魔女の君に食べられるまでの1ヶ月間

小夏てねか

収穫祭編

骸の魔女

一話

 ――この命を終わらせたい。


 何時からか、そう思うようになっていた。でも思うだけで、自分から終わらせる事が出来ない。


 自宅へと続く帰り道。空っぽの鞄を手に、重い足を引き摺るように歩く。今日も学校では、誰とも話さなかった。いや、話す事が出来なかった。


 何故なら、声が出ないから。


 人々が暑そうに仰ぎながら歩道を行き交う。その隣を、自動車がテンポ良く通り過ぎていく。


 ――車に轢かれたら、僕の身体はどうなってしまうのだろうか。


 一瞬頭によぎる、死への関心。しかし、やはり自分からは行動出来ない。何かを決定する事が苦手で、いつも他人に選択を委ねている。

 

 そんな自分が嫌いだ。

 

 下を俯く。いつの間にか、靴紐が解けている。高校入学と共に購入した、真っ白なスニーカーに手を伸ばす。

 その瞬間、悲鳴に近い叫び声が響き渡った。


「危ない!!」


 咄嗟に顔を上げると、一台の車が蛇行しながらこちらへ突進していた。


 瞬きをする程の時間が、スローモーションのように切り取られる。銀色のセダン。車内では中年くらいのおじさんが、ハンドルを握ったまま下を俯いている。


 鋼鉄の暴れ牛と化した車は、雄叫びのようなエンジン音を発しながら僕の身体を跳ね飛ばした。


「――っ!!」


 声を発する機能を失った喉から、息だけが漏れる。全身が潰されるような衝撃と共に、身体の内側から腫れ上がるような痛みに襲われた。


 軽い身体は容易に宙を舞い、上下左右が分からないまま、地面へと思い切り叩きつけられる。何かが割れるような音が頭の中で響き渡った。


「……」


 歪みゆく視界。見知らぬ通行人が僕を囲い、何かを叫んでいる。しかし、激しい耳鳴りのせいで何も聞こえない。

 心臓が激しく脈打ち、全身から何かが流れ出ていく。立ち込める鉄の匂い。目の前がじんわりと白くなる。


 寒い。体温が急速に奪われている。全身がピリピリ痺れる。


 眠い。身体の動かし方が分からない。身体の輪郭が掴めない。


 この睡魔の先にある物を、僕は知っている。それは今まで望んでいた物。自分では選ぶ事の出来なかった選択肢。


 ゆっくり目を閉じる。これまでの人生を思い返す暇もないまま、僕の意識は電源コードを引き抜かれるように途切れた。











 

 いつだって、終わりは突然やって来る。声を失った時もそうだった。

 結局最後まで、自分で選択する事は出来なかったけれど。でも僕の命は、あの時確実に終わりを迎えた筈だ。



 それなのに、どうして……。


 どうして僕は今、自分の足で立ち、呼吸をして、風の音を聞き、夕日を眺めているのだろうか。


 天国、あるいは来世?


 淡い期待を抱き、僕は声帯に神経を集中させる。しかし喉から漏れたのは、弱く儚い吐息だけだ。


 ……なんでだよ。


 拳を握りしめる。どうして一思いに終わらせてくれないのか。深く刻まれた心の傷と、出来損ないの喉は、バックアップされたかのように引き継がれてしまっていた。


 暖かい風が、頬を撫でる。燃えるような夕日に照らされ、広大な草原が黄金色に輝く。その眩しさが、今は鬱陶しく思えてくる。


 覚えのない物といえば、目の前に広がるこの景色と、今着ているボロボロの服だけだ。見たことの無い服だが、妙にこの身体と馴染んでいる。


 もう一度、夕日に視線を向ける。よく見ると、何かがこちらへ近づいているのが見えた。

 そしてある程度距離が詰まると、それは箒に跨って空を飛ぶ『人』だという事に気づけた。


「ひゃっほーい! 男の子、はっけーん!!」


 弾むような声と共に急接近して来たのは、褐色の肌を持つ女の子だ。コンパクトに整えられたボブヘアーは、真っ赤な夕日に照らされていても水色である事が分かった。


「まさかこんな所で、活きの良い男の子に出会えるなんて……ボクってば、運がいい!」


 女の子は宙に浮いたまま僕の周りを旋回し、やがて目の前で停止する。

 黒地に赤いラインが入った服は、やたらと丈が短く、脇腹や臍が露出している。そして太腿半分くらいの短いスカートから、細い足がスラリと伸びていた。


 何というか……活発な雰囲気の女性だ。目のやり場に困る。


 地上に降り立ち、ゆっくりとこちらへ歩み寄る。満遍の笑みに夕日が差し込む。半分だけ影に覆われた笑顔は、幼さと薄気味悪さの二つが共存していた。

 

