なぜささやくのか ただし犯人は問わない ③

 彼女たちが通う塾は月曜、水曜、金曜、土曜日と週四日ある。一般的な塾に比べると多いように思えるが、コマ数的には大差がない。中学1年生向けクラスは、部活生に配慮して開始が遅いのだ。


 晶たちの脅迫きょうはくにあった榛菜は、翌日の木曜日の放課後を聴き込みに当てた。部活をしていない彼女は図書室に行く時間が減っただけだったが、手伝ってくれるさくらはそもそも部活を休んでしまったので、申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまった。


「ごめんね、変なこと手伝わせちゃって……」


「ううん、大丈夫。こういうの、シャーロックホームズみたいで割と楽しいよ。わたし、推理小説もよく読むんだ」


「まったく、ただでさえ学級委員とかでめんどくさいことが山盛りあるのに、さくらちゃんまで巻き込んでこんなことをやらされるとは……あいつら許さん」


 榛菜はぎりりと握った拳に復讐を誓った。何をすると言うわけでもないのだが。


「わたし、全然大丈夫だから。そもそもわたしが塾で幽霊の話を出したのが悪かったのかも……」


 さくらはすこし俯いて、申し訳なさそうに榛菜を見上げる。


「そんなことないよ。勝手に話に割り込んできてこんな頼み事してくるんだから、悪いのはあいつらだよ。100人が聞いたら100人がそう言う」


「……うん……ごめんね」


「大丈夫だって」いつの間にか立場が逆転している。



————



 翌日の金曜日、榛菜とさくらが塾の教室に入ると、すでに晶が席に座っていた。いつもなら二人の後に来るのだが、待ちきれなかったらしい。凛太郎はまだ来ていないようだ。


 二人は席につき、ノートを取り出した。


「今日はいつもより早いね」


「二人に苦労してもらったから、これくらいは」


「本当は待ちきれなかっただけなんじゃないの?」榛菜が口を尖らせながら言う。


「そうかも知れない」と、また精一杯の笑顔を見せた。


「でもね、やっぱり先生本人は教えてくれなかった。自分が倒れた時の話なんてしたくないだろうし、仕方ないね」


 お手上げのポーズをした榛菜のあとに、さくらが続けて言った。


「その代わり他の人に聞いてきたよ。先生が倒れたとき、一緒に残ってた別の先生と用務員さんが介抱したんだって。その二人に聞いてきた」


「あと、写真は撮れなかった。うちの中学校はスマホの持ち込みは禁止だから。問題のトイレまわりの見取り図はそのノートに書いてるよ」


「写真がないのは残念だ。ノート、見ても構わない?」


「どうぞ」


 晶が手に取ったノートを眺めながら、榛菜は昨日の朝のことを思い出した。



 ——————



 本当は、先生に話を聞くことは出来ていた。


 彼女はいつも教室に一番乗りするので、登校するとまず職員室に鍵を取りに行く。もうすでに家斉先生は机の前にいた。


「先生、大丈夫ですか? 過労で休んだって聞いたんですけど」


 榛菜が声をかけると、家斉先生はにっこりと微笑んで答えた。


「大丈夫。心配かけてごめんね」


 目の下のくまを除けば、見た目は健康そうだ。すっきりした目元がとても理知的に見えて、美人でカッコいい大人の女の人。一部の生徒たちは親しみを込めて彼女を響子ちゃんとか響子姉とか、何ならお姉ちゃんと呼んでいる。一人っ子の榛菜もお姉ちゃんと呼んでみたいが、新中学1年生の自分にはなかなかそこまで踏み込めない。


 ああ、胡散臭うさんくさい偽物の兄貴はいらないけど、こういうお姉さんなら欲しかった……。


「先生が休んでたから、いきなりテストされて大変だったんですよ」


 少し勇気をだして、くだけた口調で榛菜が言う。


「あら、白崎さんなら出来たでしょ?」


「出来たと思いますけど、心臓に悪いです。もうお願いだから学校休んだりしないでください」


 家斉先生はニッコリして、もう大丈夫、と答えた。榛菜が見る限りでは、2日前に過労で倒れたようには見えない。


 もっとも過労で倒れる、と言うこと自体がドラマや映画でしか見たことがないので、倒れるほど疲れた人が現実でどんな顔をしているのかは想像するしかなかった。


 さてここからだ、と榛菜は気を引き締めた。晶たちの来校を阻止するために先生に話を聞かなくてはならない。


「ところで先生、私の友達が、『先生は幽霊を見て倒れたんだ』なんて言うんですよ! 私はそんなわけないって言ったんですけど、私が言っても聞いてくれなくて……先生は幽霊は信じますか?」


「……信じないかなぁ」


「ですよね! 私もいないと思ってるんですよ! 非科学的ですもん! 学校で噂の『となりに立つ少女』は知ってますか?」


「女の子たちがその話をしてるのは知ってるよ。私が中学生だった頃も似たような噂があったけどね」


 家斉先生が少し目を伏せた。そういえばさくらの話では10年ほど前の事故が怪談の元ネタになったらしいが、家斉先生はその頃に中学生だったのではなかったか。


「昔はどんなものだったんですか? 今は上靴の靴紐をほどいたりとか、すごく微妙なイタズラするみたいなんです」


「私の時はどうだったかな。10年以上前だからね、正直あまりはっきりと覚えてないなぁ」


 気のせいか、少し口が重たいようだった。あまり良い思い出がないのかもしれない。


 そもそも実は幽霊なんかの怪談が嫌いなのかも。榛菜は少し不安になったが、晶たちの襲来を阻止して平穏な生活を送るためだ。思い切って口にした。


「先生が見たのって、その幽霊だと思いますか?」


「……」


 先生がはっきり視線を榛菜に定めた。


 こりゃバレてる、と榛菜は思った。「幽霊を見た」ことを前提とした質問だ。無意識に「幽霊を見た」回答を引き出すための質問を晶に言われた通りの手順でやったつもりだが、あっさり見破られてしまった。もともとこういう駆け引きは苦手なのだ。詐欺師の手法やらコツやら蘊蓄うんちくやらを晶から聞いていたが役に立たなかった。緊張が顔や声色に出てしまうし、どんなタイミングでやればいいのかわからない。


