第36話 水惟の番

名前を呼ばれ、水惟は震える足でスクリーンの前に向かう。その途中、どこからかヒソヒソと噂をするような声が聞こえてきた。

「………」

水惟はスクリーンの前でお辞儀をすると、パソコンの前に座った。自分のファイルを開こうとして、水惟の手が止まる。

『深山さん?』

司会者の声が耳に届かないくらい、水惟の頭の中では色々な考えが巡っていた。


ついさっき乾が発表した内容と同じ物を後から発表すれば、自分の方が盗用だと思われるのではないか?


同じ内容を乾より上手くプレゼンできる自信がない。


何故、乾は自分の企画を盗んだのか?


氷見は気づいていて、先程の質問をしたのか?


そもそも自分の発表が好意的に受け取られるのか?



自分が同じ内容で発表したら、乾の立場はどうなるのか?



『深山さん?プレゼンを始めてください。』

「…あ…え、と…」

額には冷や汗が滲む。

「え…と…」

室内にいる全員の視線が突き刺さるようだった。


———クスクス…

固まる水惟を嗤うような声が聞こえ、水惟の頭は真っ白になった。

『深山さん?』

「…あ、あの……すみません、今回のコンペ…準備不足でした…辞退…します…」

水惟はか細い声で振り絞るように言うと、自分のファイルを削除して元いた席に戻った。


「ダサ…」


油井の声が聞こえたが、今の水惟にはもうあまり意味の無い悪意だった。


その日、水惟はプレゼンの時間が終わると氷見に申し出て早退することにした。

「水惟、何か言うことがあるんじゃない?」

水惟は俯いたまま無言で首を横に振り、オフィスを後にした。

家に帰ると、今日も蒼士のいない静けさに包まれたベッドに潜り込み、独り肩を震わせて泣きじゃくった。


翌日、水惟は気が重いまま出社した。


「プレゼンできなかったらしくて—」

「やっぱり全然実力が伴ってないんじゃん—」


“贔屓されている深山 蒼士の妻”が準備不足でプレゼンを辞退した、という噂はあっという間に社内中に広まっていた。

「…おはようございます。」

クリエイティブチームの部屋に入ると、水惟は元気とは言えない声で挨拶をした。

「水惟、おはよっ!」

明るい声で水惟に声をかけたのは乾だった。

「昨日早退してたけど、大丈夫だった?風邪がぶり返したりしたの?」

「………」

白々しい態度に、水惟はどう答えればいいのか全くわからなかった。

「でも、ありがとね。」

「え…」

「水惟が細かい案件片付けてくれたからプレゼンの準備に集中できて、昨日は良いプレゼンができたから。」

乾はにっこり笑って言った。

「あの企画は…」

「なぁに?水惟は準備不足でプレゼンできなくて残念だったね。どんな企画だったのか、すーっごく気になるけど。」

「………」

昨日、あの場で発表しなかった以上、これから水惟が同じ企画を出しても分が悪すぎる。

水惟は泣きたいのを堪えて、平静を装ってパソコンに向かった。


「ただいま。」

数日経って蒼士が出張から帰ってきた。

「おかえり」

水惟は精一杯の笑顔で迎えると、蒼士の食事の用意をした。

「あれ?水惟の分は?」

「…ごめん、お腹空いてたから先に食べちゃった」

申し訳なさそうに笑って嘘をついた。

「輝星堂のプレゼンどうだった?」

食事をしながら蒼士が聞いた。

「………」

「なんかあった?」

「えっと…うーん…失敗しちゃって。あんまり上手くプレゼンできなかった」

また苦笑いで嘘をついた。

「そっか…せっかく頑張ってたから、企画の内容で判断してもらえるといいね。」

蒼士の優しい言葉が、企画の提出すらできていない水惟には辛くて堪らない。

それでも水惟は、乾に企画をとられてしまったことを蒼士には言えなかった。



「今回は乾の企画が選ばれました。おめでとう。」

数日後、氷見からコンペの結果発表され、みんなが拍手をした。

「おもしろくなりそうな企画だったもんな〜」

「よく練られてたしねー!」

それは本来、水惟が浴びるはずの祝福だった。

「ありがとうございます〜!輝星堂の大きいプロジェクトって憧れだったので嬉しいです!」

乾は全く悪びれることなく水惟の功績を自分のものにした。


「私これから輝星堂さんと打ち合わせとか増えるから、その分のフォローよろしくね。」

乾が水惟に言った。

「…はい」


それから、水惟はまた細々とした案件をこなしていった。目立たない立場になることで自分が噂の対象から外れられる気がして、これはこれで良かったのかもしれない…と考えるようにした。

案件が多く、作業に没頭することで嫌なことを考えずに済むような気もしていた。


「んー…なんかしっくりこないね。」

水惟のデザインをチェックしていた氷見が難しい顔で言った。

「水惟らしくないっていうか…なんだろうなぁ…」

「いつも通りにデザインしたんですけど…ちょっとマンネリでしたか?」

「いや、そういうわけでもないんだけど…」

「もう一回考えてみます…」

氷見は手元に残された水惟のデザインをじっと見つめた。


このところ、水惟のデザインがダメ出しされることが増え始めていた。それと比例するように水惟の溜息が増え、食事の量は相変わらず減り続けていた。



しばらくすると、輝星堂の広告デザインが社内に発表された。

「え…?」

デザインを見て唖然としていたのは蒼士だった。

社内資料に記載されたADの名前を確認して、また唖然とする。

蒼士はすぐにスマホから内線電話を掛けた。

『はい』

「あ、氷見さん?ちょっと話があるんですけど、お時間いいですか?」

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