第35話 社内コンペ

翌日には水惟の熱は下がり、体調は快復していた。

「昨日はご迷惑をおかけしました。」

水惟は出社するとまず氷見に挨拶をした。

「ここのところ、根を詰め過ぎだったからね。たまには良い休息になったんじゃない?あんまり無理しないでね。」

氷見に言われ、水惟は申し訳なさそうに「はい」と頷いた。

「仕事のことは大体問題なく進行できてるはずだよ。乾が結構フォローしてくれてた。」

「乾さんが?」

「うん。ポスターのラフの提出とか、パンフの文字直しとか?水惟のパソコンちょっと使わせてもらったよ。なんだかんだ言って水惟はクリエイティブでの乾の初めての後輩だしね。」

「…ポスター…?」

「昨日提出しなきゃいけない案件だったみたいだけど?」

水惟が予定していた提出物のスケジュールにはポスターの提出予定は無かったが、急に〆切が早まるのはこの仕事ではよくあることだ。今回もそういうことなのだろうと、水惟はあまり気にしなかった。

「乾さん、昨日はご迷惑をおかけしてしまってすみませんでした。フォローありがとうございました。」

「ああ、いいのよ別に。体調は大丈夫?」

仕事の打ち合わせでないせいか、ここ最近の乾にしては珍しく機嫌の良さそうな表情をしている。

「はい、もう大丈夫です。ありがとうございます。それで、提出いただいたポスターってどの案件ですか?メールの履歴ではわからなくて…」

「え?あ、私氷見さんにポスターって言っちゃった?パンフの文字直しだよ。履歴にあるでしょ?」

「あ、そうだったんですか。」

水惟が納得したように言って自席に戻ると、乾はホッとしたように息をついてわずかに口角を上げた。


一日だけの休みで、部署内のフォローがあったとはいえ、会社を休めばそれなりに仕事は溜まる。その日はその処理に追われて一日が過ぎていった。

水惟は翌日の残業時間に、誰もいないオフィスでもうほとんど準備ができてきるコンペの資料を少しだけ手直しした。

風邪の名残りなのか、少し頭痛と眩暈がした。



社内コンペ・プレゼン当日

深端グラフィックスの社内コンペでは基本的に事前資料などは配布せず本番のプレゼンをして、プレゼン力や、審査対象ではないものの深端のデザイナーとしての対応力なども見られる。

プレゼンの順番はその場で決められ、水惟は一番最後にプレゼンをすることになった。


この日のプレゼンの聞き手は、氷見が事前に話していた営業部長の他に、マーケティング部の部長とマーケティング部の若手社員などがいた。油井の姿もある。


プレゼンをするのは全員クリエイティブチームの仲間で先輩ということもあり、水惟にとっては一人一人の企画やデザイン、プレゼンがすべて勉強になるものだった。

自分にはない発想や、細かいところまで企画が練られどんな質問にも答える先輩のプレゼンに、水惟は感心しっぱなしでとてもワクワクした気持ちになっていた。

だからといって、自分の企画が負けているとも思うことはせず、プレゼンに向けて心の準備をしていた。


『じゃあ次、乾 吉乃さん。お願いします。』

乾が発表用のスクリーンの前に立ってお辞儀をすると、乾はデータ投影用のPCの前に座り、自分のプレゼン資料を開いた。乾の企画がスクリーンに映し出される。


「え…」

そこに映された文字とイメージスケッチを見て、水惟は思わず声を漏らした。


『私が提案するテーマは“モノクローム”です。』


マイク越しに乾の声が部屋に響く。


『こちらのコスメシリーズのメインターゲットは10代後半から20代の女性とのことですが、敢えてその層に馴染みの薄いモノクロームの映画をテーマに、ルージュやネイルの色を際立たせて—』


その声に反響するように、水惟の手が震える。


『チープな雰囲気のSF映画や、レトロな恋愛映画風のCMやポスターで—』


『SNSにも、モノクロームの写真や動画をメインにしたアカウントを開設します—』


『プロモーションの一環として、実際に商品以外の部分は白黒でメイクを施したモデルのファッションショーも—』


それは水惟が考えた企画と、細かいところまでほとんど同じだった。

途中から何を見て、聞いているのかよくわからなくなってしまった。

水惟が休んだ日、水惟のパソコンに入っていたプレゼンシートを盗み見られたのは明白だった。


乾の自信に満ち溢れたようなプレゼンが終わり、室内は拍手に包まれた。


質疑応答の時間になり、氷見が手を挙げた。

『良い企画だと思いました。』

氷見が乾を褒めたことに、水惟の胸がギュ…と音を立てて軋む。

『でもなんていうか…乾らしくないよね。どんな時にこの企画を思いついたの?』

氷見は違和感を抱いているようだった。

『それって最高の褒め言葉です!』

乾が笑顔で言った。

『思いついたっていうより、自分の企画に足りないものを考えました。先輩方や後輩のみんなが凄い企画を出してくるだろうなって思ったので、私にしか考えられないものってなんだろう?って。そしたら思い浮かんだんです。商品の個性をより際立たせるプロモーションが。』

乾は水惟のいる方を一瞥して言った。

その後の質問にも乾は流暢に答え、プレゼンはスムーズに終了した。


『では次、深山 水惟さん。お願いします。』

乾の次が水惟のプレゼンの番だった。

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