第7話 かう

 佐久間を拾った。

 道端に落ちていたのだから仕方ない。落ち佐久間や捨て佐久間は見つけたら持ち帰るのが礼儀であり、常識となっている。もし拾わずに見過ごしてしまったのなら、それは世間が許しませんよとヲタクが言う。世間とはあなたのことではないですかと答えた太宰治はとうに死んでいるのであって、死んだ人間の言葉に未だに脳を左右されちゃう人類は悲しくて可愛い。

 そんな話はどうでもいい。

 拾い佐久間の話である。

 ぼくの拾った佐久間は珍しく大人しくて、正座しながらにこにこしている。ふつう、佐久間というのはにこにこしながら噛みついたり、言葉にするのもおぞましいほどのなにかに変化(へんげ)したりするのだが、この佐久間は終始にこにこしている。

 にこにこしながら四週間が過ぎた。恐ろしいものには、ついぞならなかった。四週間。つまり、ほぼ一月(ひとつき)である。一月も佐久間を飼うには食費がかかりすぎる。なので仕方なく、ぼくはその佐久間を散歩につれていくふりをして捨てた。ここで誰かの来るのを待っていろと伝えると、佐久間は、ぼくの言葉を理解しているのかどうか分からないが、やはりにこにこして、少し頷いたような仕草を見せた。首肯は、ぼくの気のせいであったかもしれない。そうであればいいな、という願望。……ガムの包み紙のきらめき。……雨上がりの濡れた傘。………………

 捨てたはいいが、やはり少なからず共に過ごした生き物であるから、行く末が気になる。そこらの悪ガキに甲羅をぶっ叩かれたり、その傷口に塩を塗るのがいいなど嘘を吹き込まれやしないか心配である。佐久間はものごとを信じやすいのだ。疑う、ということを知らない。そんな純真な佐久間のことをぼくは心配であるが、かといって一日に玄米十五合と漬け物を七キロ食べる生き物を、薄給のぼくは飼い続けることが出来ない。

 電信柱の裏で、煙草を三本消費した。通りがかった買い物帰りのおばさんが、長ネギのはみ出したエコバッグ片手に、あの佐久間を拾っていった。ぼくは、ぼくが佐久間を拾うときに、前の飼い主も今の僕と同じようなことをしたのではと考えた。

 考えることはいつだって自由だから。

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