#22 「魔法少女は息苦しい」

「……あ、面白かったね。映画」


ぽつり、と。今まで忘れていたかのように。

欠伸混じりだったのか、僅かにくぐもった声を透羽は漏らした。


──映画、凄かったよねっ!


ぎゅっと握った手の中には入口で配布されたライト。

喉につかえたままの言葉が妙に居心地を悪くさせて、遥は手の中でそれを幾度か光らせた。

透羽はもう持っていない。恐らくは膨らんだポシェットにでも収納されているのだ。

そのポシェットですら、あしらわれた妖精の刺繍には埃が絡みついていて、僅かに黒ずんでいた。

見たのも随分と久々だった気がする。それだけ長い間、留守番させられてたのだ。


「……うん、凄かった」


気の抜けた声が、何の実感もなくぽつりと吐き出されてそのまま流されていく。

つぐんだ口はそれ以上言葉を吐かずに、お互い黙ったまま歩き続けた。


それが、透羽と”魔法少女”の話をした最後の日だったこと。

一緒に映画を見た後に交わされた、たった二言の会話を遥は今でも忘れられずにいた。



◆ ◆ ◆



「……と、いうわけでね。遥には小道具用の材料集めを手伝って欲しいの」


昼休み、生徒会室でランチをしないか、と。

七月上旬。期末テストも終わり、バイトも入っていない、《総選挙・予選》も終わってしまった、遥にとってはどこか気の抜けた一日。

だけれど、割り込んでくるように呼び出して。

開口一番、生徒会室にやってきた遥を待っていたのは次なる仕事を抱えた透羽だった。


「……いいけど。具体的には?」

「小道具に使うためのダンボール、というか……ダンボールがメインだね。夏休みに加工する予定。全然、あたしが集められる分だと足りなくて」


高校生の文化祭においてダンボールはマストアイテムだ。

看板にも使えれば、小道具にも、装飾にも。巨大なものさえあれば背景を作るための素材にだってできてしまう。

それでいくら浮くか──生徒会会計として遥の脳内に備わっていたそろばんが一瞬で弾かれる。


「……確かに。圧倒的に安上がり、だけどさ」


だけれど、実際肝要なのはどこから持ってくるか、ということだ。

遥が通う学校の周辺にはスーパーの類がほとんどない。


「どこで、貰ってこようか」


その上、現状人手もそこまで増えていないのだ。生徒会内部だと遥含めて演劇に協力してくれているのは五人ほど。とはいえども、この場に来ているのは遥だけだった。

人手もなく、回収できる店もない。まず前提からして、だいぶ難航していた。


「……校内で、回収してくれば良いのではないでしょうか」


ぽつり、と。呟くような小さな声、それでもはっきりと通った。

衿華だ。部屋の奥でパソコンに注視して、我関せずオーラを出しているかと思えば、バッチリ会話を聞いていたようだった。


一週間ほど前、《総選挙予選》の最終日、彼女が見せた涙。

その真意すらちっともわからず、その日を境に遥は衿華と話していない。

別に、バイトを辞めたとかそういうわけでもなく、ただ期末テストが近いからちっともシフトを入れていなくて、ヴィエルジュに行っていなかった、それだけなのだ。


そんな学業のための休みが災いしてしまった。

生徒会室に行けば衿華とは会える。

それでも、学校で彼女と会話するのはやはりまだ腰が引けるものがある。

何せ、ここでの遥はブランではなく、一介の生徒会会計に過ぎないのだから、接点なんて浅いものだ。会話の一つすら交わさずに日々が過ぎていく中、ヴィエルジュとはちっとも関係ないけれど、話しかけてきたのは向こう側から。彼女の様子を確認する良い機会だった。


