Further Reading The Blitz:SF小説が描くロンドン大空襲

第20回 The Winds of Marble Arch ①

 ミス・マープルを読んでいる間に、以前読んだSF短編が無性に読みたくなりました。第二次大戦中のロンドン大空襲について描いたのものがあったことを思い出したのです。夏という季節は、好むと好まざるとにかかわらず、戦争について考えずにはいられません。


 ロンドンの大空襲は1940年9月7日から約8カ月の間だそうですから、彼等の戦争の記憶は、夏とは結び付いていないかもしれませんが。少なくとも20年ほど前なら、ロンドンの夏はせいぜい2週間、あとは6月でも日によってまだコートが必要だったり各家には暖房器具はあってもエアコンはないような、暑さにはあまり配慮しなくてよい気候でした。


 ロンドン大空襲のことをThe Blitzと言います。わたしは長らくこのBlitzをBrits(イギリス人、複数)だと思っていました。ドイツ軍の激しい空爆に耐えた自分達を称えてそんな名称にしているのかと。まあ、いくら努力をしてもやっぱりLとRの音の区別がつかない日本人なのですよね(区別できる時もあるのですが、精度は低いです)。

 で、BritsではないBlitzとは具体的にどういう意味かというと、第二次世界大戦において、ドイツ軍が用いた戦闘教義「電撃戦」の名前Blitzkriegに由来する……らしいです(英辞郎君情報)。


 アガサ・クリスティーが戦火に包まれたロンドンで半ば死を覚悟してミス・マープルものとポワロもの2作を書き上げて出版社に託したというのも、このBlitz、ドイツ軍による連日の空爆がそれほど熾烈だったから。うーん、結果として生き延びられたことが分かっているとはいえ、逃げてほしかったです。死んだらどうする。

 でも、逃げればいいのになんて、部外者が思うほど簡単なことではないですよね。ロシア兵だってウクライナの人々だって、本当は戦争なんて嫌で仕方がないでしょうに。


 このBlitzを題材に、一風変わった視点と趣向で米国のSF作家が短編を書いています。アガサ・クリスティーは出て来ませんが。その作品が収録された短編集のタイトルは:


Time is the Fire: The Best of Connie Willis、出版社 ‏ : ‎ Gateway (2013/8/8)


 自分はたまに「これぞSF」みたいな硬派なヤツ――宇宙ステーションとかアンドロイドとか――を読みたくなる程度で、Connie Willisという名前を知ったのも、日本が誇るSF作家円城塔先生がSNSで彼女の短編「インサイダー疑惑」について言及されていたからです。


 よくよく考えたら自分の好きな作家トップ5にはSF作家が3人いるんですけどね:筒井康隆、安部公房、円城塔、アガサ・クリスティー、カズオ・イシグロ。

 でも、円城先生もそうですが、筒井や安部も、SFも書くけどそれ以外もすごいっていう作家なんですよね。カズオ・イシグロだって、『わたしを離さないで』や『クララとお日さま』はSFぽいけど、彼をSF作家だと思っている人はあまりいないのでは。


 日本を代表するSF作家の円城塔先生、実はカクヨムで「えんしろ」という名前で作品を発表されています。英語で読んでみようという趣旨のエッセイで日本人作家の推し活をするのは恐縮ですが、作品がとにかく難解だと言われがちな円城先生、カクヨムで公開している作品は「円城塔スターターキット」とご自身が近況ノートでおっしゃっているぐらいで初心者向けです。まだ読んだことがないという人はぜひのぞいてみてください是非ぜひ:


えんしろ『通信記録保管所』

https://kakuyomu.jp/works/16817139558554217038/episodes/16817139558554302405

(自分の一推し短編「06: ミミック」へのリンクです。ショートショートほどの長さの一話読み切り短編が全101話あります)


 その円城先生がSNSで呟いていたコニー・ウィリスの「インサイダー疑惑」、『マーブル・アーチの風』という短編集に収録されていて、その翻訳者は、批評家としても有名です。たまたま読んだ宮部みゆき『火車』の解説で、著者とカラオケに行ったことを自慢するチャラさに読後の余韻を台無しにされたことが、鮮明に記憶に残っていました。


 ええ、わたしは根に持つタイプ、昨日の敵は未来永劫敵だと考える執念深い人間です。


 ちなみに、その翻訳家兼批評家氏は、わけがわからんSF部門で円城塔にも負けず劣らずの酉島伝法『皆勤の徒』の解説においては、豊富なSFの知識を駆使し批評家としての力量を遺憾なく発揮しておられました。本編読了後に途方に暮れていた自分は大いに救われたものです。好感度爆アガリ。

 でももう邦訳回避のために原書を買ってしまったはるか後だったんですけどね。


 怒りに突き動かされて行動する人間は、足元をすくわれやすくなります。邦訳短編集『マーブル・アーチの風』の書影によれば原題はThe Winds of Marble Arch and Other Storiesです(例外はありますが、たいていは訳書の表紙に原題も小さく記載されています)。Amazonで検索。ありました。安い。紙しかない訳書の半額ぐらいですよ電子書籍だと。即購入です。


 しかし


 さっそく、目当ての「インサイダー疑惑」を探しました。これは、Inside Manという原題のはずです。しかし……ない。何回目次を上から下から確認しても、ない。改めて確認してみると、The Winds of Marble Arch and Other Storiesには計23編が収録されているのに比べ、邦訳『マーブル・アーチの風』の方は、わずか5編。


