第17回 検閲の痕跡

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注意:今回は、原書の後半部分からも引用しながら話を進めるので、The Mirror Crack'd from Side to Sideの一部ネタバレを含みます。

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 ますは、おさらいを。最初に検閲修正を疑ったのは、この部分です:


. . . in general to treat them as slightly mentally afflicted children.

 ‘But I,’ said Miss Marple to herself, ‘although I may be old, am not a mentally afflicted child.’

(8頁)


邦訳では「低能」と訳された原語が非常に21世紀的モダンなmentally afflictedなんてお茶を濁した表現であるはずがない、オリジナルの英語はもっとストレートに差別的だったはずだとわたしは考えています。これは、前回参照したINDEPENDENTの記事で言及されていた登場人物の独白部分の変更、およびミス・マープルの短編集Miss Marple’s Final Cases and Two Other Storiesにおける語の入れ替えと同じパターンでしょう:References to “natives” have either been replaced with “local” or removed altogether.


 これ以降で、疑わしい箇所は:


‘Good looking,’ admitted the other. ‘Not young but handsome in a gipsyish sort of way. High colour. Dark eyes.’

(93頁)


これは、とある未亡人の外見について語る刑事の台詞です。これを見て引っかかるのはgipsyishという言葉です。INDIPENDENT紙の記事ではジプシーという言葉は削除対象にされています:


Christie’s 1920 debut novel The Mysterious Affair at Styles has been amended such that Poirot’s comment that another character is “a Jew, of course” no longer appears.


A young woman described as being “of gypsy type” is now only referred to as “a young woman”.


クリスティーのデビュー作『スタイルズ莊の怪事件』において、of gypsy typeはNGと判断されたのに、なぜMirror Crack’dにおけるin a gipsyish sort of wayという表現はOKなのでしょうか。後者は褒め言葉として使っているとしても、A Caribbean Mysteryにおいては黒人の美しい歯や肉体(滑らかな肌)を褒めるのでさえNGで削除対象でした。細かいことを言えば、スペルが両者間でgypsy、gipsyと異なっていることも気になります。昔はスペル機能付きPCなどなかったので、作者自身のスペルが定まっていなかった可能性はありますし、もしかしたら電子書籍化の過程で発生したミスかもしれませんが。

 さらに単語に-ishをくっつけて「~ぽい」というにする用法、これ、クリスティーの時代にも使われていたでしょうか。Foolish、childishのように昔から使われている表現ではなくて、blueish(青っぽい)のように+ishの用法によって比較的最近生み出された造語のように思えます。

 また、gipsyishという語自体が「ジプシーぽい、ジプシーみたいな」という意味なのに、sort of wayまで加えるのは、二重に婉曲表現になっていて、直訳すると「ジプシーぽいみたいな」と、無駄にくどく「ジプシー風であること」を薄めていています。


 だったら最初からジプシーって言わなければいいのでは。


 オリジナルでgipsy sort of way、あるいはよりストレートにgipsy typeだったものをgipsyish sort of wayに変えたのでしょうか。その場合、検閲者には絶望的に文学センスがないと思うのですが、万一これがアガサのオリジナル表現だった場合に備えて予防線を張っておきます。これは刑事の一人が上司との会話で口にした口語的表現だから、まあ少々エレガントさに欠けていても問題はありません。


 そもそも、なぜ「ジプシー」が現在のPolitical Correctnessに引っかかるのかといえば、その呼び名が、権力者、つまり白人側によって勝手に決められたものからです。ジプシーと呼ばれていた人たちは、自分たちがジプシーであるなんて思っていなかった。これは、アメリカの先住民をインディアンと呼ぶことがNGになったのと同じ理由です。だから、gipsyをgipsyishにしたところでダメなものはだめです。

 また、ジプシーに例えられるこの未亡人はHigh colour(血色がよい)とも言われていますが、ここは(ジプシーのように)浅黒い肌を意味する表現だったのではと疑われます。検閲者、なんともちぐはぐな感じ。

 

 単純に、gipsyishという言葉が削除されずに残されているという事実だけに着眼すれば、これはMirror Crack’dにはという証かもしれません。


 ちょっと自信が揺らぎました。でもまだ99.9%の確信が99.89%になったぐらいです。

 気を取り直して、続けます:


The child, a boy, was born mentally deficient.

