第21話 水惟と深端とリバース

——— 深端に戻って来ないか?


——— もう、水惟と恋愛するつもりは無い


パーティーから数日、水惟の頭の中では蒼士の二つの言葉が繰り返しループしていた。

とくに深端への誘いは、どう受け止めれば良いのかよくわからない。

(…だって、辞めてくれって言ったのは自分じゃない…)


(ん…?)

水惟の鼻を不快な匂いが刺激する。

「わっ!」

ボーっとしながら作っていたチキンライスが焦げ始めていた。

(あぶない…ギリセーフ…!)

水惟はそれをオムライスにすると、一人で夕飯を食べ始めた。

(フラれたのはもう…仕方ないって思うしかないけど…)


(また同じ会社で働くってこと…?部署が違うとはいえ…)


——— …あ、見て、深山さんと…

——— …えー?別れてるって聞いたけど…


(深端に戻ったりしたら、ああやって噂のネタにされるだけなんじゃないのかなぁ)


(ああ、そっか…むこうはヘーキなんだ…)


(“嫌いじゃない”程度で、デザイナーとして以外に私に関心がないんだから…)


(たしかにこんな…料理もまともにできないヤツ、嫌だよね。)

水惟は少し焦げた味のするオムライスを口に運んだ。


——— ごめん!すぐにご飯の準備するから…


(え?)

水惟の脳裏に、何かの場面がぼんやりと浮かぶ。


——— いいよ、水惟も疲れてるんだから。デリバリーか…たまには俺が何か作ろうか?

——— でも昨日もできなかったし…他のことも全然ちゃんとできてないし…


(あの頃の…?)

水惟の頭がまた鈍く痛む。

(あの頃も、やっぱりちゃんとできてなかったんだ…)

水惟は自嘲気味に笑った。


***


「洸さん、ちょっと話…いいですか?」

水惟は洸をミーティングルームに呼び出した。


「あの…聞いたんです、深山さんから。」

「ああ、水惟を深端にって話な。」

洸の口から言われ、水惟の胸がキリ…と痛む。

「…私、深端に行った方がいいですか?」

「え?」

「その…私、本当は洸さん…ていうか…リバースに迷惑をかけちゃってたのかなって思ってて…」

水惟は申し訳なさそうに眉を下げた笑顔で言った。

「は?」

「最近まで、深山さんがリバースここに来て打ち合わせできなかったのって、元妻わたしがいたからですよね。」

「水惟…」

「気を遣わせちゃっててすみませんでした。きっと他にもそういうのが—」

「違うって!」

どんどん話を進める水惟を、洸が止めた。

「たしかに蒼士は最近リバースに来るようになったし、それは今回の水惟の件と関係が無いわけじゃないけど、長い付き合いでもうちに打ち合わせに来ないクライアントなんていくらでもいるよ。深端だけが特別なわけじゃない。」

「…でも…」

水惟にはずっと気にしていることがある。

「私…無理矢理リバースに入れて貰ったから…」

「水惟?何言ってるんだよ。」

洸が眉間にシワを寄せる。

「だって…私、リバースに入ってから半年以上もデザインせずに蛍さんのお手伝いみたいなことしかできなくて、その後だってしばらくは簡単なことしかしてなかったでしょ?」

「それは…」

「リバースに入社する人って、みんな即戦力なのに。だから、離婚して深端も辞めて困ってたのを見兼ねて入れて貰ったんだって…わかってます。」

水惟は伏し目がちに言った。

———はぁ〜っ

洸が大きな溜息をき、頭を掻いた。

「水惟、ずっとそんな風に思ってたのか?」

「だって実際…」

「あの頃の水惟にパソコン触らせなかった理由は…そのうち、話せる時が来たら話すけど…俺が水惟にリバースに入って貰ったのは、同情なんかじゃないよ。」

「え…」

「蒼士のヤツ、言わなかったのか?今回の話は“水惟が行きたいって言うなら”って伝えてあるはずだけど。」

「それは…言ってましたけど」

水惟は蒼士の言葉を思い出しながら言った。

「俺は、深端にいる頃から水惟のデザインが好きなんだよ。正直、俺より凄くなるって思ってる。」

「え!そんな…」

「だから独立した時から、いつか水惟が深端を離れるなら声をかけようって思ってた。」

以前にjärviのカフェで蒼士も同じことを言っていた。

「水惟がリバースにいたいって言ってくれるなら、ずっといて欲しいって思ってるけど…水惟が深端を離れたのが、俺が思ってたタイミングよりずっと早かったから…」

「………」

「水惟自身が不本意だったんじゃないかと思ってるんだけど、違うか?」

「それは…」

「水惟は深端に入るためにめちゃくちゃ頑張ったって言ってただろ?たしかに深端は大手だから、第一線の、最先端の仕事に関われるし、人脈も広がる。俺は深端でやり切ったって感じたから独立したけどさ、水惟は違うだろ?まだ深端でやりたかったことがあるんじゃないのか?」

「深端でやりたかったこと…」

水惟にはいまいちピンとこない。

「私…記憶が混乱してるみたいで…あの頃のことってよくわからないことも多くて…」

「だろうな…」

洸は水惟の記憶が曖昧なことに気づいていた。

「蒼士はずっと水惟のことを気にしてて—」

水惟の胸がギュッと苦しくなる。

「水惟が深端に戻れるようにしたいって前から言ってた。」

「でも、辞めろって言ったのは…」

洸は頷いた。

「あの時はそれが…いや—」

「………」

「水惟、今回の話はすごく良い話だ。」

水惟は困惑した表情かおをする。

「蒼士は水惟が良い条件で戻れる機会をずっとうかがってた。水惟が広告賞を獲った今なら、立場も給料も高待遇で戻れる。」

「でも…」

困惑したままの水惟を見て、洸は眉を下げて笑った。

「もちろん水惟の気持ちが最優先だ。もしリバースにいたいって思ってくれるなら、それはもちろん大歓迎だよ。でも、よく考えてから結論を出した方がいい。」

「…はい…」


——— 蒼士はずっと水惟のことを気にしてて

——— 水惟が深端に戻れるようにしたいって前から言ってた


(どうして?)


(…罪悪感…とか?)


水惟は就職活動で深端グラフィックスを受けた頃のことを思い出していた。たしかに深端に入りたい、と必死になっていた時期があった。しかし、デザイナーを目指した時から深端に入るのを目標にしていたわけではない。

(なんで深端に入りたくなったんだっけ…)


(深端でやりたかったこと…)


思い出そうとすると、頭にもやがかかったように鈍く重い感覚になる。

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