アガサ・クリスティー検閲疑惑を検証する

第9回 Mirror Crack’d読了。しかし……

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注意:今回は差別について考えるという性質上、今日では差別的と思える語が多数登場することに留意してください。

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 呑気に他小説なんか参照している間に、The Mirror Crack’d from Side to Sideは読了いたしました。ばんざーい。

 一ヶ月かかりませんでした。やっぱりアガサ・クリスティーは英語でも読みやすいです。その前に読んでいたSalman RushdieのJoseph Anton: A Memoirなんて10ヶ月ぐらいかかりましたからね。


 推理小説の結末や犯人を明かすことはできないので詳細は伏せますが、BBCドラマではバッサリ省略されていた重要エピソードが出てきたことに興奮し、面白かったです。


 以上!


 これでめでたしめでたしと終ってもいいんですが、ちょっと気になった点がありまして。元々このエッセイを書き始めたのも、Mirror Crack’dを読み始めて程なくして違和感を覚えた箇所があり、それについてじっくり考えてみたかったからです。

 違和感を覚えたのは、Chapter 1の8ページ:


 There wasn’t, Miss Marple reflected, anything wrong about the Miss Knights other than the fact that they were madly irritating. They were full of kindness, ready to feel affection towards their charges, to humour them, to be bright and cheerful with them and in general to treat them as slightly mentally afflicted children.

 ‘But I,’ said Miss Marple to herself, ‘although I may be old, am not a mentally afflicted child.’


 一人暮らしの病み上がりのおばを心配した心優しい甥っ子が費用を負担して介護職の婦人を手配してくれたのですが、ミス・マープルはこの婦人(Miss Knight)のことが好きではありません。上記でthe Miss Knightsとtheをつけたうえで名前が複数形になっているのは、「Miss Knightのような職業にある人々全般」という意味だからでしょう。それでその後に続く文ではshe wasではなくthey wereと複数形になっています。一様に親切で介護対象には愛情をもって接するけど、その接し方がミス・マープルはどうにも好きになれない。彼女らの有能さを認めないわけではないのですが、まるで子供のように扱われることに腹を立てています。


 これ、現代のホームヘルパー養成コースなんかでは、厳しく指導される点だと思います。認知症が進んでいたり、身体の自由が利かなくなっているとしても、自分達が介護をする人々は、人生の経験を積んできた大人で、プライドを持った一人の人間である。その尊厳を傷つけるようなことをしてはならない、と。

 わたしは資格を取っただけで実際にヘルパーとして働いたことはないのですが、実習で二ヶ月ほど現場で修業を積んだ際にも先輩たちから同様のことを言われました。若い頃にできていたことができなくなったり、記憶力が衰えたりして、他人の世話を必要とすることに、彼等は戸惑い傷ついている。まるで手のかかる子供であるかのような対応をして相手を怒らせてしまうようでは、現代の基準ではプロの介護者として優秀とは言えません。ミス・マープルが腹を立てるのも当然です。


 しかし、その苛立ちを表すのに二度使われたmentally afflictedというフレーズに、わたしは違和感を覚えます。


 英辞郎によれば、afflictedは「【名】〔精神的または肉体的に苦しめられている〕病人」または「【形】〔精神的または肉体的に〕苦しめられた」の意。なんとも遠まわしな物言いではありませんか。後者の形容詞的用法ならば、夫のモラハラで苦しむ奥さんなんかもmentally afflicted wifeと呼べそうなものです。しかしミス・マープルの言うmentally afflicted childとは、精神的虐待のせいで苦しむ哀れな子供のことではありません。「知的障害のある子供」です。それを「心が苦しんでいる子供」などと表現されたら、婉曲な表現にして、本来の意味から可能な限り遠ざけて対象を曖昧にしようと試みているかのような印象を受けます。


 これは、あれですね。


 ポリコレなる言葉を、21世紀を生きる我々は割と頻繁に耳にすると思います。わたしは、この言葉が好きではありません。コレが持ち出される文脈がイヤ。

 例えば、有名なアニメ版では白人を思わせるキャラだったマーメイドを実写版で黒人女性が演じると


「ポリコレのせいで原作が台無しになった」


 みたいな感じで使われるのが。マイノリティが優遇されているように感じ取ったら即座に「あーはいはいポリコレポリコレ」と茶化す感じ。自分の権利――多くの場合、それによって傷つく弱い立場の誰かが長年涙を呑んで耐えてきたという事実を無視することで成立してきた言動――が脅かされたかのように感じた想像力も知性も欠如している人間が「ポリコレ」と言う言葉を都合よく多用しているように感じられるところが。


