第二章:底辺ダンジョン配信者の受難

第21話 魔物より魔物

「ただいまー」


 俺は鍵を開けて、玄関に入ると声をかける。

 ちょうどお盆ということもあり、実家への帰省中だ。

 午前中はダラダラと過ごしていたのだが、もうすっかり日も暮れ、夜になりつつあった。


 本当はダンジョン配信をすれば人が沢山来ると思うのだが、亡くなったご祖先様に祈りを捧げる日にバッタバッタと魔物を倒すのも気が引けるなという理由で中止にしたのだ。


 靴を脱いで家に上がると、懐かしい匂いが肺に満たされた。

 なんていうか、こう、実家の匂いって落ち着くんだよな。

 ずっと生活していたからだろうか。


 そんな感想に浸っていると、ドタドタと何かが駆け寄ってくる音。


「ち~ひ~ろっ!」


 その何者かは俺に急接近すると、全力で俺に抱き着いてきた。


「や、やめてくれよ宝華姉さん」

「え~、だって会いたかったんだもん。全然連絡もくれないしさっ!」


 俺の姉──東雲しののめ 宝華ほうかは重度のブラコンである。

 俺のためなら何でもすると豪語するくらいには、愛してくれているのだ。

 けれどその愛が少々重たい。こうして抱き着いてくるのはまだ可愛いほうで、夜、布団で寝ているとこっそり入りこんできて一緒に眠っていたりするのだ。


「ほら姉さん、離れて!」

「むぅ……」


 宝華は残念そうな顔をしながら、渋々と引き下がる。


 姉は美人だ。悔しいがそれは認める。

 腰のあたりまである艶やかな黒髪で、毛先にピンクのメッシュを入れている。

 やや釣り目がちな瞳と綺麗なハスキーボイスのおかげでクール系美女に見えるが、その実ただのブラコン、というわけだ。


「そういや姉さん、今日は配信は?」

「おやすみっ! だってお盆だよ? みんなご先祖さまを迎え入れるのに大忙しだろうし、こんな日に投げ銭なんてもらってもフクザツになるからね」

「だよなぁ」


 宝華はVtuberの大手会社ともいえるスタープラスに所属している。

 いわゆるVtuberというやつだ。

 活動名義は三千院さんぜんいん 宝華ほうか。チャンネル登録者数200万人を越える超大物ライバーだ。


「そっか」なんて雑談をしていると、廊下に母親が出てくる。


「あら、もう帰ってたの」

「ああ、ただいま母さん。連絡はしたろ?」

「ついさっきのことじゃない。まさか走ってきたの?」


 その問いの答えに、俺は首を縦に振る。


「ほら、バスとか電車って待ってる時間長いし、丁度いい運動になるかなと思って」

「探索者ってすごいのねぇ……」


 母は口元に手を当ててびっくりしている。


 母は東雲しののめ 霧子きりこ

 もうすぐ40代後半に差し掛かる年齢だというのに、若々しい見た目をしている。

 美魔女という言葉が相応しいだろう。うちの家系には、美形しかいない。


 ……俺を除いて。


 挨拶もそこそこにリビングへ向かうと、そこには父がソファーに腰掛けて新聞を読んでいた。


「おお、帰ってきたか」

「父さん、久しぶり」


 挨拶をすると、父は新聞を読むのをやめてこちらを見て、微笑んだ。


 父の名は東雲しののめ さとる

 彫りの深い顔に、がっしりとした体型。もうすぐ母と同じ40代後半になるというのに、しっかりと筋トレをしているようだ。


「どうだ、探索者としての調子は」

「もー、お父さんったらボケちゃったの? 新聞にも載ってるじゃん、ほらここ!」


 姉はつかつかと父の元へ歩み寄ると、新聞のあるスペースを指差した。


「なになに……? 大人気ダンジョン配信者、ソロで深淵攻略か。か、ふむ……」


 意外と驚かないんだなと思った矢先、父はソファーから滑り落ちて叫んだ。


「な、なんだってえええええええええっ!?」

「ちょっとあなた、うるさいわよ。もう少しご近所のこと考えないと」

「あはは、まあ最初は私も同じリアクションしたから分かるなぁ」


 窘める母と、同調する姉。


 父は理性を取り戻したようにシュバっとこちらへ顔を向けると、ずんずんと歩いてくる。


「お前、いつからそんな人気者になったんだ?」

「えっと、まぁ、色々ありまして……」


 頬を掻きながら愛想笑いを浮かべる。


「とりあえずご飯にしましょう。今日は千紘の好きなハンバーグを作ったから」

「ハンバーグ!」

「やったー! ママのハンバーグ大好きなのー!」

「う、うん。そうだな」


 色々問い詰められそうだったところを、母の鶴の一声で話題を逸らすことに成功した。


