第13回 21世紀の検閲

 英文学界、特にポストコロニアル文学(大英帝国のかつての植民地出身の作家による作品を指しますが、日本出身のカズオ・イシグロまで含まれる結構いい加減な分類です)の旗手でありながら、表現の自由の著しい侵害に遭い、命の危険にまで晒されたラシュディが、馬鹿げた検閲(absurd censorship)なんて口にするのは非常に不穏です:


Roald Dahl was no angel but this is absurd censorship. Puffin Books and the Dahl estate should be ashamed.

(参照先:https://twitter.com/SalmanRushdie/status/1627075835525210113?s=20)


上記のラシュディの呟きは、アメリカの作家協会CEOの呟きを引用しています。そしてそのCEOの呟きには、The Guardian紙の記事がくっついている。

 順を追って見ていきましょう。まず、PEN AmericaのCEO Suzanne Nosselの2023年2月19日の呟き:


At @PENamerica we are alarmed at news of "hundreds of changes" to venerated works by @roald_dahl in a purported effort to scrub the books of that which might offend someone. 1/13

(参照先:https://twitter.com/SuzanneNossel/status/1627066101309018112)


なにい、"hundreds of changes"だと? そりゃあCEOも青くなりますよ(数が少なかったらセーフってもんでもありませんが)。PEN Americaというのは作家の権利を守るための国際的NGOのアメリカ支部で、世界中にPEN 〇〇という団体があり、日本支部は日本ペンクラブという名前です。ラシュディ騒動の際にも、PEN AmericaやPEN Canadaなど、各国のPENが率先して彼の擁護をしました。既に亡くなっている作家の作品に第三者が"hundreds of changes"を加えたと聞いて、黙っているわけがありません。

 PEN AmericaのCEOの上記呟きは、末尾に1/13とあるように、このあとに長々と12の呟きが連なります。例えば2番目の呟きは:


Amidst fierce battles against book bans and strictures on what can be taught and read, selective editing to make works of literature conform to particular sensibilities could represent a dangerous new weapon. 2/13


彼女の言うbattles against book bans and strictures on what can be taught and readというのは少し背景の説明が必要でしょうか。現在米国では、LGBT関連の書籍や性描写を含む本を公共図書館や学校図書室から禁止(ban)する運動が続いていて、実際にいくつかの州では強行されてしまっています。それに危機感を覚え反対する意見が当然にあり、PEN Americaのような団体は、作家の表現の自由、そして人々がそれを自由に手にして読むことができる環境を守るために文字通りの意味で戦っています。特定の誰かの思想に合わせて文学作品を編集すること、つまりが許されるなんてことになったら、どんなおそろしいことになるか、それをCEOは懸念しています。


 このCEOの一連の呟きはぜひ一読してもらいたいのですが、ここでは彼女にこのような怒涛の呟きをさせるに至った記事、2023年2月18日付のThe Guardian紙の記事を見てみましょう。Guardian紙の見出しは、こうです:


Roald Dahl books rewritten to remove language deemed offensive


ああ……。ロアルド・ダール作品から不快と見做される表現が削除され書き直された。つまり、検閲により修正されたのです。もうこれだけでかなり怖いです。

 怯まず本文も見てみましょう:


Edits have been made to descriptions of characters’ physical appearances. The word “fat” has been cut from every new edition of relevant books, while the word “ugly” has also been culled, the Daily Telegraph reported.


あっ、このGuardianの記事は、別の新聞(The Daily Telegraph)の後追い記事なんですね。元記事は会員にならないと読めないので、とりあえずこのGuardianの記事を参照していきます。

 まず登場人物の身体的特徴の描写“fat”とか“ugly”という言葉が削除されたとあります。例えば:


Augustus Gloop in Charlie and the Chocolate Factory is now described as “enormous”. In The Twits, Mrs Twit is no longer “ugly and beastly” but just “beastly”.


そうです。ロアルド・ダールというのは、Charlie and the Chocolate Factoryを始め、映画化された児童文学作品を多数残した超人気作家なのです。チョコレート工場はジョニー・デップ主演だから最も有名でしょうか。

 この度の検閲ではoffensiveと見做された箇所に"hundreds of changes"が加えられたということなんですが、fatはだめだけどenormous(デカい)ならいいっていう理屈が、よくわかりません。デカいと太っているはイコールではありませんが、tall(背が高い)じゃなくてenormous(デカい)と言っているんだから察しなさいという、これぞPolitical Correctnessの婉曲表現の権化みたいな。


