#21 「もう少しだけ、魔法少女は」

「お話、聞かせてください。あなたの、として」


その手を取ることに、躊躇いを覚えた。

息苦しい場所から逃げてこられたと思ったのも束の間、その先で失敗してしまったのだから。

新品の衣装に痕を付けるケチャップ、指先に巻き付いた絆創膏。


『衿華ちゃんって、何考えてるのかよくわからないよね』


単に、感情表現が苦手なだけだった。

感動することだってあるし、辛くて泣きたい時だって、大っぴらに笑ってやりたいときだってある。

それでも、上手く表情がついてきてくれない。

思えば、自分で押さえつけていた節はあったのかもしれない。


自分の周りにあるのは、ほとんどが肩書きによって成立している関係性。

それこそ、”生徒会長”ならば、それに相応しい格好をしていなければ、すぐに誰もいなくなってしまう。

そんなクセは、バイト先でも出てしまった。


元々家の決まりでバイトは禁止とされていたから、働いてお金を貰うという行為が初めてで、先輩や大人の人、周囲の人達との距離感が捉えきれなかった。

更には、コンセプトカフェなんて行ったことすらなかった身だ。

ただ接客をするのではなく、+α、どういう風に立ち回っていけばいいのかすらわからず。

緊張していても、顔には出せない。

曖昧でも、頷いてしまった。


けれど、として気取っていた孤高は、一瞬の気の緩みで決壊してしまった。

くしゃりと歪んだ表情、すんでのところで込み上げてくるものを堪えている状態。


それを見られてしまった。

塗り固められていた外面が剥ぎ取られて、内面が見透かされてしまった気がした。


もう、ここまで来たら取り繕うことはできないだろう。

このまま、ここから出ていって、元あった場所に収まった方が良いのかもしれない。

今日は面接に行くため仕事を残してきてしまっている。

もう高三だ、受験勉強だってしなければならない。

あるべき場所に戻るのがであるに違いない。


──それでも。


どうあがいたって、ここではじゃなくて、としてしか見てもらえない──それに気が付いた時、衿華の中で確かに何かが揺らいだ。


吸った空気が、確かな質量を持って胸を満たした。

込み上げてきたものが同時に、喉につかえていたものまで押し流してしまった気がした。


それは、情けないか。

自分を律していたのはあくまでも自分。

家族や周りの人間の視線が作り出した型に嵌まれるように、ただ身を捩っていただけだ。


だけれど、ここにはそんな視線はない。

身を捩っていなくともいい。


どこに身を置きたかったか。


あと一つ、結局のところ決めるのは衿華自身でしかなかった。



◆ ◆ ◆



「……私は重い罪を背負っている。それは──”ヴィエルジュブラン”、あなたも知っていることでしょう?」

「……ええ」


ぽたり、と水音が響いた。

たった一瞬だけ点滅したスポットライトがノワールの横顔を照らす。

歪んだ表情が、暗闇の中に浮かんだ。


「……この戦いであなたを傷つけた。何度も、私は邪魔をした」

「代償を払ってほしくないから、”魔法少女”を止めさせようとした──それは、ボクたちのことを考えてくれていたから、でしょう?」


一歩、ブランが近づく。距離を埋めようと近づけられた手を、ノワールは叩き、跳ね除けた。


「結果的にあなた達を傷つけた! やり方を間違えた! 私は──そんな自分の不器用さが嫌いですっ! だから、そんな相手を庇う必要なんか……っ」

「──それでも、ボクは絶対に”魔法少女を”やめませんし。”魔法少女”である以上、を見捨てることもしない」


拒絶された右手の代わりに左手を。

どうあろうとも、ブランは決して手を差し伸べることを止めはしない。


「昔、震えるボクの手を取ったのは──ノワール、あなただ。ボクが生きる限りその矜持は捨てられない。だから、手を差し伸べるんです」


それは、巡ったもの。

過去にノワールが手を差し伸べたからこそ、起きた出来事。


「……あな、たは」


震えるノワールの声音が、ノイズを持ってその場に響く。

消えてしまった激昂の残響、耳鳴りを起こすほどの長い静寂。

それが、答えだった。


「……あなたは、一緒にいてくれますか……?」

「もちろん。ずっと、共に戦い続けると。そう決めたからこそ、こうしてるんじゃないですか」


一瞬、触れた指先。

それをきっかけにして、ノワールの手が掴まれ、引き上げられる。

どんな拒絶も否定も、徹底的に打ち払い、隣に立つために。


”魔法少女・ヴィエルジュノワール”として、ここにいるために。



◇ ◇ ◇



「っ、ノワール……っ」

「……紗ちゃん?」


すぼんでいくスポットライトの中、不意に隣で漏れた声。

その切れ切れとしたものが何か、杏は怪訝に思った。というか、嗚咽混じりなようにも聞こえる。


「……もしかして、泣いてる?」


図星なようだった。


「べ、別に……っ、ただ花粉症とか、そういう……」

「取り繕わなくていいよ。紗ちゃんが結構チョロい子だって、あたし知ってるから」


先輩後輩、そして友達、互いに距離感が近い関係だ。

それに、前の一件を経て紗は大分素直に色々と話してくれるようになった。

自分が涙もろいというのも、紗自身が話していたことだった。


「……杏先輩、少しイジワルです」

「笑ってるわけじゃないよ。そういうのじゃなくて、むしろあたしといる時みたいに素直にいれたら、きっとすぐに衿華ちゃんとも仲良くなれると思って……もちろん、無理はしなくてもいいけど」


