Episode04:雪月祭
リジィとの会話を思い出しながら、ユーリィは
触れ合うことなく、ただ雪を文字通り抱き締めて眠るだけの日が続き残り七日を迎え、ついに店に二日間の休みを申し出た。
働き詰めのユーリィにパスピエは快くそれに応じ、リジィはなにかを察したようにひと言だけ「悔いのないようにして」と言い添えた。
程なく年末を迎えようとする中、ユーリィは水蓮を南下したこの国の玄関街・グラーンで行われる雪月祭に雪を連れて行こうと決めていた。夜のうちにそのことを伝えると、雪は目を輝かせた。
「一緒に出掛けられるの? うれしい、ありがと、ユーリィ」
「
水蓮と玄関街・グラーンを行き来する駅馬車に乗ることも、水蓮の外へ出るのも、初めてなのは雪だけではない。ユーリィもまた、この街を出たことはなかった。
ユーリィ自身が心境の変化と、その意味合いに気づくのはずっと後のことである。
雪月祭はひと月の間特別なマーケットが大規模に開かれ、うちの一日、明日の晩は花火が打ち上がる予定だった。花火を見ること自体は街の高台北上にある水蓮でも可能だったが西水蓮、屋敷に永住することになる雪が今後それを目にできるのかどうかは分からなかった。
なにかひとつでも多く、彼女に思い出を残すことができるのなら。
ユーリィは煙草を吹かして、そう考えた。
言いつけを守り早くに床に就いた雪に起こされる形で朝を迎え、ふたり並んで駅馬車の停留所まで歩いた。
雪は、持てる中で一番のお気に入りのツーピースドレスに狐のファーで飾られたロングコートを身に着け、薄く紅を引いてご機嫌だ。着の見着ひとつでやって来た彼女に紫蓮から受け取った養育費の一部を与え、日頃から身の回りの物を買わせていた。
雨花と歩いていた頃はそんなことを感じもしなかったのに不思議だ、とユーリィは思う。
水蓮、正式名称・水蓮市はれっきとした貴族特別区に当たり、紅眼のための特別条例が制定された街である。特別条例を持たないダウンタウンを含めた街では、紅眼を対象にした人さらいや性的暴行の記録があるのが事実だ。
そのためユーリィは予め、雪の左腕に小鈴をあしらった金の腕輪を着けさせた。それはかつて、雨花が着けていたものであり、唯一屋敷から持ち出した彼女の遺物である。
内側にウリンソンと彫刻がしてあるそれは実質高名な財閥の所有物であることを表し、いい魔除けになると考えた。財閥が営むホテルのある街の中でそれを逆手に取るような豪胆な人間はいないだろうと踏みながら。
雪のご機嫌は、ユーリィから物を貰ったこともひとつの要因だった。朝から珍しく
「はしゃぎすぎて、はぐれるなよ。水蓮の外は、紅眼を守る法がない。お前を守ってやれるのは、雇い主と俺だけなんだから」
「それでも連れてってくれるってことでしょ、うれしくなっちゃうよ。ずっとね、こうやって一緒に出掛けるの夢だったんだぁ」
「……安い夢だな、国を出るぐらいのでかい夢を持てよ、お前は」
口にしながら、それだけ雪が現実的で謙虚になるしかない生き様だったのだとユーリィは悟る。ため息は白く大気に溶け、自然と彼女の手を握る圧が強まった。
駅馬車へ乗り合ったのが男数人と女は雪だけで、クーペには余裕を残して三列の最後部へとふたりは乗り込んだ。紅眼にも慣れた客で一瞥しただけでそれきり興味を振るでもなく、車内は静かなまま一時間強を過ごした。
「今日一日はお前に付き合う。好きなところへ連れてってやるよ」
「太っ腹ァ。あたしについて来れるかな?」
いたずらに目を細めた雪は、町中で配られたマーケットのパンフレットを片手に、考え込んでいる。そうしているうちにふたりして空腹を覚え、まずは腹拵えに大通りを回りながら昼食の摂れそうな店を探すことにした。
街行く人々の数は多く、水蓮とは比較にならない。気付けば雪の背を守るようにして肩を抱いて歩いた。すれ違う人の中に紅眼の数はまるでない。物珍しそうに、或いは物欲しそうに注がれる眼差しにユーリィは内心肝を冷やしていた。
雪月祭に加えた昼時ともあってどの店も人に溢れている。ようやく一軒の店に腰を落ち着けた時、ふたりともが揃って大きく息を吐き出した。
「……なんだよ、雪まで。疲れたのか?」
「こんなに人が多いのははじめてだよ。水蓮って人が少ないんだね」
「確かにな、思っていた以上だ。取れるもんなら宿を取っておきたかったぐらいだな」
メニューを横目に口にするが、この街髄一の宿があの、ウリンソン財閥のものであることを知っているユーリィにとってそこに泊まるはとんでもない。なにかの折に
昼食を済ませ、ゆったりと寛いでから店を出たふたりは改めてマーケットを端から周り、玄関街と呼ぶに相応しい、輸入製品のあれこれを見て回る。諸外国のシークレスト産の型落ち電子製品から、カーマイン産の天然石宝飾品まで様々に品が並ぶ。
水蓮にも輸入品を取り扱う店は常設されていたが、貴族相手のその品揃えは骨董に傾き、ユーリィや雪が常日頃手にするようなものではなかった。それに比べると一般向けに並ぶ品々は実用的な価格と質で、ユーリィも度々と足を留めて品を手に取った。
雪は物欲しがる様子もなく、純粋に見て回ることを楽しんでいる。中央広場へ戻って来た頃、到着時には組立て中だった舞台にマジックショウが観衆を集めており、雪に腕を引かれる形で観覧した。
日が傾くにつれ気温が下がり、花雪がちらつき始め、ワゴン売りが温かい紅茶やチョコレートショコラを売る姿が見える。もれなくふたりも買い付けて暖を取り、他愛ない話で談笑した。
「欲しい物はないのか」
それは、マーケットを回る間ずっと言いかねていた言葉だった。
物を贈ってやりたい気持ちと、それによって恋しさをずっと抱えるのではないかという葛藤にユーリィは答えを出せずにいた。
雪は、紙のカップで指を温めながら少しだけ目を泳がせ、しばらくして首を横に振る。
「要らないよ、なにも」
「今日ぐらいだぞ、わがまま言えるの」
「……ひとつだけあるけど今は言わない」
紅い唇を尖らせて、視線を逸らす。その目元にほんのりと紅を差すのが分かり、ユーリィは息を詰まらせた。
雪が望むものがなんなのかがわかる。少しの逡巡を挟んでから、息に溶けるように小さく呟いた。
「お前がそう望むならそうしてやる」
ユーリィの手を握る圧が強くなり、雪はそのまま顔を紅くして黙り込んだ。横目にそれを見下ろしたユーリィは、彼女の手を引いて花火がよく見えるという中央広場から北に伸びたテルミヤ河の橋沿いにある公園へ移動した。
花雪が止み、澄んだ紺青の空に打ち上がる火花は、アザミの花のように見えた。尾を引いて伸びるように走る光が次々と花開き、弾けて消える。
鮮やかさは、まぶたの裏にだけ残る。
まるで紅眼の生き様のようじゃないか。
感嘆の声を上げる雪の隣で、ユーリィはひとり複雑な思いで眉を寄せた。
綺麗だから、儚くて、恐ろしい。
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