最終話 もう一度
「私は深端のことをよく知らないで入ったから、深端の社風とかシステムとかも全然想像してなくて…正直、自分に全然合ってなかったって今ならわかる。」
「…水惟が辞めてから、少しずつだけどいろんなことを変えていってるよ。たとえば社内コンペは必ず事前資料を上長に提出することになった。」
蒼士が言った。
「愛想が良いのも物怖じしないのも、決して悪いことではないし必要な場合もあるけど、技術やセンスがあるのに純粋にそこで勝負できないのはおかしいから。」
「そうなんだ。」
「昔みたいに水惟が苦しむ場面は減ってるはずだよ。それでも深端に戻る気は無い?」
水惟は静かに頷いた。
「私、これからもリバースデザインで働いてたい。」
「………」
「人数も私にちょうどいいし、みんな穏やかで…私がいるべき環境だって思えるの。服装だってTシャツでもいいし。」
水惟は笑った。
「それにやっぱり洸さんて超すごいし。まだまだ洸さんの下で勉強したい。」
「…深端よりも良い環境?」
蒼士の質問に、水惟は頷いた。
「私にとっては…ね。でも、深端のシステムが改革されて助かる人もいっぱいいると思う。私と違って、純粋に深端グラフィックスを目指して入社した口下手なデザイナーさんとか。」
「そっか…。」
蒼士はほんの少し寂しさを滲ませた。
「だからね…これからもリバースで…あなたと仕事がしたいです。」
水惟は蒼士の手を握って言った。
「あなたが泣いちゃうようなモノが作りたい。」
「………」
蒼士は珍しく照れたような顔をした。
「…もう泣いただろ?järviのロゴの時…」
水惟は首を横に振った。
「あれはデザインの力だけじゃなくて、数年振りって気持ちが上乗せされてたから…」
「厳しいな…」
「それからやっぱり…もう一度、夫婦…ううん、恋人からでもいいから…やり直したいです…」
水惟は顔を赤らめながら言った。
「………」
「…ダメですか…?」
「でも…水惟にとって俺は…」
水惟はまた首を横に振った。
「蒼士が言った通り、私たちは結婚するのが早すぎたんだと思う。」
水惟が言った。
「蒼士に好きになってもらえて、結婚できて…でも、それに見合う自信が全然なくて。会社でもパーティーでも会食でも、ダメな自分を突きつけられるたびに…蒼士の気持ちを疑うようになってた。」
「俺の気持ち?」
「うん。“私のことを好きだなんて何かの間違いかもしれない”とか“気の迷いで結婚してくれたんじゃないか”とか…好きって言ってくれるのを信じきれなくて…だから、仕事も家事も頑張らないと捨てられちゃうって思って…今思うと頑張りすぎてた。」
水惟は恥ずかしそうに笑った。
「記憶が無くなってた原因がストレスだって言うなら…あなたと別れてしまったのが悲しくて信じたくなかったからだと思う。」
「………」
「その証拠にね…再会してから、ずっと…“嫌い”って思おうとしたのに“ここが好きだった”って…好きなところばっかり思い出してた。」
「水惟…」
「私、4年間で少しは強くなったよ?コンペだっていっぱい参加したし、パーティーだって会食だって昔よりは慣れたし、ADとしての代表作だってできた。」
「うん、知ってる。」
「だから—」
言いかけた水惟の唇を、蒼士の唇が塞いだ。
「俺に言わせて」
「俺ともう一度、結婚してください。」
「はい。」
二人は笑い合い、何度も何度も唇を重ねた。
すぐにキスが熱を帯びて二人の吐息が甘く混ざり合う。
ベッドの上で蒼士が水惟を蕩かすのにも、そう時間はかからなかった。
***
一年後
「「おめでとー!」」
リニューアルオープン後のjärviで、水惟と蒼士の再婚パーティーが開かれていた。
二人が元夫婦で復縁したことを知ったオーナーの湖上は、驚きながらもとても縁起が良いと喜んで、仲間内だけのパーティーの場としてjärviを提供してくれた。
järviのリニューアルオープンはプロモーションも含めて話題になり、広告賞やデザイン系の賞も受賞した。
「水惟〜かわいいー!」
Aラインの白いワンピースに身を包んだ水惟を冴子が例によって抱きしめた。
「水惟にしては緊張してないじゃん。」
ファインダー越しに芽衣子が言った。
「…この間の結婚式が凄すぎて…なんかもう、あれより緊張することって無いかも…」
晴れて再び入籍した二人は、前回の結婚のときに先延ばしにしていた結婚式を今回は早々に執り行った。
深山家の結婚披露宴は規模が大きく、政財界の大物も何人かいるようなものだった。
その際に親しい仲間とあまり話ができなかったこともあり、今回のパーティーが開かれた。
「髪はまた黒くしたのね。」
「うん。今回は頑張りすぎないって決めてるけど、少しは合わせていくつもり。」
(それに…)
黒い髪の方が、蒼士にプレゼントされたあのワンピースが似合うからだ。
「水惟、おめでとー」
「アッシー。ありがと。」
「やっぱ二人ともまだ好きだったんじゃん?俺の目に狂い無し。」
「なんか腹立つけど…そうだね…」
水惟は悔しそうに言った。
「つーか水惟、人妻に戻ったんだよな〜」
———ボスッ
「うっ」
ニヤつく啓介のお腹にパンチを入れたのは芽衣子だった。
「あんたはこんな場でもそのノリなわけ?」
「冗談じゃん。俺にはメーちゃんだけだよ〜」
「うざ…」
二人のやりとりに水惟はクスクスと笑みを溢した。
「水惟」
グレーのタキシード姿の蒼士が水惟の分の飲み物を持って来た。
「大丈夫か?」
「うん、ありがとう。」
「疲れてたら控え室で休んでても…」
「も〜大丈夫だって!過保護だなぁ…」
水惟が困ったように笑って言った。
「心配するに決まってるだろ?」
蒼士は溜息混じりに言った。
つい一週間ほど前に水惟が妊娠していることがわかった。
「もう無理はしないから、安心して。」
「辛いときは、ちゃんと俺に相談して。」
水惟は微笑んで頷いた。
仲睦まじい二人を見て、洸と蛍の生川夫妻はまた“親心”で涙を流していた。
それを見て、水惟と蒼士は困ったようにまた笑い合った。
fin.
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