二話

 彼女の一言を受け、『魔女に食べられる』という言葉が一層現実味を帯びてしまった。今、僕の身体を締め付けている不思議な力。きっとその気になれば、一瞬で身体を引き裂く事も出来るのだろう。


 ――どうせ殺されるのなら、なるべく痛くない方法が良いな。


 そんな贅沢が、頭の中をよぎる。せめて車に撥ねられて頭が割れるよりも、痛みや苦しみを伴わない方法で。


「そこで待っていてください。あの魔女を捕えたら、すぐに戻りますので」


 相変わらず柔らかい笑顔で、ぴしっと敬礼する女の子。しかし次の瞬間、何もない空から岩が現れ、彼女を押し潰すように閉じ込めた。

 

 同時に、僕を拘束していた風が消滅し、両腕の自由が戻る。


「……ねぇ、それボクのご飯なんだけど。横取りしないでよ、アネット」


 先程吹き飛ばされたリズが、眉間に皺を寄せてこちらに来る。額を流れる血を拭い、小さく舌打ちをしながら。


「ねぇねぇ、君からも何か言ってよ。あんな偽善者集団の一員に料理されるよりは、ボクに気持ち良く食べられる方が良いでしょ?」


 額の傷をひと撫でし、指をパチンと鳴らす。すると、みるみるうちに傷が塞がり、元通りになっていく。


 当たり前のように自身の傷を治療した彼女は、またしても僕の前髪を掴み、上に引っ張り上げる。痛い。

 再び、唇を耳元に寄せてきた。


「悪い思いはさせないからさ。ボクと一緒においでよ」


 舌舐めずりをしながら、吐息混じりの声で囁く。


 その時、アネットを閉じ込めていた岩に、細やかな亀裂が走る。やがて大きな破壊音と共に岩が四散した。


 再び姿を現したアネットは、砕けた岩の破片を風に乗せ、こちらに発射する。リズは僕を抱えたままヒラリと横に跳び、間一髪で岩の弾丸を躱した。


「心外ですね、リズ。私達は、あなたのような悪い魔女を捕まえるために、日々研鑽を積んでいるのですよ」


 先程までの柔らかな笑顔は消え、目を尖らせてこちらを睨んでいる。頬から滴り落ちる血が、物騒な雰囲気をより引き立てている。


「それを偽善者集団だなんて、聞き捨てなりません! 取り消して下さい!」


 なぞるように指を動かし、パチンと鳴らす。すると彼女の周りに風の塊が現れ、草原を切り裂きながらこちらへ飛んできた。


 リズは僕をそっと地面に置くと、同じように指を動かし、岩で出来たドリルのような物を発射する。両者が出現させた物は空中でぶつかり合い、激しい音を立てながら消滅する。何度も、何度も……。


 不思議な力を持つ女の子同士の戦い。力は拮抗しているようで、どちらが勝つか分からない。


 一つ分かる事があるとすれば、僕は勝った方に殺されるという事だ。


 ……正直、どっちでもいい。


 どっちでもいいから、早く終わらせてくれ。そんな事を考えながら、僕は二人の戦いを眺めていた。



 すると突然、夜が深まり辺りが暗くなる。夕日に照らされ赤く燃え上がっていた空は、満天の星が泳ぎ回る夜空に置き換わった。


 周囲の急激な変化に気づいた二人は、攻撃の手を止めて空を見上げる。


「これは……幻想魔法、ですか!?」


 二人の間を目掛け、黄色に光輝く何かが降ってくる。巨大な星のような形をしたそれは、その場の空気を支配するかの如く、盛大に地面へとめり込んだ。


 あまりの衝撃に、その場にへたり込む二人。


「幻想具現化術!? こんな事が出来るって、まさか……」


 顔を見合わせ、確かめるように呼吸を揃える。

 

「「骸の魔女!」」


 先程まで歪みあっていた事が嘘のように、二人の声がピッタリと重なった。


「あはは……相手にしてらんないや。帰ろーっと」


 リズはそそくさと箒に跨り、こちらに手を振る。


「じゃ、また会おうね! その時は、ちゃんと食べてあげるからね!」


 ちゅっ、と投げキスを残して、彼女は飛び立った。


「こ、こらー! 待ちなさい、リズー!!」


 腰を抜かしていたアネットも、リズの後を追いかけて行ってしまった。

 


 賑やかだった草原は、一瞬にして静寂に包まれる。しかし夜空では、未だに無数の星々が、光を発しながら空を泳いでいた。


 一体、この世界は何なんだろう。


 夢でも見ているような気分。しかし意識は鮮明で、痛みだって感じる。


 一人取り残された僕は、大きくため息を吐き、その場に座り込む。そしてプラネタリウムの早送り映像みたいな星空を見上げた。


「……君、どうして逃げないの?」


 後ろから声がする。振り向くと、いつの間にか一人の女性が立っていた。ビー玉のように透き通る水色の瞳で、こちらを真っ直ぐ見つめている。


 彼女の面立ちは、まるで人形のように整っていて、バランスが良いと思った。しかし、何より目を引いたのは……。


 黒地に黄色いラインが入った、ジャケットのような服。前を大きく開けているが、そこから顔を覗かせるのは人の肌では無く、精巧に形作られた肋骨と脊椎だった。

 いつしかテレビで見た、胸のレントゲン写真を思い出す。


 女性が指をパチンと鳴らすと、やがて空は夕日の赤色を取り戻し、地面に突き刺さっていた巨大な星も消滅した。


 ――この人の仕業だったのか。


 女性は目線を合わせるようにしゃがみ込み、膝に頬杖をつく。茶色いウェーブ巻きの髪が、ふわりと浮かんで肩に降りた。


「私が来なければ、君はあの二人に殺されていた。私も彼女達と同じ、魔女。……それなのに、どうして君は逃げないの?」


 落ち着いた口調からは、感情を読み取る事が出来ない。


「魔女が、怖くないの?」


 瞳を真っ直ぐ見つめられた僕は、思わず目線を逸らしてしまった。


 女性は困ったように首を傾げ、小さくため息を吐く。


「……君、ひょっとして話せないの?」


 目を逸らしたまま、首を縦に振る。この魔女は、先程の二人とは違う。僕のことを獲物ではなく、一人の人間として見てくれている。

 今の一言で、ほんの少しだけそう思った。


 もう一つ、女性はため息を吐く。先程よりも深く息を吐いた後、ゆっくりと立ち上がる。そして指をパチンと鳴らすと、何もない所から箒が出現した。


 箒に跨り、未だに座り込む僕に手を伸ばす。


「どうせ、行く当ても無いんでしょ。おいで」


 僕は反射的に、白く冷たい手を取った。

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