「……ちょうど、各クラスに教材の搬入があったところです。ダンボール、上手く行けば回収できるかもしれません」


その、さして周りを気にしていないかのような仏頂面も、抑揚の少ない凛とした声音も、ほとんど普段と変わりない様子だった。


「これを、持っていってください」


引き出しを何やら弄って、衿華が机の上に出したもの、それは腕章だった。

”生徒会・会長”と。権力を示すもの……である割には、目立っていたであろう黄色は褪せていて、ほつれたそれを見るに、近頃はちっとも使われていないものらしい。

実際、遥にとっても初めて見るものだったし。


「……でもこれ、会長って……衿華先輩のじゃないんですか?」

「今のところ、私は付ける気にならないので、お貸しします。透羽さん、あなたにとっては来年度の練習だとでも捉えてくれればいいのですよ」


半ば押し付けられるようにして手にわたった腕章を、透羽はぎゅっと握りしめる。

特に付けるでもなく、彼女もまた、持て余しているようだった。


「材料を徴収するのなら、後ろ盾があった方が良いでしょう?」

「……ちょっと、強引じゃありませんか……?」

「構いません。まだ準備していないクラスもあるでしょうし、それに、苦労する役職を努めているのですから、ちょっとの見返りはあってもいいと思うのです」


一瞬、衿華が何をしていたのかわからなかった。

片目だけ、軽く瞬きして──ウィンクだ。その表情は若干微笑んでさえいるようにも見える。

おかたい物言いとは真逆、それどころか今の衿華はどこか茶目っ気すらあった。

普段の彼女からすると、考えられない姿ではあったけれど、どこか遥にとっては腑に落ちるものでもあった。


確かに彼女が”ヴィエルジュ・ノワール”として過ごしていた、その証明だったから。


「それでは、いってらっしゃい」


こちらの返答をさして聞かずに、すぐさま衿華はパソコンに視線を移す。

困ったように目配せしてくる透羽に取り敢えず外に出るように促して、自分も外に出るまでのごく僅かな時間だけ、遥は衿華の様子に注視していた。


隣り合わせで過ごした時間。

普段は毅然とした衿華が見せた弱々しい表情。

何も言葉を発せずに、ただ座っていた。

結局、解決なんてしていない。話だって聞いていない。店閉まいの時間になって、大丈夫ですとだけ首を振って、衿華が帰っていっただけだ。


ただ、今は仕事に集中しているようで。

特に変わった様子は見られない、一息吐きそうになったのを無理やり飲み下して、遥が部屋から出ていこうとした時だった。


不意に、瞳と瞳がかち合った。

衿華はパソコンから顔を上げていた。


「……っ」


どこか気まずくて、誤魔化すようにして弾みを付けてドアを閉める。

軋み、それがガタンと閉じきるその瞬間まで。

普段よりも丸かった、見開かれていた。ともすれば、どこか子供らしい。

その瞳を遥は忘れられなかった。



◇ ◇ ◇



「はい、これ二セット。解体済みだけど大丈夫そうですか?」

「うん、むしろそっちの方が楽だから助かるよ、ありがとう」


教室巡りを始めてから二つ目。

自分の体半分はあろうかという開いたダンボールを渡されて、遥は少しばかりよろけた。

後ろで待っている透羽は未解体のものを渡されているから、両手が埋まってしまっている。

やはり、二人では人手不足感が否めない──。

一度、生徒会室に置いてこようか、と。遥が提案しようとした時だった。


「あ、真白先輩に……彩芽先輩……? 何やってるんですか、それ」


丁度、そのタイミングでドア前に現れたのは協力してくれている生徒会の一年生だった。


「演劇の材料集めだよ、ダンボール、必要になってさ」

「そうだったんですか? 人手が足りないなら連絡してくれれば良かったのに……全然、手伝いましたよ?」


その言葉に、遥は眉を潜めた。

人手は多ければ多いほどいい。だからこそ、てっきり全員に連絡をしたはいいものの、都合が合わずに遥だけが生徒会室に来たものだとばかり思っていたのに、これではまるで最初から連絡を受けていなかったような口調だ。


