あの頃の記憶

第25話 あの頃の夢

水惟は懐かしい匂いに包まれながら夢を見ていた。蒼士と結婚する前の夢だ。


***


「水族館楽しかったね。」

夕方の海辺を蒼士と手をつないで歩きながら、水惟がニコニコとした無邪気な顔で言った。

「うん。水惟が楽しそうで楽しかった。」

「なにそれ…」

水惟をみつめて微笑む蒼士に、水惟は照れくささをごまかすように頬を膨らませて言った。

そんな会話をしていると、蒼士が急に立ち止まった。

「え、何?なんか落とした?」

「水惟、あのさ…」

「ん?」

蒼士の顔を見上げて、首を傾げた。


「俺と結婚して欲しいんだ。」


「………」

水惟はしばらくキョトンとした表情かおをしたまま、蒼士の言葉を何度か頭の中で反芻はんすうした。

「え…結婚…?」

蒼士は深く頷いた。

「結婚…」

「嫌?」

だんだんと戸惑った表情になる水惟に、蒼士が聞いた。

「えっと…嫌とかじゃなくて…えと…早いかなって…」

「もう一年半以上付き合ってるよ。」

「そう…だよね…。うん、そうなんだけど…」

「不安?」

水惟は小さく頷いた。

「私…まだ25歳で、その…結婚て現実味が無いっていうか、仕事もやっと任せてもらえるようになってきたところだから…結婚はもう少し先だって思ってたの…」

水惟はポツリポツリと本音を零した。

「それに、あの…よくわかってないけど…深山のお家って…」

「…俺とは結婚したくない?」

蒼士の言葉に、水惟は首を何度も横に振った。

「違うよ!そうじゃない!いつかは…そう…なったらって…」

水惟の顔は困ったように眉が下がっている。

「じゃあ、結婚しようよ。」

蒼士は水惟の頬を両手で包むと、どこか妖艶さのある笑顔で水惟の瞳を覗き込むように言った。

「25歳で結婚なんて世間ではごく普通だし、もちろん仕事は続けて欲しい。深山家に入ったからって実家に住む必要もないし、わからないことは俺が教えるよ。」

「…………え…と…」

蒼士にみつめられ、水惟は赤くなり目を逸らせなくなった。

「それに、結婚したら会社でも隠さなくて良くなるよ。もっと一緒にいられる。俺は水惟とずっと一緒にいたい。今っていう意味でも、これから先の人生って意味でも。」

「………」

「水惟が想像してたより、少し時期が早くなっただけだよ。」

「………」

水惟は言葉を発せずにいる。

「…俺は来年には30歳になるし、そしたら仕事関係の縁談の話も増えると思う。」

「え…」

水惟の顔が不安そうに青ざめる。

「他の人と結婚してもいい?」

蒼士の意地悪な質問に、水惟は首を振った。

「そんなのやだ…」

「だろ?だから結婚しようよ水惟。ね?」

水惟は少しだけ考えるようにゆっくりと頷いた。

「…はい」

蒼士は水惟の顔を自分の方に向かせると優しく触れるようにキスをした。

「順番がめちゃくちゃになっちゃったけど…」

そう言って蒼士はポケットから小さな箱を取り出すと、フタを開け、指輪を水惟の左手の薬指にはめた。

「大好きだよ、水惟。ずっと一緒にいよう。」

水惟を優しく抱きしめる。

「うん…わたしも…私も、大好き。」

水惟は蒼士の背中に回した手に、ギュッと力を込めた。


***


今日の夢はいつもの曖昧な夢と違って、随分とはっきりしていた。


(懐かしいな…)

浅くなった眠りの中で、水惟は当時のことを思い出していた。

(あの時…どうして急に結婚なんて言ったんだろう…)

当時の二人の間に結婚という言葉が出てきたことはあの時まで一度も無かった。大人同士の交際だったのでもちろん水惟も蒼士との結婚を想像したことが無かったわけではない。しかし蒼士は水惟にとって初めての恋人だったし、深山家の跡継ぎということもあり、軽々しく口にして良い言葉ではないと思っていた。

(わかんないなぁ……ぜ〜んぜん…わかんない……)


それから何度か浅い眠りの中で断片的な夢を見た。そのどれもが蒼士と出会ってから結婚して離婚するまでの間の夢だった。


(んー…)

居酒屋を出て数時間が経った頃、水惟はゆっくりと目を覚ました。

目の前には見覚えのある高くて白い天井が広がっている。

(冴子さんたちと飲んでた最後の方の記憶が無いけど、ちゃんと帰って来たんだ…)


(よかった…)

もうひと眠りしようと目を閉じた。


(………)


(……?)


どことなく違和感を覚えた。


(え!?)

水惟はパチっと目を開けた。


(ここって…)


見覚えがあるのは当然だった。ここは4年前まで水惟が毎日寝起きをしていた寝室だ。

広々とした部屋の窓の外にはマンションの高層階からの景色が広がっている。


(なんで!?)


水惟は窓と反対の方に視線をやってギクッとした。

「っわ!?」

思わず小さな声を漏らしてしまった。

ベッドの脇に置かれた椅子には、蒼士が座ったまま軽く腕を組むような格好で寝ている。

水惟は慌てて飛び起きようとしたが、起きるべきか、静かに寝ているべきか…など、行動を決められずにわたわたとしてしまった。


「あ…起きたか。体調大丈夫?」

水惟の動く気配を感じたのか、蒼士が目を覚ました。

「………なんで…」

この状況について、疑問のひと言を口にするのが精一杯だった。

「冴子さんに呼び出されて店に行ったら水惟が寝てたから。」

「そう…なんだ…」

(冴子さん…)

「…え、でも、だからって…なんでこの家に連れてきたの…」

「………」

蒼士は少し迷うように間を置いた。

「…水惟に、確認したいことがある。」

「………」


「何か、思い出したんじゃないのか?」


水惟は蒼士の方を見たまま、口をキュッとつぐんだ。

「………」


——— ふぅ…

蒼士は小さく溜息をいた。


「居酒屋で、久しぶりに名前で呼ばれた。」

「………」


「寝てる間も何回か俺の名前とか、深端時代の知ってる名前が出てきた。だから—」

「……つき…」

「え…」


「嘘つき」

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