「白崎さんがそういうことするとは思わなかったな」


「……すいませんでした」まばたきもせずに目をじっと見られたので、思わず顔を伏せてしまった。


「実は、その、このあいだ私の上靴の紐が下駄箱の中でほどけてて、自分ではちゃんと結んだつもりだったんですけど、友達がそれは幽霊のせいだって言うから気になってて、その……すいません」


 それ以上は何も言えなくなって、榛菜は頭を下げた。


 まだ教員もあまり揃っておらず、静かな職員室で気まずい空気が流れた。大人の、しかも普段は優しい人が怒っていると余計に怖く感じるものだ。『優しい姉』と喧嘩するとこんな気持ちになるのだろうか。こんな苦しい怖い思いをするならお姉さんがいるっていうのも考えものだ。


「……女の子を見た」


「え?」驚いて顔を上げた。


「名前を呼ばれた気がしたから、振り向いたらね。あなたたちくらいの子だったかな」


 先生はイタズラっぽく笑っていた。


「でもね、こういうのは気のせいとか思い込みが原因なの。私の場合は疲れが溜まってたのかな。あの時は本当に疲れてたし、ちょっと昔のことも思い出したりして、気が緩んでたから。そんな時はね、見たいものとか見たくないものが見えたり、見慣れた何でもないものが急に怖いものに見えたりとかするのよ。インフルエンザで40度の熱が出た時なんか、シーツのシワがヘビみたいに動いてたもの。だからね、周りが騒いでたら気になっちゃうかも知れないけど、気にしなくていい。幽霊なんていないよ。安心して」


 榛菜は顔が赤くなるのを感じた。幽霊を怖がっていると勘違いして慰めてくれたのだ。やっぱり良いお姉ちゃんだった!


「さっきの話、他の子には内緒ね」


「……はい!」


 榛菜は一礼して、職員室から出た。


 顔がニヤけてしまった。


 私、やっぱりあんなお姉ちゃんが欲しいかも。



 ——————



 さくらに申し訳ないと思いつつも、このことは言えなかった。先生の気遣いが嬉しくて、独り占めにしたかったのかもしれない。普段なら「内緒」なんて言われても、あまり意識もしないのだが。


「白崎さん、教師の反応はどうだった?」ノートに目を通しながら、晶が聞いてきた。


「え?」


「その教師の反応。僕が聞いておいて欲しいって頼んでいたこと」


「ああ、あれ」


 『先生が見た幽霊はどんなどんなものか?』と言う質問だ。一旦話題をずらして似たようなテーマに戻し、前提を決め打ちで認めさせる質問。詐欺師がよくやるらしい、と晶は言っていた。


 さくらに言ってないからにはここでも言うわけにはいかない。


「すぐバレたから、何も聞けなかったよ」


「……そう。すぐバレたんだ。ふむ」晶はノートから目を離して思案顔になった。


「まずかった?」


「いや、大丈夫。何も答えてくれなかったんだね?」


「うん。すぐに引っかけに気付かれたから逃げた」


「そう。たぶん『ちゃんとした人』なんだろうな。教師にしては」


「ちゃんとした人?」


「ああ。もちろん、どんな幽霊を見たか答えてくれるのが一番ありがたかったんだが、生徒の質問をちゃんと聞いてるかどうかも知りたかった」言いながら、宙を見て口元を隠した。

「大人は、とりわけ教師は生徒のいうことなんてまともに聞いてない。意図に気付かずに適当に答えたのならそもそも信用できないので、時間をかけて証言を検証する価値がない。逆に気付いたのなら少なくとも話を聞く姿勢は持っているということだ。そのうえで回答してくれたなら良かったんだが何も聞けなかったのは残念だ。検証できない。でもまぁ、その反応なら本当に幽霊っぽい何かを見たんだろうな」


 晶の言い方にひっかかるものを感じた。


「ちょっと待って。じゃあバレるかも知れないと分かってて質問させたってこと?」


 こっちは先生からの信用を失うかも知れなかったのに、ずいぶんと軽く見られた気がする。それに、目撃談そのものを疑っているような物言いだ。だったらわざわざ調査をさせるのもおかしなことではないか。


「……なんかそれ、気分悪い」


「すまない、だましてるつもりはなかった」榛菜の口調が荒くなったことに気付いて、慌てて晶は答えた。

「ただ教師の反応を知りたかったんだ。あんまり教師って信用できないから」


 晶の慌てぶりを見て、悪気がないことはわかる。ただ、彼女はどうしても彼の言い方が気になった。


「灰野くんが先生を信用しないのは勝手だけどさ、いい先生だっているよ。家斉先生はいい先生だと思う。あんまり悪く言わないで」


「すまない。もう言わない。反省する」


 そう言って、晶は素直に頭を下げた。それでもまだ彼女の腹の虫は治らない。


「もういっそ灰野くんのところに幽霊が出てくれればこんな面倒なことしなくてもいいのにさ。私とか先生とか、関心ない人のところにばかり出るから迷惑だよ」


 榛菜は唇を尖らせる。


 隣のさくらは気まずそうだ。それでも場の雰囲気を変えようとして、健気にノートの端っこを指差して説明を始めた。


「じゃ、内容の説明するね」

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