慌てて一言付け足しつつ、様子を伺って。それでも、紗は何か言い返すでもなく頷いた。

思いの外、きちんと受け止めているかのようにぽつりと溢す。


「……ティータイム、できるでしょうか」

「できると思うよ。もちろん、その時にはあたしも相席させてね? 若いみんなのお話、興味あるからさ」

「杏先輩だって、若いじゃないですかぁ……」

「……や、そこは年の功ってコトにしておいてね?」


──どうやって二人を近づけようか。


話した感じだと、紗にも衿華と仲良くしたいという気持ちはあるようだった。

あともう一歩、きっかけさえ掴めれば──。


いっそ打ち上げでもしようか、と紗の表情を伺うために隣を向いた時。


「……そういえば、電気いつ点くんだろ」


杏は、照明が未だ消えたままであることに気が付いた。


「……確かに。余韻を残すためとはいえども、流石に長過ぎますわね」


紗も釣られて辺りを見回しているようだった。

少しずつ、ざわめきが波及していく。だって、ぱっと見寸劇は終わったのだから。


「……終わった?」


……思い返しても見れば、パフォーマンスが終わったことを示すアナウンスは一度も流れていない。

と、すれば──。


「──抱きしめた愛、駆け出すんだ──っ!」


突如として、ステージの照明が一斉に点灯した。

眩しすぎる照明の残像が解けて数瞬、次に杏の目に映ったのは、背中合わせに二人、マイクを握るブランとノワールだった。


「さあ、ラブっと──っ!」


ブランの低音から一転、跳ね上がった音程。

唸るアンプ、音割れするぐらいの高音サビ。

あまり、ノワール──衿華が歌い慣れていないことはわかった。


「……すっごいよ」


それでも、ホールを包む熱気、歓声は今まで杏が見てきたどんなパフォーマンスよりも大きい。

まさに、総選挙最終日にして最高潮。仕方あるまい、ノワールとブランが手を結んで、初めての共演だ。ある種、ここまで盛大な前向きを敷いてきて、このたった一回。


「迸れ──”いま”──っ!」


だけに、ぶつけてきたものなのだから。

気づけば、杏も、紗も、少し後ろで眺めていたマキも、散らばっていた”魔法少女”も、そして客も。

ホールが一つになって、最後のフレーズを紡ぎ出していた。



『キラピュア──っ!!!』



◇ ◇ ◇


◇ ◇




「それじゃあ、ノワール、シアン共々通過を祝って──乾杯っ!」


豪快な挨拶に取って代わって、ティーカップが優雅にカン、と澄んだ音を立てる。


「……一位通過。素直に祝わせてもらいますわ、ノワール。そして、もう一度謝らせていただきます。この間は迷惑をかけてしまって、ごめんなさい」


《魔法少女総選挙・予選》。最終日にして一気に票を集めたノワールが一位で突破、シアンは二位と相成ってしまった。

だけれど、そのことに対抗心を燃やすよりも先に、殊勝な態度のまま彼女が口にしたのは謝罪の言葉だった。


「……ですから、それでは張り合いがないのです、シアンさん。あなたがやったことは、直接結果には影響していない。引きずる必要もありませんし、むしろ警戒すべきは決勝でしょう? このままでは、決勝の結果も、今日と変わらないものに……」

「……衿華さん、それぐらいにしてください。散々御託を並べてますけど、要するに許してやる、その上で一緒にお話がしたい──そういう意図で、この打ち上げに誘ったんじゃないですか?」