 映画の配役が期待外れなことなんてままあるのに、軽々しくポリコレなんて言わないでほしいです。そんなことを言い出したら、あのふざけたでか髭にぜんっぜんキレのないアクション・シーンまで加えて名探偵ポワロのイメージをぶっ壊した監督兼主演のケネス……いえ、あれはポリコレ関係ないですね。


 ケネス・ブラナーのポワロだって好きな人がいるかもしれないのだから、四肢を四頭の馬にそれぞれつないで四つ裂きにしてやりたいなんて言ったらだめですからね!


 話を元に戻します。


 Political Correctness――ポリコレとするとあまりにアホっぽいので、今後はオリジナルのこちらを使いたいと思います――はなにも最近始まったことではありません。例えば、乞食という言葉の使用が一般的に回避されるようになり、ホームレスや路上生活者と言い換えられるようになって既に何十年も経過しています。

 乞食という表現を使わなくしたことにより、現在では差別がなくなっているなら、それはPolitical Correctnessがうまく機能した成功例でしょう。しかしホームレスは、先の東京オリンピックのようなイベントがあれば「景観を損ねる」と公園やそれまでの「居場所」から追い出されるような、迷惑で疎ましい存在として現在でも扱われています。支援よりも排除の対象。差別が相変わらず続いているのなら、名称の変更はただの言葉狩り、新たな呼び名が十二分に差別的意味合いを孕むようになるまでの目眩ましに過ぎません。


 同じことが、障害者を表す語にも言えます。障害者を障碍者にしたり障がい者にしてみても、彼らを取り巻く状況にさしたる変化がないのであれば、それにどれほどの意味があるのでしょう。カタワや白痴などと正面から呼ばれていた頃に比べれば、相当な意識の変化があったかもしれません。でもそれは、その当時の扱いがあまりにも非人道的・差別的だったせいで今がかなりマシに見えるというだけで、現在がそれほど素晴らしいわけではありません。


 前置きが長くなりました。


 ミス・マープルに戻りましょう。彼女が、老いてはいるが尊厳を持つ成人女性としてではなく、まるで子供のように世話人から扱われることに不満を抱いて漏らした言葉に再度注目してください:


 ‘But I,’ said Miss Marple to herself, ‘although I may be old, am not a mentally afflicted child.’


 このmentally afflictedという婉曲表現。文脈的に知能の遅れを差すことは明白だが、それを直接表現することを意図的に避けている遠回しな表現。非常に現代的な、Political Correctnessへのあからさまな配慮が感じられます。


 このMirror Crack’dの舞台は戦後、それも出版年の1962年に近い戦後であろうという考察を前回と前々回に渡ってしました。書かれた当時には現代的な小説だったわけですが、わたしが言う「現代」は、今、この21世紀のことです。「古き良き時代」と、実際にはその時代には生まれてさえいない自分にも懐かしさを抱かせるようなミス・マープルの世界には、現代ほどPolitically Correctでなければならないという意識はまだ芽生えていなかったはずです。


 現代を生きるわたしから見れば、「ただ『幼い子供みたいに扱われることに不満を覚える』とすれば当たり障りがないのに、なんでわざわざ知的障害云々と障害者を侮辱するようなことを書いちゃうの?」と困惑しきりですが、これをアガサ・クリスティーが書いた時代なら、そんな無自覚な差別も許されていたのです。


 でもその割に、このmentally afflicted childという表現は、あまりにPolitical Correctness的配慮のあとが強すぎる。そこが、なんともちぐはぐで、大変気持ちがわるい。これがわたしが感じた「違和感」の正体です。

 あたかもクリスティーの1960年代のライティングに、21世紀の流儀が不躾に侵食したかのよう。こんなことは、偶然に発生するものではありません。


 わたしは、このmentally afflictedという表現は、比較的最近、Political Correctnessを強く意識した人物によって書き換えられたのだと推測します。つまり、アガサ・クリスティーの死後に、その作品を勝手に検閲し、書き換えた第三者がいる、と。

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