第14回 ペンギンは身のこなしが素早い

 いくら思い入れの強い作家が、よりによって率先して作品を守るべき出版社から愚弄されたと感じられても、心の赴くままに罵倒するというのはよくありません。が、生きたまま全身の皮を剥がれても仕方がないぐらいの重罪ですよ、あの連中。

 ところが、わずか一週間ほどして、朗報がもたらされました。


 CBS NEWS(2023年2月24日付)の記事の見出しです:


Penguin to publish "classic" Roald Dahl books after "censorship" backlash

(参照先:https://www.cbsnews.com/news/roald-dahl-penguin-original-books-censorship-backlash/?ftag=CNM-00-10aac3a)


おおおおお。ペンギン(出版社)が検閲への批判が殺到したのを受けて、「元の(classic)」版を出版することに!

 ちなみにこのすばらしい朗報をわたしに知らせてくれたのも、サルマン・ラシュディのSNSでした。記事の中身を見てみましょう:


The new editions, which remove passages related to weight, mental health, gender and race, will appear along with reprints of 17 of Dahl's books in their original form later, with the latter branded as "The Roald Dahl Classic Collection" so "readers will be free to choose which version of Dahl's stories they prefer."


検閲修正された新版も発売は継続されるようです(チッ)。でも、未修正版が"The Roald Dahl Classic Collection" として出版されると。読者は修正版と未修正版、好きな方を選べばいいって言ってますが、知らずに修正版を買ってしまう人はいるでしょうね。お気の毒に。


 これからRoald Dahlの児童書を原書で入手して読むことを計画してる人は、これからPenguin Booksから刊行予定のThe Roald Dahl Classic Collectionの出版まで待つのがよいかと思います。別にそんなのこだわらない、というのであれば、Penguinの児童書出版部門であるPuffinの検閲バリバリ加筆修正何百ヶ所・それってダールの作品て呼べるの?・版を(ええ、悪意と敵意まる出しです。別にペンギンを許したわけではありませんので)。


 あの可愛らしいロゴがダニー・デヴィート扮するバットマンの悪役に見えてきました。


 ロアルド・ダール作品に冒涜的検閲が行われたという記事を最初にThe Daily Telegraphが報じたのが2023年2月17日。それからわずか1週間で、どういう心境の変化かといえば、やっぱり各所からの非難轟々が効いたようです:


The move comes after the changes sparked a backlash among both readers and literary figures, with author Salman Rushdie, who has been recovering after a stabbing attack last summer, writing on Twitter, "Roald Dahl was no angel but this is absurd censorship." Suzanne Nossel, CEO of PEN America, a nonprofit that protects writers and freedom of expression, said the organization was "alarmed" at the effort.


 やっぱり、声をあげるって、暴力や脅迫に走らない穏便かつ知的な抗議って大事なんですね。ラシュディ騒動の際は、書店が襲われたり本が焼かれたり過激なデモによる抗議活動がありましたから、なおさらそう思います。

 著名作家ラシュディやPEN Americaからの苦言は出版業界にとって無視できない重さをもっているにしても、読者の側が沈黙していたら、検閲修正版のみの路線が固辞されていたかもしれません。お前の腹掻っ捌いて腸を引き出してやろうか! なんてわめき散らすのは論外としても、一読者が冷静に抗議の声をあげることは決して無意味ではないと思います。


 それにしても、Penguinの変わり身の早さよ:


Penguin made the decision to publish the classic editions after the publisher "listened to the debate over the past week," said Francesca Dow, managing director of Penguin Random House Children's in a Friday statement.


 子供はもちろん、それを読んで育った大人まで大勢のファンが世界各国にいるダール作品に検閲なんかかまして無事でいられると一瞬でも思ったということが信じられません。こんな経営者で大丈夫なんでしょうか。

 それでも、失敗を決して認めずに強行されることに比べたらはるかにマシですが。


 作者のロアルド・ダール自身は、聖人君子ではありません。この記事にもそれは記されています:


But Dahl, who died in 1990, is also a controversial figure because of antisemitic comments made throughout his life. His family apologized in 2020.


生前はユダヤ人に対するアンチ・コメント(antisemitic comments)を繰り返して物議を醸し、没後に遺族が謝罪をしたと。

 最初にラシュディがダール作品の検閲のニュースに言及した際にRoald Dahl was no angel but . . . とコメントしたのには、もちろんこのことも念頭にあったのでしょうが、ダールとラシュディには直接の因縁があります。


 命を狙われたラシュディの潜伏生活を記録したJoseph Antonに、ダールの名前も数回登場します。まず、悪魔の詩騒動が勃発する前、ラシュディが女友達(編集者)に部屋貸ししていた家に、彼女を口説く気満々のダールがやってきた。しかし女友達から「居間でダールとお酒を飲む間、絶対にいなくならないで」と事前に釘を刺されていた駆け出し作家のラシュディ、仕方なしにお邪魔虫(ダール目線で見た場合ですが)を演じます。ラシュディが居座っているせいで女性編集者を口説き損ねたダールは、後にラシュディ騒動が勃発した際に、それはそれは辛辣に、非はラシュディ側にあると公然と罵倒します。つまり無慈悲にも作家の死を要求するイスラム側の主張をサポートしたのです。


 思わぬルートから『チョコレート工場の秘密』の作者の意外な一面を知ってしまったわたしは少々落ち込みましたが、作品と作家を切り離して考えることはそう難しくありません。子供を虐待する恐ろしい大人を児童書に登場させても、著者がそういう大人に共感してあれらの小説を書いたとは思えません。