(114頁)


このmentally deficientも、Political Correctnessに配慮した、「知的障害」の婉曲表現です。これは修正の手が入った可能性が非常に高いです。やっぱり検閲はあったのでは。

 ではなぜgipsyishは削除されていないんだって話に当然なるのですが、それは恐らく、多産なアガサの56年分の書籍を検閲するために雇われた、金のためならどんな汚れ仕事も厭わない極悪人ども――sensitivity readersと複数形です――の足並みがそろっていなかったから。検閲のポリシーが明確に定まっていなかったか、各々の検閲者の質がまちまちだった。それである者はgipsyを削除し、ある者はしなかった、ということなのかも。


 は。「これはポリコレ的にダメなんじゃないかな~知らんけど」的なグダグダさで仕事してたってこと? ありえないんですけど。


 テキストに手を加えるのももちろん許せませんが、そんな連中に100年以上も愛され続けてきた作家の作品の書き直しをさせるなんて……(怒)(呪)(悲)


 でも続けますよ。次は検閲漏れではないかと疑われる個所です:


She can never have another child herself, you see, and the only one she did have is batty.

(125頁)


これもbattyという語が頭が少しおかしいことを指す、差別的と思える単語なんですが……これはちょっと自信がないです。その、battyという言葉がピンと来なくて辞書で調べたのですが、bat(コウモリ)を使って精神病なり知的障害者を指すというのは、多分現在は使うのが控えられている類の言葉だろうと。

 さて続きを:


Miss Marple’s face was pink and interested, and being slightly deaf now, she did not hear the footsteps that came along the garden path towards the drawing-room window.

(135頁)


これも検閲漏れの疑いで、being slightly deafという表現はdeafを使わない表現、たとえばhaving a slight hearing difficultyとかにしないのかな、と。辞書で調べたら、Political Correctnessの介入による「ろう者」の呼び方の変遷が長々と綴られていて、ある時期deafは差別的と敬遠されたが、英辞郎第八版(2014年)によれば、全く聞こえない人の呼称は当事者たちの希望によりdeafに戻った。

 ということは、ちょっと聞こえにくい(slightly deaf)程度のミス・マープルにdeafを用いるのはNGのような。

 しかし言葉は生き物ですし、大事なのは当事者である「ろう者」がどう感じるか(その呼称はやめてほしいのかどうか)なので、実際どうなのかはわかりません。でも一応取り上げておきます。


 ここであらためて申し上げますが、わたしはPolitical Correctnessに配慮してそれまで無神経に使ってきた言葉を改めること自体は、悪いことではないと思っています。ただ、何十年も前に書かれた作品、作者が既にこの世にいない作品にまでそれを適用して勝手に書き直したりする蛮行が許せないというだけです。


 続けましょう:


After the accounts of her prostration and her nervous state, Dermot Craddock had expected to find a fluttering invalid.

(150頁)


これもinvalidというのがPolitical Correctness的にどうかと……クリスティーのような一昔前の小説だと、あたり前に出てくる言葉なんですけどね。BBCドラマでも耳にしたような。でもこれ、戦時中に兵役を逃れた病弱な者や、身体や精神に問題を抱える者なんかに使われていた言葉です。当時、いかなる理由であれ、お国のために奉仕できない人間がどのように扱われたか、想像に難くありません。だからこそ、現代での使用ダメな感じがします。


 この調子であと12ヶ所ほど、これは修正の痕ではないかと思われる部分、およびなんでこれは修正されなかったんだろう、と思える部分があります。すべて紹介するのはさすがに冗長になってしまいますので、特に気になったものだけかいつまんでご紹介します:


it was either a silly joke or one of those religious cranks

(153頁)


She went crazy with rapture about having it and then when it was born it was an idiot!

(192頁)


Haydock laughed. ‘I admit,’ he said, ‘that one never quite allows for the moron in our midst.

(208頁)


He seems quite happy and contented, so Mrs Pike told me, now that he is in Fairways Mental Home.

(241頁)


It may cause an unborn child to be born blind or to be born mentally affected.’

(274頁)


your wife had a child who was born mentally afflicted and that she has never really recovered from the shock.

(274頁)


 どの表現を問題視しているか、わかりますか? Cranks、idiot、moronは、検閲がもしあったとしたら、修正か削除対象になっていないとおかしいと思われる不適切語です。Idiotは、単純にバカと訳すこともできて、現代の子供同士での罵り合いにも使われそうですが、ドストエフスキーの『白痴』(Political Correctness的にアウト)の英訳タイトルがThe Idiotで、相当な差別表現にもなります。Mirror Crack’dの192頁に登場するidiotは知的障害を持って生まれた子に向けられた言葉で、相当きつい表現です。邦訳ではどう訳されているのか興味があります。


 逆に、Mental Home、mentally affectedは、検閲での修正が疑われる表現です。274頁に再登場するmentally afflictedという表現も、8頁の時と同様に「低能」と訳されているのか非常に興味があります。


 なので、次回は、邦訳『鏡は横にひび割れて』の該当箇所と比較してみてみることにします。

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