第21回 The Winds of Marble Arch ②

 短編集Time is the Fire: The Best of Connie Willisでは、一編ごとに作者自身によるあとがき(Afterword)がついていて、The Winds of Marble Archのあとがきでは、ロンドンの地下鉄に対する著者の偏愛が存分に語られています。最初に出てくるItは、シンプルで機能的かつカラフルでかわいらしい秀逸デザインのロンドン地下鉄マップのことです:


It should be hanging in the Tate Gallery, and the Underground should be on the National Trust for Places of Historic Interest. I mean, Charing Cross Station stands on the site of the blacking factory where Charles Dickens worked as a kid. Petula Clark got her start singing in the Tube during the Blitz. Actors like Laurence Olivier and Alec Guinness and Dame Edith Evans gave impromptu performances in Leicester Square Station as the bombs fell, and hundreds of the British Museum’s treasures were stored in the blocked-off tunnels of Chancery Lane.


 ロンドンの地下鉄マップ(Tube Map)や地下鉄ロゴ(赤い輪っかに、青い横線が入ってUndergroundと書いてあるやつ)のマグカップやTシャツは、ロンドン土産の定番ですね。ああいういかにもな土産物を買うのが、若い頃の自分は恥ずかしかったのですが、今は後悔しています。


 ブリキのダブルデッカーと一緒に買っておけばよかった! 二階建てバスのミニカーも無論自分用です。


 仕立ての良い仕事用のYシャツの下にI ♡ London Underground Tシャツを着こんでいてもおかしくないほどTubeを愛するThe Winds of Marble Archの主人公は、企業のConferenceのためにロンドンに滞在中だというのに、大事な会合を途中で抜け出してまで地下鉄巡りに没頭します。そして奥さんとの約束の時間に遅れて大慌てでホテルに戻ります:


“I’m late, I know,” I said, unpinning my nametag and peeling my jacket off.


この時の主人公、Conferenceの参加者が胸元につけるnametagを外しもしないで、地下鉄巡りに没頭していたのです。

 このシーンで84, Charing Cross Roadを思い出しました。戦後の食糧難からようやく脱し、景気もよくなってきたロンドンの古書店街を、大勢のアメリカ人観光客が胸に名札を付けたまま闊歩していたというあれを。彼らは弁護士でしたが、Conferenceから解放された開放感のために、名札を外し忘れて街に繰り出したのでしょうか。


 短編Marble Archは、歴史あるロンドンの地下鉄トリビアにも満ちています:


But some of these tube stations had been built as long ago as the 1880s, and Holborn looked like it hadn’t been repaired since then.


 そして、恐ろしい戦争の記憶、The Blitzのこと:


Marble Arch had taken a direct hit, the bomb bursting like a grenade in one of the passages, ripping tiles off the walls as it exploded, sending them slicing through the people sheltered there.


 Grenadeというのは、「手榴弾」のことです。空襲で投下された爆弾の一つが地下鉄の通路内に入り込み、あたかも手榴弾の如く炸裂したらどのような惨劇になるか、想像しただけで恐ろしいことです。その当時地下鉄は一般市民のシェルターになっていました。


 本エッセイの第6回で、昔を懐かしむミス・マープルがそれまで出会ったメイドたちを思い出しながら、Faithful Florence, for instance, that grenadier of a parlourmaidと口にしたgrenadierは手榴弾兵とか精鋭部隊兵士という意味のようです。Faithful Florenceはミス・マープルが最も信頼のおける優秀なメイドだったと高評価しているのでしょうが、そのことを表すのに比喩的に用いられたgrenadierは、邦訳だとどう訳されているのか、気になってはいたものの確認していませんでした。

 せっかく思い出したのだから、また忘れてしまわないうちに見ておきましょう:


 How different it had been in the past … Faithful Florence, for instance, that grenadier of a parlourmaid—and there had been Amy and Clara and Alice, those ‘nice little maids’—arriving from St Faith’s Orphanage, to be ‘trained’, and then going on to better-paid jobs elsewhere.

(7頁)

 以前とはずいぶん変わったものだ……例えば、使のような忠実なフローレンスもいたし――アミイやクララ、アリスなどのような〝感じのいい〟メイドたちもいた――みんなセント・フェイス孤児院から〈家事見習い〉にやってきて、やがて給料のいい仕事に移っていったのだった。

(15頁、傍点はわたしが加えました)


「小間使の模範」、つまりgrenadier of a parlourmaidのgrenadieは、「精鋭部隊兵士」から派生して、精鋭と呼ぶにふさわしい人材の優秀さを表す比喩として用いられているんですね。もちろん、手榴弾は一切関係なしに。フローレンスは、ミス・マープルが理想とするようなメイドの鑑であったと。Mirror Crack’dは初版が1962年、終戦から17年経った戦後なのですが、当時はまだこのような戦争に由来する表現が健在だったのですね。今はどうなんでしょうか。


 日本語でも同様のことが起きていて、たとえばわたしはステージ上で口から血糊を吐きながら白目を剥いて奇声をあげるヘヴィーメタル・バンドが好きなのですが、彼等のライブ・パフォーマンスを観に行くことをライブと言ったりします。ライブの物販で購入したバンドのグッズは。この種の例は地雷、自爆、飯テロ等々、ほかにもたくさんあるでしょう。

 最近はその由来を考えて使用を控えるように促す人も出て来ています。それは確かに一理あると思います。ロシアのウクライナ侵攻によって第三次世界大戦の可能性まで以前とは比較にならない緊迫感で高まっている今日では、なおさら。と同時に、行き過ぎた言論規制は検閲をはじめとした表現や言論の自由の侵害になりかねないともやはり思うのです。


 難しいところですよね。


 話を元に戻しましょう。

 Marble Archのあとがきでは、まず初っ端に作者はこんなことを言っています:


My favorite place in London is of course St. Paul’s, but my second favorite is not a place, exactly. It’s the whole vast network of the London Underground.


 Marble Archの読後にこれを読むと、彼女の地下鉄愛を上回るものがまだロンドンにあることに驚いてしまいます。St. Paul’sも地下鉄の駅名になっていますが、これはSt. Paul’s Cathedral、セント・ポール大聖堂のことです。その著者がSt. Paul’sについて描いた短編Fire Watchも実はThe Blitzに関連したSFです。次回はこれを見てみたいと思います。


 最後に、こちらは、The Blitzに関する約3年前の記事です。ご参考までに:


ロンドン市民を戦火から守ったエア・レイド・シェルター

https://www.news-digest.co.uk/news/features/20412-air-raid-shelter.html


 日本語の記事ですが、地下鉄構内が防空壕代わりに使われていた様子が写真で紹介されています。こんなところに、空爆で飛行機から投下された爆弾が転がり落ちていったら……。言葉もありません。

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