魚っぽいと思うんだが。暗いところ、しかも海辺なんかであの生き物を見たら案外見間違えるんじゃないかと思う。明るいところではっきり見ると全く気にならないけど、決まった状況や組み合わせで意外なものが見えてくるっていうのはよくあるんだよ。それは置いとくとして、やっぱり例の女の子だったのかな」


「そう言われても、私が見たわけじゃないし」榛菜がまだ頬を膨らませながら言う。「見たの先生だよ」


 そういってごくんと喉を鳴らした。メロンパンだったようだ。


「でも、みんなそう言ってるよ。女の子の霊だって」


「みんな、とは?」


「え……クラスの友達?」さくらが自信なさげに答えた。


「本人が言ってないならまだわからないな。できれば先生本人に聞きたいところだ」と、榛菜を見る。

「もしくは聞いてきてもらいたい。どんな格好をしてたのか、どんなタイミングで出てきたのか、似ている物や人はあるか、男か女か、子供か大人か、とか」


「ええー……」榛菜は思わずうめいた。まさか晶まで彼女の学校に来るつもりなのだろうか。さもなくば聞いてこい、と。自分のクラスの担任なのだから、聞くとしたらさくらではなく自分だ。


 正直めんどくさい。家斉先生は話しやすくていい先生だと思うが、こんな噂になるような話に答えてくれるとも思えない。その上で無神経な質問をして、まだクラスが始まって2ヶ月しか経ってないのに悪い印象を持たれたくない。


「じゃあ凛太郎にいってもらおうか」


 晶はちらりと隣の凛太郎を見た。彼はニヤリと笑みを返す。


「いいぜ。また白崎さんのお兄さんになればイケるだろ」


「ちょ……ちょっと待った!」あわてて榛菜が口を挟んだ。クラスでならともかく、先生に兄を詐称されたのではかなわない。のちのちどれだけ面倒になるか。

「私が聞いてくる! だから来ないで!」


 晶はにっこりと、おそらく彼の精一杯の笑顔になった。


「ありがとう。僕は幽霊はいないと考えてるから、幽霊に代わる何かを見つけたい。例えば人の形に見える観葉植物とか、誰かの顔写真を使ったポスターとか。もしくは、誰かの悪戯いたずらだとしたらそのトリックや犯人。


 そうだな、まずはどんな幽霊を見たかを聞いて欲しい。次は発生した時刻、誰がその時に残ってたか、それはどんな人物か、その時どこにいたか、そこで何をしていたか。職員トイレの見取り図と設備も調べてほしい。環境確認は大事だから。


 あと、問題の教師が倒れていた状況も。どこで倒れてて、どこのドアが開いていたか、とか。できれば写真があった方がいい、内側だけじゃなく廊下側からも。光源や光の反射の再現性を高めたいから、できれば同時刻くらいがいいんだが、そこまでは流石に手間だし厚かましいから、できる限りでいい」


「……」


 思ってたよりずっと遠慮がない。沈黙した榛菜に代わってさくらが言った。


「結構、ちゃんと聞かないといけないんだね」


「こいつ探偵だから」凛太郎は楽しそうだ。


「探偵じゃない。どちらかと言うと学者がいいんだけど。僕がまだ知らない、未知の領域を感じられれば楽しそうだと思って。本当なら一次資料にあたるべきだから僕が行きたいんだが、凛太郎みたいに他所よその中学校に勝手に入るのも良くないだろうし」


「別に大したことじゃないけどな。お前だって小学校の時は勝手に夜中に学校に入ってたじゃん」


「あれは小学生だったから。中学生になったら流石に」


「オトナになったねぇ。俺はまだガキでいたいから勝手に行くよ」と、榛菜を振り返った。


「来ないでよ!」


「今回は白崎さんが直々に協力してくれるみたいだから行かない。俺もその幽霊は気になるし、本当なら実際に見てみたいけど、我慢する。けど、協力的でないなら……」


 完全におどしだ。


 流石に言い返そうとしたが、タイミング悪く先生が入室してきた。四人は前を向いて座る。


「明日は忙しそうだね」と、さくらが同情した様子でささやいた。

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