第18回 検証を終えて

 わたしが原書を読み進めながらハイライトした箇所には2パターンあって、これは検閲修正によって修正されたのではないかと思える箇所と、検閲が入りながらこんな差別的表現が残されているのはおかしいと思える箇所です。和訳を併記するにあたっては、これらを分けて提示したいと思います。原書と訳書、それぞれのページ数を添えて。


【検閲修正によって修正されたと思われる箇所】(和訳の傍点はわたしが加えました。そこが原文における修正が疑われる個所です)


 ‘But I,’ said Miss Marple to herself, ‘although I may be old, am not a mentally afflicted child.’

(8頁)

「だけど、わたしは年寄りかもしれないが、ではないのだから」とミス・マープルはひとりごとを言った。

(17頁)


The child, a boy, was born mentally deficient.

(114頁)

生まれた子供は、男の子でしたが、だったのです。

(153頁)


He seems quite happy and contented, so Mrs Pike told me, now that he is in Fairways Mental Home.

(241頁)

パイクさんの話だと、フェアウェイズにいれられてからは、満足して幸福そうに暮らしているそうよ。

(319頁)


It may cause an unborn child to be born blind or to be born mentally affected.

(274頁)

目が見えないか、子供が、生まれるおそれがあるのよ

(362頁)


your wife had a child who was born mentally afflicted and that she has never really recovered from the shock.

(274頁)

奥さんは、生まれたお子さんがことのショックから、まだ実際には回復しておられなかったのでしょう。

(362頁)



【検閲が入ったのならば修正されていないとおかしいと思われる箇所(ゆえに、検閲が実際にあったのか疑わしくなる)】(和訳の傍点はわたしが加えました。そこが原文における検閲漏れが疑われる個所です)


‘Good looking,’ admitted the other. ‘Not young but handsome in a gipsyish sort of way. High colour. Dark eyes.’

(93頁)

「美人ですよ」とコーニッシュは白状した。「若くはないが、なところのある美人でしてね。し、をしていましたよ」

(126頁)


She can never have another child herself, you see, and the only one she did have is batty.

(125頁)

もうあのひとには子供はできないでしょうし、たった一人できた子供はだときているのですからねえ。

(167頁)


After the accounts of her prostration and her nervous state, Dermot Craddock had expected to find a fluttering invalid.

(150頁)

衰弱しきっているとかノイローゼ状態だとか聞かされていただけに、クラドックは弱々しいらしい姿を予想していた。

(198頁)


Haydock laughed. ‘I admit,’ he said, ‘that one never quite allows for the moron in our midst.

(208頁)

ヘイドックは笑いだした。「まさか仲間のうちにがいようとは誰しも思いませんからね。


She went crazy with rapture about having it and then when it was born it was an idiot!

(192頁)

あんなに有頂天になっていたのに、生まれてみたらだったなんて!

(253頁)

***引用はここまで***


 これを見て何がわかるのかというと……まあ、正直なにもわからないです。推測はできますが、確たる証拠は相変わらず一つも得られていません。

 できるだけのことはしたつもりです。「楽しいから読む。軽い気持ちで洋書始めませんか。」そんなことを本エッセイの紹介文に書いておいて、お前はちっとも楽しそうじゃない、と思われたかもしれません。異常なまでの執着ぶりがガチでヤバいと。


 まあ、そうですよねー。

 

 クリスティーの原文が勝手に修正されている、もしこのMirror Crack’dに関して、現時点ではわたしの勘違いだったとしても、INDEPENDENT紙の記事にあったように、検閲版は遅かれ早かれリリースされます。まだされていないとしたら、これから。それは責任者の頭蓋骨を両手で挟むように固定してから親指を眼球に突っ込んでぐりぐりぐりぐり奥までねじ込んでやりたいぐらいの怒り……いややめましょう。本音で喚き散らしたところで何の役にも立ちません。


 でも、目的をもってテキストを読む(この場合は、検閲の痕跡を見つけるため)とか、ニュース記事を原文で読むとか、そういうのは、やっていて楽しかったです。卒論や修士論文を書いていた頃が思い出されて。

 やる気になるのが遅かったわたしが大学教育を受け始めたのはずいぶん遅く、社会人として仕事をしながらでした。でも、元々読書が好きで、文献を探したり蒐集した資料の目録を作ったり、それはとても楽しかった(論文を書くよりも資料を収集してファイルしたりするのが好きだったのだと思います)。


 しかし、ここで完全に手詰まりになりました。


 長々とおつきあい頂き、このようなどっちつかずの結論とも言えない結論で幕を閉じることは申し訳なく思います。


 が


 調査は続けるつもりです。結局このMirror Crack’dは検閲修正されているのかいないのか。それを知るためには、古いエディションを入手して比較すればよいのです。しかし近隣の図書館や県内の大学図書館にまで検索範囲を広げても、ない。万策尽きたと思いました。

 しかし、記事を読んだり原文から引用したりしている間に、思い出したのです。論文を執筆中の社会人大学生の頃は、大学の図書館を通して他大学図書館の資料の複写依頼ができたではないか、と。