 夕飯は絶品だった。


 ポテトやニンジンと一緒に盛り付けたハンバーグは、噛めば噛むほど肉汁がじゅわっと溢れ出る。それに、暖かく五臓六腑に染みわたるタマネギの味噌汁。

 サウザンドレッシングのかかったサラダ。全部が美味しかった。


「いやぁ、流石母さんだな。どれもめっちゃ美味しかったよ」

「ふふっ、それなら良かったわ」


 途中、おかわりもしたぐらいには米が進んだし、ハンバーグが大きかった。

 きっと、幸せというのはこういうものなんだろう。


 一息ついた俺は、話題を切り出すことにする。

 もちろん、今の俺の現状やそうなった経緯についてだ。


 皆は、黙って聞いていてくれた。


 話終えると、それぞれの表情を窺う。

 父は優しい目つきで、母は柔らかいいつもの笑顔で、そして姉は……目から光が消えた状態で何かをぶつぶつと呟いていた。


「そうか、千紘も立派な探索者になったんだな……」

「あなた自身が頑張ったおかげの結果よ。胸を張りなさい」

「私の千紘が、私の千紘が、私の千紘が……」


 若干不穏なことを言っている姉は放置して、俺は二人に笑顔でありがとうと告げる。


「それでなんだけどさ」


 言いながら、俺は来るときに持参していたキャリーバッグを机の横まで転がし、チャックを開く。中から出てきたのはこぼれんばかりのお札だ。


「千紘!? なんだこれは!?」


 驚愕の表情を浮かべる父さんに、俺は答える。


「昨日一昨日の騒ぎを解決したお礼に払われたお金だよ。これで3人で旅行でも行って、美味しいご飯食べてきてよ」

「だ、駄目よ千紘。お金は大事に使わなくちゃ」


 母さんにそう諭されるが、俺は首を横に振る。


「いいんだ。既に一生分遊んで暮らせるくらいには稼いでるしさ。思い返せば、親孝行らしい親孝行なんて何もできてなかったなーと思って」

「千紘……あなたが立派に生きていてくれるだけで、充分すぎるほどの親孝行なのよ?」

「霧子の言う通りだ。無理に親孝行なんてしようとしなくていい。その気持ちだけで充分なのだから」

「でも、姉さんも行きたがってるみたいじゃん?」


 そう言って姉のほうに顔を向けると、ぱぁっと花が咲いたような笑みを浮かべた。


「千紘が一緒に来てくれるなら、行きたいな」

「ごめん、それはちょっと難しい」

「ゴハッ」


 断りを入れると、姉は口から血を吐いてテーブルに突っ伏した。


 なんていうか、うん……。前途多難だな。


「ま、まぁとにかくこれは受け取ってくれよ! ほら、お金って色々重いし持って帰るのも大変じゃん?」


 俺がそう言うと、両親は渋々といった様子でキャリーバッグを受け取った。


 ちょうどそのタイミングで、風呂が沸いた知らせが入る。


「千紘、先に入っちゃいなさいな」

「うん。長旅で疲れているみたいだしな」

「千紘が入ったあとの湯舟……ヒャッハー!」


 若干一名アホなことを言う輩がいたため、脳天にチョップをかます。


 本人は「ナンデ!? 痛いナンデ!?」なんて騒いでいたが、自業自得だ。

 もはやこいつ、魔物より魔物してるだろ。


 そんなこんなで風呂場に入り、シャワーを軽く浴びたあと、俺は湯舟に入る。

 疲れた体に、暖かい湯が染みわたるのを感じた。


「色々あったなぁ……」          


 脳裏をよぎるのは、ここ数日間で起きた大激戦の数々。

 少しでも対処を間違えていたら死んでいた戦いに、思わず体がゾクリと反応する。

 といっても、恐怖ではない。どちらかといえば武者震いだな、これは。


 初めて潜った深淵。そこは到達した者が一人もいない前代未聞の地獄。

 何がリポップしたのかは分からないが、深層のボス部屋にまた敵が現れてしまったというのなら、深淵に挑める者は間違いなくいなくなるだろう。


 さらに言えば、小鳥遊との会話でも出したようにディーバドラゴンやブネのことも気になる。もし彼らが復活していたとしたら……ブネはまだいい。そもそも深淵から出ることができないのだから。


 だが、ディーバドラゴンとなれば話は別だ。

 あいつの鳴き声には不可思議な効果がある。獲物を引き寄せたり、あるいは恐怖心を煽って誘導させたり。最悪の展開を考えるなら、また暴走スタンピードが起きるかもしれない。


 どうやら、もう一度潜って確かめる必要がありそうだな。


 俺は決心を固めて立ち上がると、風呂場から出た。

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