「……透羽、僕以外の人たちにも連絡ってさ、した?」

「っ、して、なかった、かも。……忘れてたみたい」

「……忘れてただけなら良いんだけど、人手はもっとあったほうが良いと思う。僕たち二人だけじゃ足りてないと思うし」

「……ごめん」


どこか上の空な様子で透羽は答える。

視線は、自分の手とダンボールとの間で、忙しなく揺れていた。

その表情をどこか訝しみながらも、それでも、もっと怪訝な顔をしていたのは一年生だった。

取り敢えず、手伝ってもらった方が良さそうだ。

向き直ると、遥は彼にも一つ、ダンボールを抱えてもらうことにした。


「うおっ、結構バランス持ってかれますね、これ」


うめくと、彼もよろけた様子を見せる。

やはり、最初から二人では相当無理があったようだ。


「もう一教室行ったら、ダンボールは生徒会室に置いてきて、あと数人協力してくれる人を募ろうか」


こくりと頷くばかりで、透羽は何も口にしない。

発起人なのだから、もう少ししっかりして欲しいところではあったけれど、言い過ぎるのも酷というものだろう。彼女だって、慣れない役職に戸惑っている節はあるのかもしれない。


さして気に留めることもなく、一弾みつけて、遥はダンボールを抱え直した。



◇ ◇ ◇



「どう、変われたらいいのかな」


ぽつり、と。

何の気なく漏れた言葉。

放課後の生徒会室、積まれたダンボールを背にして。

たった今、協力してくれた生徒を見送ったのち、透羽の声。

ポツンと空いた空白を埋めるようにして、衿華の打鍵音だけが部屋には響いていた。


「……変われたら、って?」

「……あ、いや、わたし、言っちゃってた……?」

「……うん、聞こえた」


普段の透羽なら、恥ずかしがっていただろうか。

慌てたように首を振りでもしていただろうか、それとも否定していただろうか。

実際、彼女はそのどちらでもなく呟いただけだった。


「そっか」


俯いたまま、透羽は言葉を継ぐ。


「ただね、遥って凄いんだなって、そう思っただけ。最近の遥さ、積極的で、先見てて。……なんか、わたし、キツイね」


差し込んだ斜陽が透羽の表情を塗り潰す。

その真意には触れられないまま、だった。


「……別に、僕は透羽の指示に従ってるだけだし。しっかりやってると思うけど」


舌先が、差し障りのない言葉をなぞる。

遥にとっても上辺だけ、取り繕うようにフォローした。


「……そう。なら、良かったんだけど」


透羽もまた、上辺だけ。

顔を上げると、薄く微笑んで見せる。


「今日は手伝ってくれてありがとね、遥。夏休み中もまたお仕事、頼むかもしれないけど」

「……別に大丈夫だよ。どうせ、夏休みなんてバイトしか無いし」

「そうだったね。昔の遥、夏休みはしょっちゅうわたしのところ、来てばかりだった」


やることがない日は、そのドアを叩け。

暇な日ばかりだったから、夏休み中はいつも一階上の透羽の家を遥は訪ねていた。

とはいえ、随分と昔だ。多分、小学校高学年にすらなっていない頃。

透羽が口にするは、いつも遠い日で。とっくに褪せて廃れたもので、思い出として、ふわりとした軽い質量しか持たないぐらい、薄れたものだ。


「そういえば、遥は”魔法少女”、好きなの?」


不意に、透羽がそう口にした。

世間話のつもりだったのか、ちっとも変わらない、無理やり発されたような高いトーンのまま。


「……なんで、急にそんなこと」

「ううん、、よく一緒に見たなあって。……ごめん、変なこと聞いたよね。忘れて」


軽い調子で言うけれど、忘れられるものだったはずがない。

透羽と映画を見に行った日、彼女が興味なさそうだったことに対する苛立ちよりも。

ずっと、悲しかったのを覚えている。


”好き”を、共有できないこと。

好きだと口にすることが憚られてしまったこと。


”魔法少女”は、もう自分の背丈には合わない。

、忘れなきゃいけないんだ、と。そんな嫌な想像が脳裏をよぎって、枕に顔を埋めて泣きはらしたこと、よく覚えている。


