第37話 水惟の弱さ

蒼士は氷見を社内の小会議室に呼び出していた。

「こんな風に呼び出されるって珍しいですね。何かありました?」

「今日社内解禁になった輝星堂の案件、見ました。」

「………」

「あれは…水惟の企画ですよね。プレゼンの前に俺に言ってた内容と同じだ。」

「あー…やっぱりそうだったか…」

氷見は眉間にシワを寄せて言った。

「やっぱりって、わかってたんですか?」

「んー、はっきりわかってたわけじゃないけど、乾は考えなさそうで水惟が考えそうな企画だな…程度には思ってました。」

「どうなってるんですか?水惟もプレゼンしたはずじゃ—」

「してませんよ。」

蒼士の言葉に被せるように氷見が言った。

「え?」

「あの子、乾の次の順番でしたけど…準備不足だから辞退するって言ってプレゼンしなかったんです。」

「俺にはプレゼンしたけど上手くできなかったって…」

———ふぅ…

氷見は溜息をいた。

「水惟なりに、心配をかけないように気を遣ったんじゃないですか?プレゼンの日は早退もしましたけど、もしかしてそれも聞いてないとか?」

「………」

「図星?」

蒼士は全く知らなかった事実に愕然とした。

「でもとにかくこれは水惟の企画なんだから、今からでも水惟の企画として—」

「できないですよ。そんなこと。」

氷見は冷めた口調で言った。

「なんで?上席の氷見さんならできるでしょ?」

「なんて言えばいいわけ?」

「え?」

「深山くんから“乾が水惟の企画を盗った”って指摘があったから、乾は外れろって言うの?」

氷見は淡々とした口調で言った。

「それで水惟はどうなるの?やっぱり深山家のお嫁さんは特別扱いなんだ…って言われるんじゃない?」

「………」

「その様子だと、ここ最近の水惟の置かれてる状況も本当に知らないみたいね。」

「水惟の状況?」

蒼士は眉を顰めた。

「私のせいでもあるんだけど…社内中から「深山家だから会社や氷見わたしに贔屓されてる」って言われてるのよ。」

「………」

「私は深山くんにも相談しようって言ったけど、水惟は深山くんは忙しいから迷惑かけたくないって頑なに聞かなくて…必死になって残業して細かい案件をこなしてる…贔屓なんてされてないって示すために。」

蒼士は初めて聞く話に、信じられないという表情かおをした。

「だからって企画が盗まれていい筈は—」

「良くはないけど、この業界ではよくあることだし…抗議するなら、水惟本人がするべきでしょ?」

「それは…」

「あの日、あの場で水惟が抗議すれば平等に判断できたけど、あの子はそれをしなかった。今…本人の抗議でもなく後出しで物言いがあって、ましてや深山くんからだなんて、水惟の立場が悪くなるだけでしょ。」

「………」

「だいたい、深山くんは水惟以外の人間のことならこんな風に冷静さを欠いた抗議なんてしないんじゃない?特別扱いしてないつもりかもしれないけど、れっきとした特別扱いだと思うけど。」

「………」

蒼士は何も言えなかった。

「水惟は…深端でやっていくには、そういうところが少し弱すぎるのかも。先輩のために折れようとするところも何度か見て注意したし。今回のことだって、乾はきっと水惟の後だったとしても同じようにプレゼンしたと思う。水惟は才能もあって一生懸命だけど…あの子にはそういう図太さが足りないんだよね。」

氷見は悩ましげに言った。


「ただいま…」

「おかえり。」

蒼士が帰宅すると、水惟は何事もなかったような顔で出迎えた。

蒼士は水惟を抱き寄せてきつく抱きしめた。

「え、なに…?」

「………」

「蒼士?」

「…なんで、コンペのこと…嘘ついた?」

蒼士の言葉に、水惟の心臓がドクンと脈打った。

「そ…れは…」

「俺ってそんなに頼りない?」

「え…!?ちが…」

水惟は蒼士の腕の中で必死に首を横に振った。

「あれは…私が…私のデータの管理も悪かったから仕方なくて…」

「社内でいろいろ噂されてるって?」

「え…そんなの誰から……氷見さん…?」

「誰からだっていいよ。俺は、水惟から聞きたかった。」

蒼士は水惟の困惑した顔を覗き込んだ。

「なんで言ってくれなかった?」

「………」

「なんでずっと一人で抱え込んでた?」

心配するようにも、責めるようにも聞こえる問いだった。

「………」

「………」

「…言えない…」

水惟がつぶやくように言った。

「………」

「言えるわけない…だって…蒼士が悪いわけじゃないもん…」

「………」

「蒼士は私のために忙しくしてるってわかるし…」

「水惟…」

「わたしが…私がもっと蒼士に相応しければ、誰も何も言わないのに…」

「水惟は悪くないって」

「内緒の頃はこんなんじゃ無かったのに…」

水惟の目から涙がこぼれた。

「水惟」

「こんな風に…蒼士に迷惑とか…心配とかかけちゃうなら—」


「結婚なんてしない方が良かった」


「水惟、何言ってるんだよ」

蒼士が語気を強めた言葉に、水惟はハッとした。

「ちがうの…そんなこと思ってない…違う…やだ…ちがう…」

水惟はパニックになったように泣きながら否定の言葉を繰り返した。

「違うの…」

蒼士は水惟を強く抱きしめた。

「わかってるから。水惟、落ち着いて。」

「………」

水惟は縋り付くように、蒼士の服を強く掴むように抱きついた。

蒼士は水惟を宥めようと優しく頭を撫でて、背中をさすった。


翌日

「辛かったら会社休んだ方がいいんじゃないか?」

心配する蒼士の提案に水惟は首を縦に振らなかった。

「忙しく働いてる方がコンペのことも忘れられるし、いろんなことが気にならないから。」

「そっか…」


***


「結婚しない方が良かったって…言ったのは私…」


水惟は当時のことを鮮明に思い出した。

ずっと蒼士に言われたと思っていた言葉は、水惟自身が言ったものだった。

乾との出来事を思い出し、水惟は吐き気にも似た気分の悪さを感じた。

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