第20話 蒼士の提案

——— また…あなたのことが好きになっちゃったみたい…です…


「………」

水惟の告白を聞いた蒼士は、一瞬驚いたような表情かおをすると黙ってしまった。

水惟の耳には自分の心臓がバクバクと鳴る音しか聞こえない。


「…葦原くんと付き合ってるのかと思った。」

蒼士が口を開いた。

「え…」

「撮影の時とか、この間リバースに行った時とか、仲良さそうにしてたし… 葦原くんにもスピーチの相談したんだろ?」

水惟は首をぶんぶんと横に振った。

「ちが…アッシーとは…たしかに仲は良いけど、あくまでも同僚だし!全然そんなんじゃない…」

水惟は誤解を解こうと必死に否定する。

「…でもお似合いだよ。」

「え?」

「パーティーでも楽しそうに話してたし、撮影の時に鴫田しぎたさんも言ってたじゃん、カップルっぽいって。」

蒼士は水惟の目を見ずに言った。

(…これって…)

「…えっと…わたし…フラれたって…思えばいい…のかな…」

水惟が声を震わせて言った。

「………」

蒼士はまた無言になった。

「…さっき家まで送るって言ったのは、水惟に大事な話があったからなんだ。」

「大事な…はなし…?」

「水惟—」

蒼士が水惟の目を見た。


「深端に戻って来ないか?」


蒼士の突然で意外な提案に、水惟は目を見開いた。

「…え…?みはしに戻る…?」

蒼士は頷いた。

「洸さんには前々から相談してて、洸さんは“水惟が戻りたいなら”って言ってくれてる。」

「え…ちょっと待ってよ…話が全然…え?洸さん…?」

蒼士はまた頷いた。

「夕日賞を受賞したタイミングなら、深端も高待遇で水惟を迎えられる。水惟をチーフにした制作チームを作れるから、水惟に権限も持たせられる。」

「…タイミング…?えっと…え…」

水惟は戸惑って話についていけない。

「水惟の気持ちは嬉しいけど、俺は—」


「もう、水惟と恋愛するつもりは無い。」


「え…」

水惟の頭が真っ白になる。

「恋愛とか抜きで、水惟がデザイナーとしてやっていくのを応援していきたいと思ってる。」

(…あぁ、そっか…そういうこと…)

「“嫌いじゃない”って、本当に言葉の通りだったんだ…」

水惟が言った。

「え…」

「嫌いじゃないだけで…べつに…特別好きでもない…。勘違いしちゃって恥ずかしい…。」

水惟の声はまだ微かに震えている。

「水惟…」

「そっか…なんで最近こんなに深山さんに関わることが増えたのかなって、ちょっと不思議に思ってたけど、夕日広告賞のタイミングだったんだ…」

(バカみたい バカみたい バカみたい…)

「でもよく考えたら、当たり前ですよね。もう別れてるんだから。離婚した相手をもう一回好きになっちゃうなんて…まぬけ…」

水惟は泣きそうな顔をごまかすように笑っている。

「水惟」

「…だったら、優しくなんて…しないで欲しかったです。優しい言葉だってお菓子だって…それに…今日だって…ドレスがどうとか…言わなくてもいいのに…。大きな賞を獲ったデザイナーが欲しいって、正直に言ってくれた方が全然優しいよ…」

「………」

「…靴、いくらでした?これはさすがに経費で落ちないですよね。」

水惟は皮肉っぽく言った。

「いや、いらないよ。」

「………」

水惟は無言でバッグから財布を取り出し、手持ちの2万円を蒼士に差し出した。

「いらないって」

「足りなかったら後で請求してください。」

水惟は蒼士が受け取ろうとしないお金をソファに置くと、立ち上がって足早に部屋を出て行った。



(本当にバカみたい…)


——— 俺は水惟のことは嫌いじゃないし、これから先も嫌いになんてならないよ


(こんな気持ちになるなら、嫌いって言ってくれた方がずっとマシだった…それなら嫌いでいられたんだから…)


蒼士に助けられてスピーチを終えた時に感じた幸福感はもうすっかり消えてしまった。


水惟がホテルを出ると、辺りはもうすっかり暗くなっていた。

「あれ?水惟?」

誰かが声をかけてきた。

「…アッシー…」

「まだ帰ってなかったんだ?」

「…うん、ちょっとトラブルで…アッシーは…」

「飽きたから帰ろうかなって思って。」

「そっか…」

「めちゃくちゃ元気ないじゃん。」

啓介は水惟の声が力の無いものだとすぐに気づいた。

「水惟が帰るって出て行った後、深山さんもすぐに追いかけて行ってたけど…」

蒼士の名前に、水惟の肩が小さくビクッと反応する。

「なんかあったんだ。」

「………」

「さっきまであんなに好き好きオーラ出して深山さんのこと見てたのに。」

「…え…」

「バレバレ。」

(………)

水惟は小さく溜息をいた。

「…ふられちゃった…」

「え…マジ!?」

啓介の意外そうな反応に力無く笑う。

「私のことは…大きな広告賞を獲ったデザイナーとしてしか見てなかったみたい。ただの仕事相手ってこと。」

「んー…そんな感じじゃなかったけどな〜」

啓介は不思議そうに眉を顰めて首を傾げる。

「…でも…私とは…」

水惟は言葉を詰まらせた。

「もう…恋愛する気無いって…」

堪えていた涙が目から溢れて、水惟は泣き出した。啓介は泣いている水惟をじっとみつめた。

「でも…当たり前だよね、もう別れてるんだから…」

「…ふーん…じゃあさ」


———グイッ


啓介が水惟を抱き寄せた。

「俺と付き合ってみれば?」

「え…」

「忘れるには新しい恋愛だって、前から言ってんじゃん。」

「………」


水惟の頭に蒼士の顔が浮かぶ。そして、先ほど抱き上げられた時に全身で感じた蒼士の匂いと温もりを思い出す。


——— 水惟

(…声まで思い出しちゃうんだ…)


水惟は啓介の胸の中で、首を横に振った。

「…だめみたい…」

「ん?」

「…よくわかんないけど…あの人がいいって…あの人じゃなきゃダメだって…私の全身が言ってるの…」

「…不毛だなぁ…」

啓介は苦笑いで水惟の頭を撫でた。

「しょうがないな。受賞のお祝いで特別にアッシー様の胸を貸してやろう。」

「…ありがと…」

水惟は泣いたままクスッと笑った。


(なんでこんなに、好きって思うんだろう…)


——— 大好きだよ、水惟


(もう、あの手が私に触れることは無いんだ…)


水惟はたまらなく悲しい気持ちにむねが押し潰されてしまいそうだった。

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