before : side蒼士

“よくわからない子”それが深山 蒼士にとっての藤村 水惟だった。


営業部の研修初日に自分の「深山」という名字をつぶやかれたときから“よくわからない”が始まっていた。

(俺が社長の息子だって知らないってことはあり得るけど、あんな風に繰り返しつぶやくほど覚え難い名前ってわけでもないと思うけどな。)


ある日、深端の先輩社員でADの洸が蒼士に聞いた。

「蒼士って結構水惟のこと気にしてるよな。もしかして好きなタイプだったりする?」

ここのところ浮いた話も無い蒼士が珍しく女性の名前を口にするので、探りを入れているようだった。

「俺の好きなタイプはもっと大人っぽい感じだよ。深端にいないタイプだから、そういう意味で確かに気にはなってるかな。」

蒼士は淡々と言った。

タイプとは言っているが、大人っぽい感じの女性としか付き合ったことがないだけで、実際のところ好みのタイプはあまり意識していない。

“深端の跡取り”である自分は、落ち着いていて何事もそつなくこなすような女性と交際して結婚するのが自然な流れなのだろうと思っている。だからそういう女性とだけ交際してきた。

しかしそんな気持ちで女性と付き合うのはなんとなく時間の無駄のような気がして、ここ最近は仕事に集中していた。どうせじきに縁談の話が増え、そこから結婚相手を探すのが最も望まれていることだろう、とも思っていた。

「あ、でも藤村さんて」

「ん?」

「俺のこと好きなんじゃないかと思う。」

———ブッ

洸は飲んでいたウィスキーを吹き出した。

———ゴホッ

「自意識過剰だろ。」

「いや、でも…」

「はいはい。イケメンは大変だな。」



(そうかなぁ…)

この日もエレベーターで一緒になった水惟は顔を赤らめて恥ずかしそうに俯いている。

それに、蒼士が質問すれば慌てたように早口で答えた。

(この反応はどう考えても…)

「今度良かったらこの展覧会行かない?深端がスポンサーだから、招待券があるんだよね。」

壁のポスターを指さした。

ほんの気まぐれ程度に誘ってみただけだった。

「え…」

蒼士の予想に反して水惟の眉間にシワが寄った。

(え…)

「あー…そ、それ、もう行っちゃいました…すみません。」

水惟がそう言ったタイミングでエレベーターがクリエイティブチームのフロアに着いたので、お辞儀をして降りて行った。

(…え?)

断られることを想定していなかった蒼士は、ぽかんとして、しばらくポスターを指さしたまま固まっていた。


かと思えば

「あの…」

「ん?」

「いつか…私がADになれて、自信作ができたら…見てもらえませんか?」

「え?」

ある日の打ち合わせ後、妙に先の長い、不思議な提案をされた。

「いいよ。」

「深山さんに見て貰えたら嬉しいです。ありがとうございます!」

水惟はにっこり笑った。

(なんで俺?やっぱり好かれてる気がするけど…)

「………」

「何?なんか付いてる?」

まるで観察するように顔をみつめられた。

「え!?あ!すみません…!」

水惟は慌ててお辞儀をするとミーティングルームから退室していった。

(…よくわからない子だな…)


***


「藤村さん、この展覧会—」

「ごめんなさい、先週末観に行っちゃいました。」


「この個展—」

「観ちゃいました…すみません!」


「今やってる映画—」

「友達と約束しちゃってて…」


蒼士は最初に断られて以来、何度も水惟を誘っていた。自分でもなんとなくムキになっているのはわかるが、水惟の普段の態度との整合性の無さが気になってしまう。

「藤村さんて…勉強熱心なんだね。」

また断られて言った言葉が嫌味っぽくなってしまったかもしれない…と、一瞬後悔して水惟の方を見た。

「え…あはは……ありがとうござい…ます…」

気まずいような、嬉しそうなような、ホッとしたような…不思議な表情をしている。

(この感じ…)

(洸さんの言う通り自意識過剰?恥ず…)


***


「藤村さん、この展覧会はもう行っちゃった?」

これで最後にしよう、と思って水惟に声をかけた。

(どうせ今回も…)

「えっと…行ってないです…それ、まだ始まってないですよね…」

「え?あ…」

ポスターに書かれた展覧会の開催期間は、その週末からだった。テキトーに選んで声をかけたのが見え透いているが、これなら「もう行った」という断り方はできないはずだ。水惟がどう答えるのか興味が湧いた。

「じゃあ、良かったら一緒にどう?」

蒼士の誘いに、水惟は若干怪訝な表情かおをする。

「…あの…どうして…誘ってくださるんですか…?」

(どうして、か…たしかに、俺みたいな立場のヤツに急に声かけられたら怖かったかもな…)

蒼士は水惟の今までの態度になんとなく納得がいった。

「うーん…なんでかな。なんとなく、一緒に行ったらおもしろそうかなって。」

「…じゃあ、はい。ぜひ。」

よく考えてみれば、こんなに何度も女性を誘ったのは初めてかもしれない。


デート前日の夜

【明日楽しみだね。よろしく。】

蒼士は水惟にLIMEのメッセージを送った。

送信後、すぐに既読がついてから返信が来るまでに30分ほど時間がかかった。

【よろしくお願いします】

という味気ない一文と、しばらく間を置いてペンギンがお辞儀をするスタンプが送られてきた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る