「……そ、そういえば、この間のアドバイス、凄い役に立ったよ。ありがとう」

「……そう? ……なら、良かったんだけど。わたしの”好き”は、流石だった?」

「うん、ほんと。透羽の寸劇アドバイス良かったから。文化祭も期待してるよ、それじゃあ……今日、バイト入ってるから。そろそろ帰るね」

「あ、ごめんね。長い間拘束しちゃって。それじゃ、また」


この間の衿華との寸劇。用途は伏せて、透羽から貰ったアドバイスは役に立った。

そういう風に話を逸らしてやって、彼女の質問には答えたくなかったのだと思う。


好きだ、と。魔法少女が好きなんだ、と。

大っぴらに言ってやることはできない。それでも、否定をすることだってできない。


どこかしら、外は息苦しい。それは確かだ。

それでも、まだ”好き”を分かち合える場所がある。

そう考えるだけでも、多少は気が楽になる。透羽が言う通り、遥に変わったところがあったとすれば、そういう場が出来たことぐらいだろう。


歩きながら取り出したスマホ。

【今日、シフトを入れたい】と。手短にマキへメッセージを送り、スマホをポケットにねじ込む。


もう押し込んでおくしかないのだ。


大っぴらに叫んでやれない”好き”は、唯一分かち合える場所にだけ、閉じ込めておくしかなかった。



◆ ◆ ◆



『透羽ちゃんって、くっつき虫みたい』


それは、いつ聞いた言葉だったか。

ただ、遥が側にいたこと。それは覚えている。

幼かった時の透羽は、いつも遥に手を引かれていたのだから。


「……わたし、変わった?」


自問自答、橙色に染め上げられた通学路の中で深く差した影が一筋、道を塗りつぶしていた。

そう、だったろうか。確かに最初こそ上手く言ったかもしれない。

それでも、本当に第一歩だけ、提案しただけだ。

そもそも、なんで演劇をしたいと思った?


「……好き、だから?」


漏れた言葉は、実像を持たず。頼りなさげにひゅるりと流れた。

本当に好き、だったのか。


幼い日に、好きだったはずの”魔法少女”の映画を観に行った時。

感想をひねり出すのに、随分と無理したのを覚えている。

”魔法少女”が好きな女の子というのは、遥を背にして映し出された、透羽だったのではないか。

揺らぐ自分を何とか固定するために、抱えていたものだったのではないか。


好きなことがはっきりしている人間は強い、と。よく聞く。

目的もはっきりしていれば、自分を突き動かす原動力になってくれるから。

実際に、遥は昔よりもずっと前向きになった。

”好き”の支えは、きっとそれだけ揺らがないものであるはずだ。

だから、透羽だって”好き”を持っていたかったのだ。


なのに、置いていかれてる。

コンセプトカフェでコスプレして働いてる、なんて妙な話だ。

それでも、ただ”魔法少女”に縋り付いているだけ──だったら、今の遥になるはずがない。


「……わたし、本気になれてるのかな」


自分はどうだろう。本気で”好き”に向き合えているのか。

なんで、演劇を好きになった? あの映画があったから?


「……それだけ、なの?」


他に、何があった?

ただ眺めているだけで、それは本当に好きなものだったか。

アイデンティティーを確立させるために、自分をラベリングするためにでっちあげた”好き”じゃないのか。それが好きなんだって、そう言い聞かせていただけじゃなかったか。


変わりたい。

そう大っぴらに叫んだって、どこかで自分はそっぽを向いている。

行き先は、自分を進ませるために無理やり決めたものだけ。いつもすくんだまま、怯えたまま。

本質的には進めずに立ち止まっている。


『後悔、しませんか?』


どう、なのだろう。


”好き”だからと、頷けない。

変わるためだからと、頷けない。


いつも、何をするにもどこかで足がすくんで、震えて、歩けない。


彩芽透羽は、そういう人間だ。

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