 目の前に立つなり、僕の前髪を掻き上げるように掴んできた。痛くは無いけど、まるで物のように扱われているみたいで嫌な感じだ。


「……あれ? 君、全然逃げないじゃん。ひょっとして、ボクたち魔女の事、知らないの?」


 されるがままの僕を見て、拍子抜けのように首を傾げる。

 違う。突然すぎる出来事に、身体が言う事を聞かないだけだ。そう言いたいけど、やはり声が出ない。代わりに少しだけ、彼女から顔を背けた。


「仕方ないなぁ、教えてあげるよ。ふふっ、ボクのように悪い魔女はねぇ、君のような男の人を捕まえて――」


 ニヤリと目を細め、口元を僕の耳に寄せて囁く。


「――食べちゃうんだよ」


 吐息混じりの声を受け、ぞわぞわと寒気が背筋を伝う。そんな僕の首筋に、彼女は鼻を擦り付ける。


「ん〜、いい香り。君、すごく美味しそう。あぁ、たまんないよぉ……」


 料理の香りを堪能するように、僕の首筋を嗅ぎ続ける。前髪を掴む手が強まり、少しだけ痛い。


 食べられる――そのままの意味なのか、それとも何かの比喩表現なのかは分からない。

 ただ彼女の雰囲気から察するに、きっとこのままでは命を奪われる。それだけは何となく分かる。


 しかし、僕は一歩も動かなかった。それは生前の記憶が、僕の脳裏に色濃く残っていたから。

 ……そうだ。誰かに終わらせて貰えるなんて、願ってもない。本望じゃないか。


 この命を彼女に委ねる。そう思い、そっと瞳を閉じた。


 

「見つけたわ、リズ!!」


 高らかな叫び声が聞こえ、閉じた目を開ける。見ると、別の女の子が箒に跨り、その手から黒々とした何かが放たれていた。


 竜巻を横倒しにしたように渦を巻くそれは、風を切るような甲高い音を発しながらこちらへ近づき、僕達を分断する。


「きゃあ!!」


 僕の前髪から手を離した女の子は、茶色い土煙を上げる風に吹き飛ばされてしまった。


 呆然とその場に立ち尽くす僕の元へ、竜巻を放った女の子が近づく。やはり箒に跨り、宙に浮いた状態で。


 飛んでいった女の子とは対照的で、白地に青いラインが入った、露出の少ない服。その上から、厚めのマントを羽織っている。


 彼女はつば付きの帽子を脱ぎ、赤いロングヘアーを整える。そしてもう一度帽子を被り直すと、吹き飛ばした女の子の方を睨み、両手をメガホンのようにして叫んだ。


「リズ、聞こえてますかー!? 年貢の納め時です! 今日こそ私は、あなたを逮捕してみせますから!」


 よく通る声だ。まるで音が風を乗りこなすように、遠くまで響いている。

 

 まじまじと見つめる視線に気付いたのか、ゆっくりとこちらを向く。物珍しそうに僕の身体を眺めた後、帽子からはみ出た前髪を掻き分け、笑顔で話しかけてきた。


「大丈夫です。あなたはこの私が保護します。あのような悪い魔女には、絶対に渡しません」


 優しい口調と共に、手を差し出される。この手を掴めば、先程の女の子に殺されずに済むのだろうか。

 しかし、僕は手を取る事を躊躇った。助かりたいなんて思いは、頭の中に無かったから。


 彼女は笑顔を崩さぬまま、差し出していた手を引っ込める。そして空気をなぞるように指を動かした後、パチンと音を鳴らした。

 

 すると、僕の周りに風が集まり、ロープで縛られるように身体を拘束された。両肘が脇腹に食い込むくらい、強く締め付けられる。痛い。

 

 両腕のコントロールを失った僕の身体は、いとも簡単にバランスを崩し、情けなく倒れてしまう。


「安心してください。あなたは私が責任を持って、優しく大切に食べてあげますから。さぁ、一緒に行きましょう!」


 柔らかく微笑みながらこちらを見下ろし、微塵も安心出来ない言葉を口にした。

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