第8回 消えゆくもの:書店と執事とメイドたち

 今回も引き続き84, Charing Cross Roadで戦後のイギリスの食料事情を見ていきます。

 1949年12月の時点で、イギリスでは食料が配給制で、肉は一家族につき週2オンス、卵は一人につきき月1個(2 ounces of meat per family per week and one egg per person per month)であると。なんかひどい。

 普段はオンスとかヤードとか、日本人には馴染みのない単位が出てくると舌打ちしながらスルーして読み進めるのですが、月に1個しか卵が食べられない世界で肉はいかほどもらえるのかちょっと気になったので今回は調べました。


 2 ounces はおよそ57グラム。


 えっ。約57gの肉を一家族につき週一回!? 栄養足りないでしょう、絶対。

 前回ヘレーンのことをお節介呼ばわりしたことが激しく悔やまれます。ヘレーン、行動力があって、とてもいい人。

 食料品の差し入れは主にクリスマスの時期だったようですが、時には例外もありました。

 古書店の責任者ドエル氏からヘレーン宛、1953年6月11日付の手紙です:


Dear Helene,

  Just a note to let you know that your parcel arrived safely on June 1, just in time for our Coronation Day celebrations. We had a number of friends at home to watch TV on the day, and so the ham was most welcome to provide them with something to eat. It was delicious, and we all drank your health as well as the Queen's.


 Coronation Dayというのは、エリザベス女王の戴冠式の日です。エリザベス女王というのは、現チャールズ国王の母親のエリザベス二世。若い女王の誕生は英国民を熱狂させたのですが、そのお祝いのご馳走がham。まだまだ食糧難は続いているようです。

 しかし、同1953年9月22日付で古書店の女性スタッフからヘレーンに宛てた手紙では、この年のクリスマスには食料品の差し入れは不要であることが綴られています:


Helene dear,

  Am dashing this off to say you must send nothing at all to the shop for Christmas, everything is now off rations and even nylons are available in all the better shops. Please save your money as the most important thing after your dentist is your trip to England.


 おお、配給制は解除されたと。ナイロンですら手に入るようになった(even nylons are available)と言うこのnylonsは、ナイロンのストッキングのことです。英国では女性達がストッキングを手に入れるのにも苦労していると聞いたヘレーンが、以前それを差し入れたことがあったから。それさえもう必要ないと念を押しています。

 最初は顧客ヘレーンと担当者ドエル氏間に限られていた手紙の往復ですが、食料品のおすそ分けを貰った書店スタッフたちも個人的にヘレーン宛に手紙を書くようになり、個別のやりとりが発生しています。

 ヘレーンは英文学が大好きなだけでなく英国も好きなので、何度か渡英の計画を立てるのですが、都度問題が発生して中止になってしまいます。米国は景気がいいとはいえ、海外旅行となれば大金が必要です。上記の女性スタッフが言及しているdentistとは、高額な歯の治療費を歯科医からふっかけられたヘレーンが英国旅行を断念せざるを得なくなった一件を示しています。スタッフ一同、手紙でしか知らないへレーンに会いたくて仕方がないので、上記の手紙でも遠慮のない物言いになるのですね。


 英国の食料配給制は、終戦から8年後の1953年には解除された、ということがわかりました。そもそもは、The Mirror Crack’d from Side to Sideの舞台が設定された「戦後」とはいつぐらいなのかの参考になるかとこの84, Charing Cross Roadを参照していたのでしたね。

 戦後のセント・メアリ・ミードに新しくスーパーマーケットができて食料品が溢れるようになるのは、少なくともこの1953年以降と推測できます。それでもまだMirror Crack’dの出版年1962年までは10年近くあるのですが。


 もう少しだけ84, Charing Cross Roadを見てみましょう。食料以外についても、戦後の英国の状況を伝える部分があります。

 1957年5月3日付、古書店のドエル氏からの手紙:


  We seem to have had more American visitors than ever this year, including hundreds of lawyers who march around with a large card pinned to their clothes stating their home town and name. They all seem to be enjoying their trip so you will have to manage it next year.


