第2回 辞書の使用は最小限に

 Chapter 1の冒頭部分に戻りましょう。


Miss Jane Marple was sitting by her window. The window looked over her garden, once a source of pride to her. That was no longer so. Nowadays she looked out of the window and winced.


 ざっと読み始めた感想は「うわーすごい簡単に読めるぅ」だったのですが、改めて読み返してみると、最後の語wincedについては、ちょっと辞書を引いてみたい気分になりました。これはどういう意味かと尋ねられた時にうまく説明できない気がするからです。翻訳はしないので、うまく日本語に置き換えられなくてもいいのです。でもなんか気になる(なんだか偉そうなことを口走ってしまい、不安に駆られたからかもしれません)。

 このwince(d)という単語からは、なぜかWinnie-the-Pooh(くまのプーさん)の親友Piglet(こぶた)が首を縮めて甲高い声で「ヒィ」と悲鳴を上げているところを連想します。なので、Nowadays she looked out of the window and winced.は、(これまでは自慢の種だった庭なのに)窓から(うっかり)外を眺めて現在の庭が目に入ると彼女は「ヒッ」と怯えたような、悲鳴に近い声をあげる、そんなイメージなのですが、これで合っているのかな? 

 ちなみに、「うっかり」に相当するような単語は原文にはありませんが、全体からそう感じとりました。彼女は、現在の庭を眺めるのが好きではなさそうなので、なるべく見ないようにしているのだろう、と推測して。


 やせ我慢は体によくないので、winceを辞書で調べてみましょう。Kindleのデバイスで読んでいるなら、単語を指で押さえるだけですし。


 英和辞典(Progressive English-Japanese Dictionary)によると、「[動](自)(苦痛などで)顔をしかめる、表情をくもらせる;(…に)ひるむ、たじろぐ」。


 おやあ、winceには、「悲鳴を上げる」という意味はないようです。では、わたしが持つPigletのイメージは一体どこから? 

 割と執念深い人間なので、念のため辞書を英英、The New Oxford American Dictionaryに変更してみましょう。昔々、学習意欲が最高潮にあった時には英英辞典を使っておりました。当時は紙の辞書で、電子辞書さえまだ持っていませんでしたが。


 英英辞典によるwinceの説明は:


v. [intrans.] gives a slight involuntary grimace or shrinking movement of the body out of or in anticipation of pain or distress.


 ははあ。やはり「悲鳴」は伴わないようですが、こちらの方がわたしのPigletのイメージにより近いですね。このshrinking movementというのは、怯えて体を縮こめる感じ。彼は臆病なのでしょっちゅうwince(びくっと)していた――? Winnie-the-Poohとは、洋書で大人向けの小説に取り掛かる前段階で児童書を読んでいた頃に出会いましたが、ずいぶん前のことなので記憶が曖昧です。いつか読み返して確かめてみなければ。


 とりあえず、わたしのwinceの解釈は、だいたい合ってたけど、余分な意味あい(悲鳴)をいつの間にか付加していた、と。知っているつもりの単語でもたまには辞書を引いてみるもんですねえ。


 洋書を読むのに英英辞典を使うと、説明文の中に理解できない単語が登場し、新たに調べる項目が無限に増えていくという恐ろしい蟻地獄にはまることを覚悟しなければなりません。英語の勉強としては効果的だと思います。学習者のレベルに合わせてIntermediate(中級)とかAdvanced(上級)用の辞書もあるので、英語学習のかなり早い段階から活用することもできます。以前のわたしはとにかく「訳してみましょう」の呪縛から離れたかったので、日本語が介入しないやり方を積極的に採用し、英英辞書を愛用していました。それは大変効果的だったと思っていますが、同時にとても疲れるやり方でした。


 ですから、英英辞典は強くおすすめできませんが、たまに使ってみるのは面白いかも。辞書の説明を読むこと自体が新たな英文読解エクササイズになり、語彙が増え表現力が増すはずです。


 さて本題に戻ります。辞書でその意味するところを確認したものの、本文中にただwincedとあるだけでは、我々はMiss Marpleが「顔をしかめた」のか、「びくっとした」のかわかりません。感情を表に出さないことを美徳とする古き良き英国の淑女なれば、少し眉をひそめたぐらいかもしれませんね。

 でも、そもそもなぜ自宅の庭(her garden)を見てそんなリアクションを?


 続きを読んでみましょう:


Active gardening had been forbidden her for some time now. No stooping, no digging, no planting—at most a little light pruning.


 ミス・マープルは、何らかの理由でガーデニングを禁止されてしまっている、と。それだけ理解できれば上出来です。


 自分にとってはpruningが未知の単語でしたが、これもガーデニングに関することだということは文脈から推測できます。恐らくガーデニングに興味がない自分には必要ない語彙ですが、まあタップ一つで検索できるなら、意味を調べてもいいでしょう(結局調べるのかい!)。

 辞書(英和に戻しました)では「刈り込む、剪定」と出てきました。little light pruningと言っているから、軽く剪定する(No stoopingと先に言っているから、直立状態でできてあまり体に負担のかからな作業を想定していることが窺えます)ぐらいならいいけど、前かがみになったり土を掘り返したり植物を植えたりといった動作は禁止されているので、庭が荒れてしまっている(以前のようには手入れができなくなってしまっている)ということですね。


 ああ、なんてわかりやすいのだろう! と感動さえ覚える読みやすさです。それとも、文脈を読み取るわたしの能力がハンパない? なんだろう、この謎の万能感。これまでも原書は結構読んでいるのですが、かつて味わったことがない感覚です。


 あっ


 ここで白状しなければなりません。実はわたし、カンニング・ペーパーを隠し持っていたのでした。ミス・マープルは、ドラマこそ一通り観たものの、これまで短編集とThe Body in the Libraryぐらいしか読んでいないのに、そんな自分を、あたかもミス・マープルの専門家であるかのように錯覚させるヤバいブツを。

 先の電子書籍のセールでお得にゲットした和訳書『鏡は横にひび割れて』のことではありません。翻訳書に泣きつくのは、もう少し先までとっておきましょう。

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