カタン、と手に持ったティーカップが揺れて。

次の瞬間、衿華は盛大にむせた。つまるところ、遥が口にしたことは正しかったから。

わざわざ閉店後のテーブルを貸し切って、紗や杏を引き止めてまで打ち上げを開いた理由わけは、まさに遥が口にした通りだったから、である。


「……こほん。約束しましたから。一緒にティータイムができれば、と。私は確かに負けず嫌いですが、それ以上に……約束を守る”魔法少女”なのです」


表面上は取り繕いながら、口元をナプキンで拭いつつ。

それでも、衿華の声音は僅かに弾んでいた。

思いの外、というべきか。きっと、それだけ彼女は楽しみにしていたのだろう。


「……紗さん、好きな”魔法少女”は?」

「DASH!キラピュアの”ピュアヴィクトリア”ですわ。黒崎さん、あなたの方は?」

「ラブっとの”ピュアフリューゲル”、ですが……なるほど。好きな作品は被っている、というわけですか。良い趣味をしている、と。認めさせてもらわざるを……」

「はいストップ、衿華ちゃんはあまり強気に迫らないの。それよりもさ、DASH好きが三人、これは奇跡だよ! みんなで見よっ!」


四人して注がれていた紅茶を飲み干し、機器管理室に移動する。

前回の続きから見始めて、一話、また一話。


「頑張れー! キラピュアー!」とばかりに騒いだ杏が腕を周りの機械にぶつけて、悶絶したり。

その音に反応したマキが部屋に入ってきて、杏を叱りつつも見張りという名目で加わったり。

感情移入が過ぎて泣き出した紗をじっと衿華が見つめているから何事かと思えば、彼女まで一緒に瞳を潤ませていたり。


時間も忘れるぐらいに楽しい時間が過ぎていく中、不意に杏が一つ提案した。


「……みんなでさ、カラオケしない?」


曰く、キラピュアを一気見した勢いで興が乗りすぎたのだという。


「ふーん、良いじゃない。それはそれは、ぜひぜひ大歓迎ね」


あっという間に解禁されたステージに四人して並ぶ。


「……歌う曲さ、もちろんDASH!のオープニングで良いよね?」


異論なし、とばかりに全員が賛同して、イントロが流れ始める。

別に、パフォーマンスでもなんでもないのだ。パート分けなんて無い。

みんなして、好きなところを思い思いに歌う。

紗が澄まし顔で歌いだせば、はつらつ可愛く杏が乱入して、衿華が少し恥じらいながらも参加する。

サビに至っては大合唱、声を絞り出して、遥も全力で乗っかる。


つつがなく……と言うには、あまりにも騒がしいまま。

二番が終わって、ラスサビに差し掛かろうとした時。


「”掴め”……っ」


張り上げられていた衿華の声が、途切れて。


「……衿華、さん……?」


彼女の頬を伝って、ぽたり、と。

落ちた雫がマイクを濡らした。


「……大丈夫? どこか怪我でもした?」


紗が気遣うように声を上げれば、衿華の身を案じて杏が衿華の手を取る。

それをただ振りほどいて、ぽつりと衿華は溢した。


「……問題ありません。ただ……ただ……っ」

「……衿華さん、一度落ち着いてください」


理由がない。絶対演技なんかじゃなくて。とすれば、わからない。衿華が、わからない。

何も状況がわからぬまま、遥は彼女の手を掴む。

一度ステージ上ではなく、もっと静かなところへ移さなければ、と。

どこか項垂れたような衿華を連れて、遥はロッカールームへと向かった。



◇ ◇ ◇



「……大丈夫、ですか?」


ティーカップを置いて、力なく衿華が頷く。

そこでようやく自分の様子に気が付いたかのように、くしくしと、彼女は自分の目元を袖で擦った。


「……本当に、何か嫌なことがあった、とかじゃないのです。ただ……」


涙の滲んだ顔を誤魔化そうとするかのように、くしゃりと大げさな微笑みを湛えてみせて、衿華は呟く。


「……寂しく、なかったから。終わってほしく、なくて……っ」


それでも、取り繕えたのなんて一瞬だ。

再び、衿華の頬を涙が伝う。


「……何かあったのなら、聞かせて頂けませんか?」


迷っているかのように、ちらちらと瞳が揺れた。

少しだけ、首を傾げて。しかし、衿華は口元を引き結ぶと、確かに首を横に振った。


「……いいえ」


拒絶ののち、沈黙が広がる。

それを埋めようとするように、続けて衿華は口にする。


「……大したことじゃありませんし。それに、心の準備がいるので。いまは……いまは……まだ、話せません」


それは、いつもの衿華と変わらず、くるまれて、真意が読み取れないもの。

それでも、大したことじゃない割には心の準備がいる、と。支離滅裂なことを言う。

明らかに普段よりも動揺しているのは、見て取れた。


「……それなら、待ちます。何日でも」


自分に解決できる問題なのか、はっきり言って、遥にはわからなかった。

下手に刺激してはいけないことだってあるかもしれない、ぼかすようにただ待つとだけ返事をして。迷った末に席を立とうとした時だった。

その腕を、ひしと抱きしめるようにして、衿華が強く引き止めた。


「……あ」


自分でやったことだというのに、衿華自身も困惑しているようだった。

それでも、寂しかった、と。以前聞いた、あくまでもノワールの本音だというもの。


「……わかりました。ここ、いても大丈夫ですか?」

「……も、もちろん、です。ブラン、……その……すみませんでした」

「……いえ、どうせ僕も用事なんてありませんから」


それはきっと、間接的に衿華の言葉を代弁したものでもあったのだろう。


二人、隣り合わせ。


近頃はちっとも雨が降らないけれど。

残ったジメジメとした空気、ロッカールームは絡みつくような熱気に包まれていた。

もう、夏だ。


目まぐるしく、それでも確かな重みを持った日々の中で梅雨は終わって。


もう、七月が始まろうとしていた。

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