番外編 First date

before : side水惟

(え?…今なんて…?)

藤村 水惟ふじむら すいは会社のエレベーター内で戸惑っていた。

目の前には水惟が勤務する深端みはしグラフィックスの営業マンで—社長の息子—の、深山 蒼士みやま そうしが壁のポスターを指さして自分の方を見ている。


——— 今度良かったらこの展覧会行かない?深端がスポンサーだから、招待券があるんだよね。


水惟の聞き間違いでなければ、今、彼は水惟を展覧会に誘った。


(………)


「あー…そ、それ、もう行っちゃいました…すみません。」


そう言った瞬間にエレベーターが水惟の部署のフロアに着いたので、水惟はペコリと会釈をしてそそくさとエレベーターを降りた。

エレベーター内ではできるだけ普通の顔でやり過ごしたつもりだが、今の水惟の顔は真っ赤で心臓はバクバクと早い心音を奏でている。


(今のって…もしかしてもしかすると、デートのお誘い…?)


水惟は自分の考えを振り払うように、フルフルと首を横に振った。


(そんなわけないじゃん!あの深山さんだよ?私なんかとデートなんて…ないない!)


(…じゃあ、何?)


水惟は眉間にタテ線を入れながら「うーん」と考えてみた。


(もしかして何かのテスト?)


(クリエイティブ所属の新人デザイナーが、普段からちゃんと展覧会に行って情報収集してるかどうか…)


水惟は合点がいったという表情かおをした。

(絶対そうだ…。あの展覧会行かなきゃ…!)

先ほど「もう行った」と言ったのは、咄嗟についた嘘だった。

(深山さんにがっかりされたくないもん…!)


***


別の日


「新人なのにすごいね。色は遠目に見てもすごくきれいで目を引くと思ったよ。俺、これ好き。」

デザインで関わる案件の打ち合わせで、笑顔の蒼士言われ、水惟の表情がパッと明るくなる。

「ありがとうございます。深山さんにそう言っていただけると嬉しいです。」

水惟の言葉に、蒼士は一瞬不思議そうな顔をする。

「…なんで俺?デザイナーでもないのに。」


(だって私は…あなたにデザインを見てもらうために入社したから。)

心の中でこっそりつぶやく。

水惟は、入社前に出会った蒼士に憧れて深端に入社した。

(だけど、こんな新人が…ましてや私なんかが相手にされるわけない…)


「あ、えーっと…え、営業さんの意見て参考になるので…」


「あの…」

「ん?」

「いつか…私がADになれて、自信作ができたら…見てもらえませんか?」

そう言って、また不思議そうな顔をした蒼士にやたらと先の長い約束を取り付けると、水惟はミーティングルームを後にした。


(「俺、これ好き」だって。ふふっ。)

蒼士に褒められ、また一歩成長できたような気がして水惟は思わずニヤついてしまう。


***


「藤村さん、この展覧会—」

「ごめんなさい、先週末観に行っちゃいました。」


「この個展—」

「観ちゃいました…すみません!」


「今やってる映画—」

「友達と約束しちゃってて…」


あの日を境に、蒼士によく展覧会や映画に誘われるようになった。

(やっぱり絶対試されてる…)

あまりにもよく声をかけられるので、水惟はテストであることを確信した。

蒼士に誘われたものは全て「行った」か「行く予定」で答えたが、実際は本当に行ったものもあれば、蒼士に声をかけられてから急いで観に行ったものもあった。

(おかげでインプットがすごく増えたかも。)

これが会社の狙いなのかもしれない、と妙に納得していた。


***


「藤村さん、この展覧会はもう行っちゃった?」

また二人きりになったエレベーターでポスターを見ながら蒼士が言った。


(え?)


そこに書かれた展覧会の開催期間は、その週末からだった。

「えっと…行ってないです…それ、まだ始まってないですよね…」

「え?あ…」

蒼士は気づいていなかったようだ。

(なんで?)

「じゃあ、良かったら一緒にどう?」

(これもテスト?どういうテスト?)


「…あの…どうして…誘ってくださるんですか…?」


思い切って質問した水惟は、若干怪訝な表情かおをしてしまった。

蒼士はそんな水惟の顔を見ながらしばらく理由を考えているようだった。

「うーん…なんでかな。なんとなく、一緒に行ったらおもしろそうかなって。」

(おもしろそう…?変な理由…。やっぱり本当はきっと何かのテスト…)

「…じゃあ、はい。ぜひ。」

(会社の研修みたいなものって思えばいいのかなぁ…)


「藤村さん、LIMEやってる?教えてもらっていい?」

「え!?」

(あ、でもそっか…)

営業職と違い、新人デザイナーの水惟には社用携帯は支給されていない。

IDを交換すると、水惟は画面に表示された【深山 蒼士】の名前に嬉しさと緊張を感じていた。

「このギャラリー、ちょっと駅から離れてるから車出すよ。迎えに行くから住所か最寄りの待ち合わせ出来そうなところ教えてくれる?」

「え!そんな、悪いです…電車で行きます…」

「んー…俺が歩きたくないかな。」

遠慮する水惟に、蒼士はいたずらっぽく笑って言った。


(何着て行ったらいいんだろう…)

その日から約束の週末まで、水惟はずっと蒼士と出かける日のありとあらゆるベストな選択肢について頭を悩ませた。

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