Day12 門番
文化祭の警備、と聞いて英里は少し浮き足立った。
英里は四十代半ばの中年女性である。夫はいないしこれと言った特技もない。ただ、娘二人を愛し立派に育て上げるため、派遣の警備業に従事していた。
そんな英里の今日の仕事は秋来西高校文化祭の警備である。自分が高校を卒業したのははるか昔、上の娘は通信制高校。英里は自分の高校時代に浴びた文化祭の熱気を思い出し、束の間懐かしさで心がじんわりと暖かくなった。
だが今と昔の比較をできるような事はなく。
現場へ向かった先で英里が配属されたのは北の裏門だった。開いてはいるものの、ほとんど人が来ない校舎の日陰になった場所だ。
「楽だけど……寂しいねぇ」
桜の葉っぱがザワザワと音を立てるばかりで、屋台や屋外ステージの盛り上がりは途切れ途切れに聞こえる程度。軽音部の演奏も何を弾いているのか皆目見当もつかない。
文化祭の無い上の娘に土産話をと思っていただけに、英里は少なからずがっかりしていた。
たまに来るのは迷いながら辿り着いた来客と、人目を忍んでいちゃつく高校生カップルくらいで、娘に話せるような事は何もなかった。
「うわ、ここも人いるんか」
チッ、と舌打ちが聞こえて英里が振り返ると片耳にイヤホンをした女子高生が立っていた。秋来西の白いブラウスとグレーのスカート。リボンはだるだるで黒のパーカーを羽織っている。
ほの暗い瞳で睨むような目線を向けられた英里は、上の娘と変わらない年頃の子にただ愛想笑いして会釈するだけにした。
──ちゃんと警備員の服を着ているのだから、怪しくは無いだろう。
そう尻込みするような迫力があったのだ。
女子高生はしばらく裏門付近をうろうろしていたが、やがて校舎へ入って行った。
あの目付きで周囲をうろうろされたらたまったもんじゃ無い、と思っていた英里はほっと胸を撫で下ろした。
昼を過ぎても相変わらず人はまばらだ。英里は段々眠気に誘われてあくびが何度も出るようになっていた。でも仕事中である。警備員が居眠りなんてあってはいけない、と膝をつねりながら眠気に耐える。
「……はい」
ふと後ろから声と共に差し出された手には、ピンク色の道明寺桜餅が乗っていた。
「タブチさん?もう交代の時間ですか?助かったぁ」
桜餅のパックを受け取りながら同僚の顔を見ようと振り向く。だが、背後にいた人物を見て英里は絶句した。
あの女子高生だった。冷めたような見下すような視線に全身が硬直する。
「屋台で余ってたし」
「あ、あぁ。そうなんだ、ありがとう。優しいね」
多分顔は引き攣ってるな……と思いながら英里はなんとかお礼の言葉と愛想笑いを捻り出した。正直、良い印象の無い人物から貰う食べ物ほど怖いものはない。
「うっせぇ」
短いつっけんどんな女子高生の声。どんな育ち方したらこんな子になるのかしらと内心首を傾げながら、英里は桜餅のパックを開けた。桜葉の塩漬けの青っぽい香りが一気に広がり、不覚にも口の中に唾が湧いてくる。
「さっき、クラスのマジメガネが言ってたんだけどさ」
女子高生は英里の方を見ず、スマホをいじりながら話していた。
「桜餅って江戸時代の門番が大量の桜の葉っぱを見て思いついたんだって。知らんけど」
随分器用な事ができるな、と思いながら聞いていた英里は突然の豆知識に「へぇ」と空気の抜けた声を出してしまった。慌てて口を押さえて女子高生を見るが、彼女から罵倒の言葉は出てこなかった。
「なんか、アンタ思い出した」
少し敵対心が和らいだ声音に再度気の抜けた返事をしそうになったのを飲み込み、英里はお礼に変えた。
「ありがとう。嬉しいわぁ。大事にいただきますね」
即座にイヤホンを耳に入れ直した女子高生はそのまま校舎の中へ戻っていく。かったるそうな顔は変わらなかったが、耳が赤くなったように英里には見えた。
「見間違い……じゃないよね」
手の中に残った道明寺桜餅のパック。陽に照らすとピンクがキラキラと輝いてなかなか可愛らしい。
「裏門は損かと思ったけど、これはこれで良かったなぁ」
目立たない青春。それも良い。
「娘たちのお土産にしようかしらね」
ひとつ伸びをした英里は残りの勤務時間を確認して溢れるように微笑んだ。
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