第24話 4年振りの名前

「メー子、水惟の住所知ってる?」

「え、引っ越してからは知らない。」

「だよねー洸ちゃんに聞いてみるか…」

冴子と芽衣子は眠っている水惟を前に相談していた。

「生川さん、今夜から海外ってさっき水惟が言ってなかった?ケータイ通じないかも。」

芽衣子の予想した通り、洸の電話は通じなかった。

「はぁ?住所知らないなら来なくていいから。じゃ、おやすみ。」

芽衣子は誰かに電話をかけた。

「アッシーも知らないって。自分ちに泊めようかとか言ってたけど。」

「メー子…どさくさで男に電話するのやめてよ。」

冴子が呆れて言った。

「あはは。バレた?でもマジでどうする?うちは遠いし…」

「うちは家族がいるしね〜。この子、お酒が入るとなかなか起きないからなぁ…。」

冴子は水惟をじっと見た。

「………」

「ホテルでもとって私が一緒に泊まろうか?ちょっと調子乗って泣かせちゃったし。」

芽衣子が提案した。

「いや、もっと良い宿泊先があったわ…」

冴子はニヤッと不敵な笑みを浮かべて言った。


30分後

「わぁもう来た!早〜い!」

「………」

「深山くんの焦った顔、ソッコーで見れたわ。」

嬉しそうな冴子の前には不機嫌そうな顔の蒼士が立っていた。普段はセットされている前髪は下りていて、服装はスーツではなくシャツにパーカーで、家から駆けつけたことがうかがえた。

「水惟が意識失って倒れたって聞いて来たんですけど?」

蒼士は口調も声色も機嫌が悪そうだ。

「あら〜?テンパって大袈裟に言っちゃったかしら?意識失ったみたいに酔い潰れて寝てるって言わなかった?」

———はぁ…

「冴子さんがそういう嘘つく人だって忘れてました。」

蒼士は「やられた」という悔しそうな表情をした。

「で?どうしろって言うんですか?」

「深山くんの家に連れて帰ってくれない?私たちの家はどっちも無理なのよ。」

冴子が悪びれずに言う。

「俺ん家はマズいだろ…」

「そう?元夫婦で、水惟は深山くんのことが好きなんだから何の問題も無いと思うけど?」

「だからって…」

「水惟、泣いてましたよ。」

芽衣子が言った。

「深山さんに失恋したって。私、深山さんも水惟のことが好きなんだと思ってたけど…違うんですか?」

「………」

蒼士は何も言わなかった。

「この間の撮影のときだって—」

「起こして送ってくよ。」

芽衣子の言葉を無視するように言った。

「もー!素直じゃないわね〜!」

冴子が鼻で溜息をいた。

「こんな風に動揺して血相変えて即駆けつけちゃうくらい好きなくせに。」

「倒れたって聞いたら焦るだろ。」

「それにしてもね〜。」

冴子と芽衣子はまた顔を見合わせた。

「でもイケメンは焦った顔もイケメンだったわねー良い顔だった!」

冴子が笑って言った。



(…焦った顔ぉ…?冴子さん、わかってないなぁ…)

三人の騒がしい会話が耳に入り、水惟は夢うつつで考えていた。

(蒼士の一番良い表情かおは—)



「水惟、起きて」

蒼士が呼びかけながらテーブルに伏せた水惟の肩のあたりをトントンと叩く。

「水惟」

「起きないですね。」

「やっぱり深山くん家じゃない?」

「水惟」

蒼士は冴子を無視して続けた。

「水—」

「ん…」

水惟が声を漏らすと同時に、身体が微かにピクッと反応した。

「水惟、起きて」

「んー…」



(この声知ってる…誰だっけ…落ち着いた、安心するような声…)

水惟の意識ははっきりしない。

(うーん…なんだっけ?私、何してたんだっけ…)



「水惟」


(あれ、この声…)


「水惟、起—」

蒼士の呼びかけに水惟が薄く目を開け、上半身を少しだけ起き上がらせると、蒼士の方を見た。


「ん…蒼士…?…ど して…?」


「え………」

寝ぼけた水惟の言葉に、蒼士は一瞬固まった。

「んー…」

一瞬起きた水惟だったが、眠そうに眉間にシワを寄せるとまた寝てしまった。

蒼士の水惟を起こそうとする手と声は止まってしまった。


「ごめん…やっぱ俺ん家に連れて帰る。」


「え?どうしたの、急に。」

蒼士は理由を告げずに水惟の荷物を手にした。

「水惟の分、これで足りる?」

自分の財布からお札を取り出してテーブルに置いた。

「え、これ全員分でもお釣り来ますよ。」

芽衣子が驚いて言った。

「それなら水惟の分の迷惑料ってことで。二人でなんかデザートでも食べて。」

「え、ちょっと…」

冴子はお金を返そうとした。

「「えっ」」

二人は思わず驚きの声をあげた。

蒼士が水惟を抱え上げ、お姫様抱っこをしたからだ。

「じゃあ帰るから。呼んでくれてありがとう。」

そう言って蒼士は個室から出て行った。店内のどよめく声が個室にも微かに聞こえてきて、水惟を抱く蒼士を見た女性客の声だと容易に想像がついた。

残された冴子と芽衣子の個室は嵐の後のようにシン…としていた。

「…え、何今の…かっこよ!」

芽衣子がツッコむように言った。

「お姫様抱っこって!ナチュラルに!王子じゃん。」

「深山の御曹司だからね〜立居振る舞いが華やかよね〜。なんだかんだいっても所作に気品があるし。まああんなこと水惟にしかしないと思うけど。」

二人は落ち着きを取り戻すと、再び席についた。

「深山さん、あれでもまだ水惟のこと好きじゃないって言うのかな。」

「さあ?後は二人で話し合うんじゃない?それより、水惟に飲まれた分まで飲み直そ。」


蒼士は店から出るとタクシーに乗り込み、自分の家の住所を伝えた。

水惟は後部座席で蒼士に膝枕をされるような格好で眠り続けている。蒼士は難しい顔で水惟を見ると、顔にかかっていた髪をそっと避け、そのまま頭を撫でた。

「………」


——— ん…蒼士…?…ど して…?


水惟が蒼士を名前で呼んだのは、4年振りだった。

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