 もちろん、今はもう大学生でも院生でもない自分には、そんな技は使えません。


 では、すでに学生ではない、いい歳をした大人が役に立たない知的好奇心を満たし自己満足に浸りたい場合、それには近隣図書館には所蔵されていない、Agatha Christieの原書の古いエディション、少なくとも3、40年くらい前のものを借りるか一部の複写をお願しなければならない場合は、どうすればいいのか。


 とりあえず、最寄りの図書館に訊いてみたらいいのでは。そう思いました。あの人達、なんかそういう道のプロなんですよね? 蛇の道は蛇。


 司書というのは、もしも真面目に若いころからちゃんと勉強をして、行くべき年齢の時に大学に通うことができていたらぜひとも資格を取得したかった憧れの職業です。

 まあでも仮に資格がとれていたとしても、公共図書館の司書は非正規雇用が主であり、とてもそれでは生活が成り立たないような雀の涙のような賃金しかもらえていないひとがほとんどだそうですね。知の殿堂の守り手を大事にしないような国に明るい未来はないですよ。


 で、最寄りの図書館に行って気の毒な非正規雇用の職員あばばばばば、いや、近所の市立図書館、結構大きくて司書もたくさんいるんですけど、どうなんでしょう、雇用条件。あなたは非正規ですかなどとさすがに訊けないので、若くて賢そうな司書のお一人に相談しました。他大学や地域外の図書館に所蔵されている古い原書を、この市立図書館を介して借りられないか、貸し出してもらえないなら、複写をお願いできないかと。


 貸してもらえるかどうか、複写をしてもらえるかどうかはあちら次第というご回答でした。


 つまり、少なくとも「そんなことはできません」と門前払いは食わずに済みました。そして今、担当の司書さんに、わたしが希望したThe Mirror Crack’d from Side to Sideのイギリスでの初版(1962年)を探していただいています。


 実際、図書館の蔵書を探すぐらいなら、わたしも自宅からできるので、いくつかの大学図書館などに所蔵されていることはわかっています。ある有名私立大学なんて、所属の学生には普通に貸し出ししてるようでした。


 およそ60年前の初版やぞ、まじか……


 あくまでも、ネット上で部外者の自分が確認できるソース(OPACやCiNii)ではそうなっていたというだけですし、学生に貸し出しているからといって、部外者(いくら市立図書館を通しているとはいえ)に貸し出すかどうかは全然別の話で、まあ複写を何枚か許可してもらえたら御の字だと思っています。


 なお、学生にはクリスティーの初版を貸し出ししている某有名私立大学付属図書館は、部外者には貸出も複写も不可だそうで。担当の司書さんからご連絡いただきました。


 えー、コピーも駄目なの、ケチ。もちろんコピー代とその郵送費は出しますよ?


 でも、今時の「複写」ってまだコピー機の上に本を下に向けて開いて置いて、上からぎゅうぎゅうカバーを押し付けて可能な限り平たくして撮るやり方なのでしょうか。


 そんな乱暴な複写を貴重な初版本にしてほしくないな……


 21世紀なのだし、上向きで本を開いて台に固定し、写真をとってその画像テータを配布、それが無理なら、画像をプリントアウトしたものを送ってもらうとか、できないのでしょうかね。

 

 それにしても、なんで貴重な初版本にリクエストを出してしまったのか。


 理由は簡単で、一度見てみたかったのです。初版本を。もし可能ならば。

 仮に初版本とKindle版の間に違いが発見できたとしても、それが即ち作者の死後に加えられた検閲修正の結果かどうかはわかりませんよね。だって、クリスティーさんは長生きだから、Mirror Crack’dの初版の1962年からさらに14年ほどご存命でした。死後の検閲だと確認したいなら、彼女が亡くなった前後ぐらいの版を確認しませんと。


 そうは思っても、見てみたかったんですよねーオリジナルがどんなものか。はははは。ひょっとしたら、もしかしたら、貸してもらえるのかも。そう思ったらテンションが上がってしまって。


 なので、とりあえず1962年の初版の入手(複写も含めて)が可能かどうかを確認してから、そのおあと別の版もトライしたいと思っています。この際だから、存命中も含めて様々な年代の版を確認して、修正箇所があるのかどうか確認するのも面白いかと思っています。


 それにはまず、司書さんの初版探しの結果を待たなければなりません。


 最初に本件について図書館に相談に行ったのは2023年7月24日でした。その時に

Mirror Crack’dの初版(1962年)を所蔵する図書館からの貸し出し・複写依頼を提出しました。さて、あとどれくらいで結果がわかりますかねえ。

 特に急いでないので、気長に待ちます。進展があったら、また報告するかもしれません。


 まだやってたんだ、このひと……


 そうドン引きしていただければ本望です。言ったじゃないですか。こういうことが、楽しくて仕方ないからやっているんです。趣味ですよ、趣味。うまくいけば、初版は無理でも、1970年代とか、1980年代に出版された現物を手にできるかも!


 まあ、あんまり期待し過ぎない方がいいとは思ってはいるんですけどね。へへへへへ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る