 その一方であからさまな人種差別をするというのは矛盾としか思えませんが(ユダヤ人の中にも彼のファンはいるはずです)、彼はそういう複雑な人間で、その複雑性が彼の作品の価値を貶めることはありません。


 少なくとも、自分にとっては。


 個人的因縁があっても、ダール作品への検閲を批判してくれたラシュディに感謝です。

 前回述べたように、いかに規模が小さく「差別的表現を取り除く」という一見問題なさげな意図でなされたとしても、一度でも検閲が許されてしまったら、それは誰かの都合により文書が書き換えられてしまう恣意的な検閲が横行する危険な未来への一歩になってしまいます。

 たとえばそれは、ジョージ・オーウェルの『1984年』の世界です。このオーウェルの代表作、現在アメリカを二分しているLGBT関連書籍を公共図書館や学校の図書室から排除しようとする運動によってBANされているそうです。

 ですから、今回のダールの検閲騒動も、たかが児童書がちょこちょこっと(実際には17冊中に数百ヶ所ですけどね!)書き換えられただけなんて悠長に構えているべきではないのです。あと、たかが児童書とか言う輩は許さねえ(自分で言ったんですけどね)。

 前回紹介したPEN AmericaのCEO Suzanne Nosselの13連投の呟きが、その危険性を端的に教えてくれています:


Those who might cheer specific edits to Dahl's work should consider how the power to rewrite books might be used in the hands of those who do not share their values and sensibilities. 3/13


このような検閲が、異なる価値観を持つ者によって悪用されるとどうなるか。

 先に挙げた現在米国の一部で禁書扱いのオーウェル『1984年』は、独裁政権による監視社会を描いたディストピア小説の金字塔なのですが、恣意的検閲による修正が許される世界でならば、そんな社会がすばらしいユートピア、素晴らしい政府の指導の下に市民が平等に幸せに暮らす国のお話に書き換えられて、現実の独裁(を目論む)政権のプロパガンダに使われてしまうかもしれません。

 一部の者だけに利益をもたらす検閲は当然、過去の小説だけにとどまらず、これから出版されるものにも及ぶようになるでしょう。その一部の者が気に入らない小説はそもそも発売さえされない、あるいは、事前に大幅に書き換えられた後に出版される。そんな世界は、地獄――ああ、あの思慮深い芸人さんが端的に言い表していましたね――つまり、です。


 まったく、うまいこと言いますねえ。


 なぜここで戦争が出て来るのかというと、日本国憲法において「検閲は、これをしてはならない。」と明確に禁止されているのは、戦争中に言論や表現の自由が暴力的に蹂躙され、それ故に軍部や政府の暴走を誰も止めることができなかったという過ちを二度と繰り返さないためです。だから、「検閲」という言葉には常に「戦争」が背中合わせにくっついていると自覚しなければなりません。


 とはいえ、ミス・マープルが現在では差別的と思われる言葉を気楽に口にしてしまうようなオリジナル小説を、21世紀に手放しで流通させておいてよいのかというと、それも少々問題があると、思わないわけではありません。

 この問題へのより良い対処法――検閲修正よりはるかにマシな方法――をPEN AmericaのCEOが提案してくれています:


Better than playing around with these texts is to offer introductory context that prepares people for what they are about to read, and helps them understand the setting in which it was written. 8/13


洋書だとintroductory contextはIntroductionやPrefaceとして本編の前に据えられることが多いですが、日本では「あとがき」とか「解説」の形で、作品の最後に置かれます。「この作品には現在では差別的と思える表現があるけど当時の状況を鑑みてそのままにしたよ」的なあれも、冒頭ではなく巻末ですよね。あれだけでは不十分だと思える場合に、当時の時代背景などをさらに詳しく、本編とは別に説明すればよいのです。そのほうが作品に著者以外の第三者が手を加えるよりはるかにマシです。

 CEOはさらに、このような提案もしています:


If an editor, publisher or estate believes they must go beyond that, readers should be put on notice about what changes have been made and those wishing to read the work in its original form should have that opportunity. 9/13


まったくもって、その通り!

 そうですよ、あくまでもオリジナル・テキストへの加筆修正やむを得ずと主張するなら、修正一覧を出せちゅうんですよ。そして、わたしのような読者のために、未修正版も入手可能にしておくこと。

 Penguinは単にダールの児童書の未修正版を出すだけでなく、修正版においてはどこをどのように変更したのか一目でわかるように読者に提示するべきです。じゃなければ詐欺ですよ詐欺。ダールもどきをダールと偽って売る詐欺です。その修正リストがするほど長くなるのであれば――Puffinの新版では17冊に数百の加筆修正が加えられたというのだから、一冊分でもかなりの長さになるはず――どんなに検閲というものに対し危機感の薄い人でも、ヤバいと思わずにいられないでしょう。


 だって、ねえ、今回のPuffinの修正版、巻頭あるいは巻末に漏れなくリスト化されるとしたら、本の厚さがPenguinの未修正版の三倍ぐらいになってしまうのでは!?


 やっぱり許し難いですね。わたしは根に持つタイプなので、一生ねちねち言い続けると思います。


 ロアルド・ダールの検閲騒動は、一応検閲修正版に加えてオリジナル版も出るということで一応解決しました一応ね。ここで終ったら一応ハッピーエンドなんですけど(許してはいませんが)、わたしはそもそも、アガサ・クリスティー作品への検閲を疑い、怒っていたのでした。


 そうなんです。


 2023年3月27日付のINDEPENDENTの記事の見出しです:


Agatha Christie books, including Poirot and Miss Marple mysteries, to be rewritten for modern sensitivities


 がーーーーーーん

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