 ばかばかしくって付き合ってられません。


 たしかに、太った児童が体型をからかわれたりしない世界が理想的ではあるのですが、チョコレート工場のあらすじを思い出してください。主人公チャーリー、いい子なのに、お父さんやお母さん、祖父母たちもいいひとなのに、極貧にあえいでいます。わたしは大人になってその貧乏描写のくだりを再び読んで泣きそうになりました。最終的にハッピーエンドが待っているとしても、こんな悲しいことがあっていいのかって。


 一連のくだらない検閲による修正を許してしまうと、さらにエスカレートして「こんな過酷な貧乏描写は子供に読ませないほうがいい」などと誰かが言い出し、大幅な修正を始めるかもしれません(そうしたらもう、誕生日プレゼントでやっと買ってもらえた板チョコを大切にちびちび食べる涙ぐましいシーンも意味をなさなくなってしまいます)。この調子で加筆修正を続けていけば、遅かれ早かれオリジナルのダールとは似ても似つかない『チョコレート工場の秘密』ができあがってしまいます。

 単に単語を削除したり入れ替えたりするだけでない修正も、もうこの時点ですでに行われていました。記事によれば:


In The Witches, a paragraph explaining that witches are bald beneath their wigs ends with the new line: “There are plenty of other reasons why women might wear wigs and there is certainly nothing wrong with that.”


病気でウィッグが必要になった人々への配慮なのでしょうが……the new line、つまり新たな一文をまるっとしれっと追加している。正気の沙汰とは思えません。

 この種の勝手な検閲を行った連中は、悪びれもせずこんなことを言っています:


A spokesperson for the Roald Dahl Story Company said: “When publishing new print runs of books written years ago, it’s not unusual to review the language used alongside updating other details including a book’s cover and page layout. Our guiding principle throughout has been to maintain the storylines, characters, and the irreverence and sharp-edged spirit of the original text. Any changes made have been small and carefully considered.”


作家の死後ダール作品の著作権を管理するThe Roald Dahl Story Company Limited広報担当によれば変更は small and carefully consideredだそうで。まるでソシオパスの独白を読まされている気分で、話の通じなさはまるで不条理小説のよう。

 あ、このspokespersonも以前はspokesmanだったのが性別(man/woman)に言及しない形にかえられたんですよね。まあこういうのはいいです。この人物が生きたまま腸を引きずり出される場面を夢想する際に性別は特に重要ではありませんから。

 しかし、チョコレート工場の超有名キャラの性別を、今になってあやふやにしたくなった理由は、理解しかねます(本の出版は1964年、50年以上も前で、クリスティーのMirror Crack’dとほぼ同年代です):


Gender-neutral terms have been added in places – where Charlie and the Chocolate Factory’s Oompa Loompas were “small men”, they are now “small people”. The Cloud-Men in James and the Giant Peach have become Cloud-People.


 地獄に堕ちて永遠の業火に焼かれ続ければいいのに(Bowels in or bowels out?)!


 ついつい感情的になってしまうのは、アガサ・クリスティーと同様、ダールも個人的に思い入れの強い作家だからです。小学校の図書室から『チョコレート工場の秘密』を借りて読んだ自分は「こんな面白い本がこの世にあるのか」と子供ながらに感激しました。

 そして二十代になり、大人向けの小説を読む英語力がまだなかった自分がロンドンの公共図書館の児童書コーナーを物色していた際、Charlie and the Chocolate Factoryという背表紙が目に飛び込んできて「チョコレート工場の本だ!」と稲妻に打たれたかのような衝撃とともに、瞬時に思い出したのです。久々に再読(しかもダールが書いた英語で!)できた感動は忘れられません。


 でも、次にダール作品を読み返す時には、出版社Puffinに雇われたsensitivity readersなる胡散臭い連中によってあちこち大量に書き換えられたテキストにすり替わっているのでしょう:


Puffin has hired sensitivity readers to rewrite chunks of the author’s text to make sure the books “can continue to be enjoyed by all today”, resulting in extensive changes across Dahl’s work.


 そんなものは、もはやわたしが好きだったダールではありません。



=====

今回参照したThe Guardian紙2023年2月18日付記事:https://www.theguardian.com/books/2023/feb/18/roald-dahl-books-rewritten-to-remove-language-deemed-offensive

こちらは、2023年7月29日現在無料で全文読むことができます。


Guardian紙が上記記事を書くために参照したThe Daily Telegraphの元記事(2023年2月17日付):

https://www.telegraph.co.uk/news/2023/02/17/roald-dahl-woke-overhaul-offensive-words-removed/

全文読むためにはお試しで無料会員になる必要があります。記事のタイトルAugustus Gloop no longer fat as Roald Dahl goes PCは、Political Correctnessへの配慮でAugustus Gloopをfatと呼べなくなったことを皮肉交じりに伝えています。

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