 ドエル氏の古書店のあるCharing Cross Roadの古書店街を、なぜ名札をつけたアメリカ人弁護士たちが闊歩していたのかはわかりませんが、あの辺は劇場街にも近いので、観光途中に古書店街にも寄ったのでしょうか。相変わらず景気のよさそうな米国ほどではないにしても、英国の経済も外貨の流入により上向いている感じがします。


 んーでもこれって、ちょっと今の日本に似ていませんか。経済力が衰えた「安い日本」を外国人観光客がこぞって訪れる……。似たような状況にあっても、この頃のイギリスは上昇気流に乗り上向いているのに対し現在の日本は下降の一途をたどっている最中……似て非なる状態なのですが。


 涙を拭いて先を続けましょう。


 1957年の英国は景気がよさそうである、と。

 Mirror Crack’dの出版年1962年にぐっと近づきました。セント・メアリ・ミードには、新しいスーパーマーケットだけでなく、新興住宅地に安価なセミデタッチド・ハウス(お隣と薄い壁を共有しくっついていて物音が筒抜けの住宅)が建てられて、若い人たちが大勢移り住んでいる状態です。家だけあっても生活は成り立ちませんから、これはセント・メアリ・ミードに移住した彼らに収入をもたらす雇用が通勤可能圏内にあることを意味します。生活に余裕があれば車を購入し、あるいは鉄道を使って通勤する人々が田舎の村に活性をもたらしている。

 庶民の生活が向上し続けるのに反比例して、以前は大きなお屋敷に住んで何人もの女中や執事を抱えて生活していたミセス・バントリーのような人は、夫の死後屋敷を維持することが困難になり、一人暮らし用に小さな家に引っ越さざるを得なくなっています。そして、中産階級ではかなり上位に属するミス・マープルは、メイドの人材不足に悩まされている。


 大きなお屋敷のメイドを含めたスタッフ不足というキーワードで思い出すのが、カズオ・イシグロの『日の名残り(The Remains of the Day)』です。これは映画も大ヒットだったので、ご覧になった方も多いのではないでしょうか。この映画版『日の名残り』の主演もアンソニー・ホプキンズ。人食いレクター博士のイメージが強いかもしれませんが、名優ですね。ダーリントン・ホールという非常に英国的なお屋敷で長年英国人貴族に仕えた執事が、戦後(二回目の、です)のダーリントン・ホールでは、アメリカ人の主に仕えている。深刻なスタッフ不足に悩む老執事が、休暇を利用してかつての同僚に会いに行く、という非常に英国的な小説です。


 イシグロ作品はすべて原書で読んでいるのですが、先日のKindleセール(残念ながら今は終了しています)で翻訳書『日の名残り』を入手しました。この物語では、老執事が昔を懐かしむ「現在」が1956年に設定されており、彼が雇い主の自動車を借りて旅行する英国の田舎町は、ミス・マープルのセント・メアリ・ミードを彷彿とさせます。これは偶然ではなく、カズオ・イシグロはアガサ・クリスティーの大ファンであることを公言していますから、『日の名残り』の物語を深刻なStaff shortageが生じているこの時期に設定した際には当然クリスティー的世界が頭を過ったはずです。

 そして、日の名残りでもMirror Crack’dでも、描かれているのは戦後、かつての大英帝国に陰りが見え、大きなお屋敷を購入し昔ながらに使用人を何人も置いて維持することができるのは、アメリカ人の大金持ちなのです。


 Mirror Crack’dの物語が描かれる「戦後」とは、食糧配給が解除された1953年以降で間違いなく、スーパーマーケットができて大量の食品が棚に並び、セント・メアリ・ミードのような田舎に土地開発ブームが到来して、こぞって建設された新興住宅を若い夫婦が手に入れられるだけ景気が回復している時期、そして住み込みのメイドや執事といった職種が絶滅しかかっている1950年代後半から1962年にかけて、となりましょうか。


 消えていくのは執事やメイドだけではありません。


 84, Charing Cross Roadにかつて実在していた古書店Marks & Co. は、今はもうありません。その界隈にひしめいていたはずの他の"all quite small" bookshops(ヘレーンの友人Brianの言葉です)も同じで、現在のCharing Cross Roadに足を運んでも、かつての古書店街の面影はほとんど残っていません。


 わたしは一度、10年以上も前に、Marks & Co. の跡地がどうなっているのか、確認しに行ったことがあります。


 前回述べたように、ロンドンの建物にはドア番号なるものが割り振られているので、Charing Cross Roadの84番のドアを見つければいいのだ、と割と気楽に考えて現地に向かいました。

 結果として、確かにここだ、というのは発見できませんでした。それらしい場所には、大きなビルディングが建っていました。昔は小さな書店が沢山ならんでいたところに、どかーんと、近代的なビルが。


 かつてはMarks & Co.があったと思しき跡地に建つ大きなビルディングの二階(英国だとFirst Floorと呼びます。紛らわしいですね)には、ピザのレストランがありました。


 ちょっとがっかりです。


 自宅に積んであった翻訳書『チャリング・クロス街84番地』(増補版)は、今年の初めに閉店した、今はなき新刊書店で購入したものです。もうその書店から本を買って読むことはできません。なので、これはもうしばらく積んでおこうと思います。

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