 あーやらかしましたね。


 よく見たら、邦訳には「SF界の女王の円熟した魅力が堪能できる傑作5篇を厳選した日本オリジナル短篇集。」という説明がありました。ではあの訳書の英語タイトルは何? なんかかっこよさげだからと英語の副題をつけたのでしょうか、紛らわしい。表題作名+and Other Storiesという名前の短編集、洋書ではよく見るパターンです。


 購入前に目次を確認しなかった詰めの甘さが悔やまれますが、後の祭りです。

 

 Amazonで検索し直して、今度はちゃんとInside Manが含まれていることを確認のうえ購入したのがTime is the Fire: The Best of Connie Willisです。こちらは10篇収録で、先に購入したのと被ってるのもあるけど、ていうかほとんど被ってるみたいだけど、まあいいや。原書でしかもKindleなら安いので! この時点で原書2冊の値段は邦訳1冊の値段を超えてしまっていますが、いいんですよ、あっちはたった5編、ぼったくりじゃないですか(暴言)。


 こんなに手間暇をかけたのに、ここでご紹介するのはInside Manではなくて、両方の短編集に収録されているThe Winds of Marble Archなんですけどね。でもInside Manも面白くておすすめです。Inside ManとMarble Arch、両方が読めるのは、こちらのTime is the Fire: The Best of Connie Willisの方です。さらに、この短編集に含まれる10篇は謳い文句がすごいですよ:


Ten stories - which have all won the Hugo Award, the Nebula Award or both - are compulsory reading for the serious science fiction fan.


 ヒューゴー賞かネビュラ賞、あるいは両方を受賞したかもしれないThe Winds of Marble Archの舞台は現代のロンドン、といっても、まあまあ昔、まだ携帯電話が普及していない頃のお話です。あらすじを少々説明しましょう。


 倦怠期の中年夫婦が、夫の仕事のためそろってロンドンを訪れる。一流ホテルに滞在できる身分だが、夫はロンドンの地下鉄をこよなく愛し、行き先がConference会場(仕事)でも劇場(観光)でも、とにかく地下鉄移動にこだわる。その移動中に彼は、地下鉄の通路やトンネルから発生した、凄まじい突風に襲われる。しかし彼以外はその風に気付いていない様子。しかも風は吹く場所によって、熱や煙、腐敗臭、渇き、湿気など様々な感覚を彼にもたらす。その風の正体を突き止めるべく、仕事そっちのけで地下鉄に乗りまくる主人公。そしてどうやらその風が、戦時中のロンドン大空襲The Blitsと関係しているらしいことを突き止める。


 タイトルのMarble Archはロンドンの地名であると同時に地下鉄の駅名でもあります。そして地下鉄大好きな主人考が、地下鉄を目まぐるしく乗り継いで移動する様子が事細かに記されます。初めはLondon Underground 通称 Tube 懐かしい~と喜んでいた自分も、途中でうんざりするぐらい詳細に。

 ロンドンの旅行経験がある人なら、耳馴染みのある地名・駅名のオンパレードで面白いかもしれません。Charing Cross Roadの出発点、Charing Cross Stationも登場します。でも私の記憶では、Charing Gross Stationから84 Charing Cross Road(古書店の跡地)を目指してひたすら歩くと、めっちゃ遠いんですけどね。神田の古本屋街を目指す時の最寄り駅は神田ではない、みたいな(ロンドンに行くよりはるか昔に同じ失敗をしていたような)。


 謎の突風の正体をあれこれ推測する主人公。この物語は、東京であの大事件が勃発した後に書かれているんですね:


 The IRA’s blown up a train! I thought.

 But there was no sound accompanying the sudden blast of searing air, only a dank, horrible smell.

 Sarin gas, I thought, and reflexively put my hand over my nose and mouth, but I could still smell it. Sulfur and a wet earthy smell, and something else. Gunpowder? Dynamite? I sniffed at the air, trying to identify it.


 わたしがロンドンに滞在していた頃(携帯電話はすでにありました)、アイルランドの独立を求めるテロ組織IRAはまだリアルな脅威でした。「地下鉄のホームに鞄が残されていたら、絶対に近寄るな。すぐさま駅員を呼べ」と強く言われたものです。地下鉄は頻繁に緊急停車(駅でも何でもないトンネルの中などで止まります)し、その理由を説明する車内アナウンスに耳を傾けると「XX駅の構内で不審物が発見され、避難命令が出されたため」云々。


 そして地下鉄サリン事件。

 この小説の主人公は未だ知る由もないロンドン同時多発テロ。

 このSF短編はロンドンの空襲だけでなく、様々なことを思い出させます。


 ロンドンのストリートからゴミ箱がすべて撤去されたのはIRAが爆弾を仕掛けることを懸念したからだそうです。

 IRAの脅威がなくなってからも、ロンドンは常にテロの脅威に晒されてきました。同性愛者を狙って歓楽街のパブが爆破されたり、移民が多く暮らす地域のスーパーに殺傷力を高めたnail bomb(釘爆弾)が仕掛けられたり、そんなことは日常茶飯事でした。爆破されたパブやスーパーは、驚くぐらい身近に、当時の自分の生活圏内にありました。パブがあった歓楽街は時々遊びに行くところであり、スーパーは、最寄りの地下鉄駅に向かう途中に何度も前を通過していました。


 ですから当然に、現在の日本で横行するLGBTヘイトや移民を低賃金で働かせて搾取する企業、難民に対する入管の非人道的な扱い等には危機感と怒りを覚えます。許してはいけないのです。絶対に。

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